稽古場に着くなり、すぐに音が出る状態にする。
電源確保してサンプラーからのアウトを稽古場にあるコンポに外部入力。
音楽は既に家で設定してある。
キッカケ表もプリントアウト済。
台本を受け取って、キッカケ表のそれぞれのキッカケを台本に記入していく。
そうこうしているうちに開始される稽古。
目の前の芝居に合わせて音も出していく。
オペレーションは既にシミュレーションはしてあるけれど、やっぱり、実際は変わってくる。
フェーダー操作がこれに加わるから、疑似的にツマミでゲージを取っていく。
自分も出演するから全ての音は出来ない。
人にお願いする以上、その人が操作を理解できないようじゃいけない。
全部、設定はしてある状態で、キッカケ通りに圧せばいい所までは創り込んである。
あとは、フェーダー操作。
でも、小屋入りしたら、もう少し、変わるかもしれない。
まぁ、それでも、そこまで難しくはならない予定。
音が入った場合の演出もしていく。
もう客席側で芝居をチェックできる数も限られてきた。
これからはむしろ楽屋側にいることの方が多くなっていく。
流れている空気と、役者と役者の間にある関係性だけ見ていく。
もう、それ以外に関しては、大丈夫と思っているから。
それから、通し稽古になる。
スタッフさんも揃って、それに今回は監督も通しを観る。
当たり前だけれど、もう客席側からは観れない。
不思議なことだけれど、舞台側にいるにもかかわらず、あ、今日が一番だぞと感じる。
これまでの通し稽古の中でも今日の出来が一番良いぞと感じていった。観ていないのに。
役者それぞれ、例えば一瞬冷静になる瞬間のようなものがあったとしても。
お互いの関係性は、全部、繋がっていた。
最初の瞬間から最後の瞬間までが、線になっていた。
ここへきて、最高得点じゃんねって思った。
人によって見方は変わるし、気になるところもあるのかもしれないけれど。
自分が演出してきた芝居の中では、もうこれでいい。
あとは、その繋がっている線が、お客様の共感にどこまで繋がるかだけだ。
そして、それぞれの肉体に起きていることが、真実なのだと思う。
通しが終わって、すぐに監督に話を聞く。
監督はこの通しまで、観ないでいたからだ。
ありがたいアイデア、言葉。
作品に則している。
この作品でどんなことをやりたいかもちゃんと伝わっていた。
それだけでも、充分。
せっかくのアイデアだから、稽古の数は少ないけれど、直しは入れる。
どこまで出来るかはわからないけれど。
それでも、今日の全体を通じて流れたものは、もう微動だにしないで良い。
いや、本番に入れば否応にも変わる。
照明も、セットも、音も変わるし、目の前にお客様がいるという状況が芝居を作ってくれる。
他の班もそれぞれに感じたことがあるようだ。
何をどう変更して、何を直していくのか。
それぞれに考えている。
さすがに、ここまで本番直前になれば、それぞれが焦っている。
この本番前の感じは嫌いじゃない。
少しでも良くしたいと誰もが思っているのだ。
そんな焦りの中。
おいらは、逆に満足していた。
もちろん、もっと良くしたいとは思っているけれど。
いつもの焦りのようなものはない。
信じられないほど・・・例えば、一拍だけそこで目を合わせて欲しいとか、細かい演出もしてきた。
具体的なこと、観念的なこと、心情的なこと。
いつもは時間が足りないと思っている時期までに、全て。
だから今は、芝居で感じたものをより確かにすればいいと思っていて。
それが、焦りにはならない原因なのだと思う。
その瞬間瞬間に掴む真実。
そこに嘘がなければ、後は、作品になっていくだろう。
あまり舞台本番直前にこういう気分になることはないけれど。
そういうことをやろうと、決めてやってきたのだ。
嘘がない分、それは、さらけだしているということなのだろうけれど。
すでに本番初日までカウントダウン。
「カクシゴト」は目前に迫っている。
一人でも多くの人に楽しんでいただけたら。
どんな舞台も、お客様のものなのだから。
少しでも、少しでも。
楽しんでいただけるようにしていくだけだ。
役者が誠実に作品に向かってきてくれたからこそだ。