舞台開幕と共にPVが公開になった。
わずか一週間で450回以上の再生数となっている。
日々再生数や、高評価が増えている。
とても嬉しい限りです。
Youtubeの広がり方は、とても面白い。
スマートフォンアプリだと、評価や再生数で、知らない人のTOPに表示されたりもする。
いつの間にか、知らないところで・・・ということもある。
プロデューサーとの打ち合わせであがったいくつかのテーマを整理して。
そのテーマごとに3種類のPVを製作した。
その中からピックアップして、更に、内容を絞るという形になった。
そのテーマに合うセリフが劇中にいくつかあって、尺の問題もあって、ラストにセリフを一つ置いた。
「これは俺の喧嘩だ」
自分たちで生きるという覚悟をしている登場人物のセリフだから、良いものがたくさんあった。
これにしよう!と思っても、尺的に厳しいのもあったけれど。
結果的に「これは俺の喧嘩だ」というセリフで正解だったと思っている。
やれることは全部自分たちでやる。
劇団と言う集団が、映画を製作する。
もちろん、やれないことや、ここはプロじゃなきゃダメなこともたくさんある。
撮影部、美術、照明部、録音部、他にも営業、製作、助監督などなど。
そういう所でしっかりとプロにお願いすることが出来るように。
美術はお願いしても、大道具製作は自分たちでやる。
そうすれば、より素晴らしい美術をお願いできるという考え方だ。
わからないことは聞け。
知らない事、わからない事、映画となればいくらでも出てきた。
それは、聞いて、やれることはやっていくという姿勢で挑んだ。
今回の舞台は、その姿勢を見せたいなと思っていた。
自分が音響スタッフをやることで、出来ることが増える。
それに、自分は音響オペレーションを何度も経験してきている。
だから、やるよと最初から決めていた。
自分たちでやってきた。
その姿勢は、自分たちで生きていく娼婦たちと重なる部分だから大事にしたかった。
それを象徴するのが、自分が役者として登場している間の音響オペレーションだ。
当然、音響ブースから舞台袖に移動して舞台に立つのだから、その間、音響が出来なくなる。
自分のシーンでは、音楽が鳴らないということになってしまう。
けれど、そんな指定を音楽制作の段階で出すのだけは嫌だった。
自分が音響をやることでのマイナス要素なんかいらない。
それで、劇団員の一人・・・それも女優に、お願いできないか聞いてみた。
その時点ですでに出番が終わっていて、かつ、自分の班の稽古で演出助手をしてくれていた信頼感もあった。
出来るかなぁと心配そうだったけれど、断るという事はなかった。
それどころか、場当たり稽古で、次々に上がってくる注文に逐一対応していった。
ただポン出しの再生のつもりだったのが、フェードイン、フェードアウトがあった。
それどころか、加えて、エフェクトもかけることになった。
そして、エフェクト直後に曲の切り替えと言う、思ったよりも難解な操作になっていった。
それなのに、彼女は一言も「出来ない」とか「無理」とかを口にしなかった。
初めての音響ブースの中で、何度も練習をして、体得していった。
やれることは全部やる。
そうやって、20年間やってきたというのは、何一つ誇大な広告ではない。
もちろん、映画と同じように、プロの方が良い部分は・・・照明や音楽制作は、お願いしている。
今回のセットもそうだった。
予算がなくても、芝居で使用する椅子は予算内で厳選して購入した。
椅子なんて過去に使用したものがいくつもあるのだけれど、使いまわしはしなかった。
劇場のスペースを考えて、立ちもののパネルを最小限に抑えて、舞台床面にこだわった。
それだって、パンチカーペットを新調して「正確にカットして幾何学模様を描く」という手間は惜しまなかった。
企画公演だから劇場付帯設備だけで、常設のようなセットにすることも出来る。
それどころか、舞台の高さを通常の付帯設備よりも高くして、段差なども付けていった。
遠近法の錯視を利用した美術にして、劇場の狭さをカヴァーしていった。
舞台前方に高さのあるセットを起き、手前を暗く、奥を明るくすることで、狭さを感じないようにした。
舞台を区切って高さを変えたのは、その狭い空間の中で、別空間を一つ作ることで演技にヴァリエーションを創った。
映画も舞台も、予算があって、やれることは限られている。
そういう時に生まれる創意工夫、経験、知識は、貴重な宝物のようなものだ。
そして、この予算だから仕方ないよ・・・と諦めることをしないのは、実は勇気のいることなのだと思う。
けれど、自分たちの体の中に染み付いている。
やれることは全部やる。
それが、少しでも作品のクオリティを上げていくのであれば、なおさらだった。
PVに映るパンパン小屋を観て欲しい。
プロの美術さんにデザインしてもらって、自分たちで材料を集めて創ったこのパンパン小屋を。
この空間そのものが、この映画そのものだ。
真っ暗なブース。
手元灯に照らされた台本とミキサー。
エアコンもなく扇風機だけで、照明の電源で灼熱地獄になった狭苦しい空間。
そこに演じ終えたばかりの女優が入ってきて、小さな切り取られた窓から舞台を覗く。
これはおいらたちのアティチュードだ。
これは俺の喧嘩だ。
自分の足で立っているのだ。