2018年05月22日

これは俺の喧嘩だ



舞台開幕と共にPVが公開になった。

わずか一週間で450回以上の再生数となっている。

日々再生数や、高評価が増えている。

とても嬉しい限りです。

Youtubeの広がり方は、とても面白い。

スマートフォンアプリだと、評価や再生数で、知らない人のTOPに表示されたりもする。

いつの間にか、知らないところで・・・ということもある。


プロデューサーとの打ち合わせであがったいくつかのテーマを整理して。

そのテーマごとに3種類のPVを製作した。

その中からピックアップして、更に、内容を絞るという形になった。

そのテーマに合うセリフが劇中にいくつかあって、尺の問題もあって、ラストにセリフを一つ置いた。

「これは俺の喧嘩だ」

自分たちで生きるという覚悟をしている登場人物のセリフだから、良いものがたくさんあった。

これにしよう!と思っても、尺的に厳しいのもあったけれど。

結果的に「これは俺の喧嘩だ」というセリフで正解だったと思っている。


やれることは全部自分たちでやる。

劇団と言う集団が、映画を製作する。

もちろん、やれないことや、ここはプロじゃなきゃダメなこともたくさんある。

撮影部、美術、照明部、録音部、他にも営業、製作、助監督などなど。

そういう所でしっかりとプロにお願いすることが出来るように。

美術はお願いしても、大道具製作は自分たちでやる。

そうすれば、より素晴らしい美術をお願いできるという考え方だ。

わからないことは聞け。

知らない事、わからない事、映画となればいくらでも出てきた。

それは、聞いて、やれることはやっていくという姿勢で挑んだ。


今回の舞台は、その姿勢を見せたいなと思っていた。

自分が音響スタッフをやることで、出来ることが増える。

それに、自分は音響オペレーションを何度も経験してきている。

だから、やるよと最初から決めていた。

自分たちでやってきた。

その姿勢は、自分たちで生きていく娼婦たちと重なる部分だから大事にしたかった。


それを象徴するのが、自分が役者として登場している間の音響オペレーションだ。

当然、音響ブースから舞台袖に移動して舞台に立つのだから、その間、音響が出来なくなる。

自分のシーンでは、音楽が鳴らないということになってしまう。

けれど、そんな指定を音楽制作の段階で出すのだけは嫌だった。

自分が音響をやることでのマイナス要素なんかいらない。

それで、劇団員の一人・・・それも女優に、お願いできないか聞いてみた。

その時点ですでに出番が終わっていて、かつ、自分の班の稽古で演出助手をしてくれていた信頼感もあった。

出来るかなぁと心配そうだったけれど、断るという事はなかった。

それどころか、場当たり稽古で、次々に上がってくる注文に逐一対応していった。

ただポン出しの再生のつもりだったのが、フェードイン、フェードアウトがあった。

それどころか、加えて、エフェクトもかけることになった。

そして、エフェクト直後に曲の切り替えと言う、思ったよりも難解な操作になっていった。

それなのに、彼女は一言も「出来ない」とか「無理」とかを口にしなかった。

初めての音響ブースの中で、何度も練習をして、体得していった。

やれることは全部やる。

そうやって、20年間やってきたというのは、何一つ誇大な広告ではない。

もちろん、映画と同じように、プロの方が良い部分は・・・照明や音楽制作は、お願いしている。


今回のセットもそうだった。

予算がなくても、芝居で使用する椅子は予算内で厳選して購入した。

椅子なんて過去に使用したものがいくつもあるのだけれど、使いまわしはしなかった。

劇場のスペースを考えて、立ちもののパネルを最小限に抑えて、舞台床面にこだわった。

それだって、パンチカーペットを新調して「正確にカットして幾何学模様を描く」という手間は惜しまなかった。

企画公演だから劇場付帯設備だけで、常設のようなセットにすることも出来る。

それどころか、舞台の高さを通常の付帯設備よりも高くして、段差なども付けていった。

遠近法の錯視を利用した美術にして、劇場の狭さをカヴァーしていった。

舞台前方に高さのあるセットを起き、手前を暗く、奥を明るくすることで、狭さを感じないようにした。

舞台を区切って高さを変えたのは、その狭い空間の中で、別空間を一つ作ることで演技にヴァリエーションを創った。


映画も舞台も、予算があって、やれることは限られている。

そういう時に生まれる創意工夫、経験、知識は、貴重な宝物のようなものだ。

そして、この予算だから仕方ないよ・・・と諦めることをしないのは、実は勇気のいることなのだと思う。

けれど、自分たちの体の中に染み付いている。

やれることは全部やる。

それが、少しでも作品のクオリティを上げていくのであれば、なおさらだった。


PVに映るパンパン小屋を観て欲しい。

プロの美術さんにデザインしてもらって、自分たちで材料を集めて創ったこのパンパン小屋を。

この空間そのものが、この映画そのものだ。


真っ暗なブース。

手元灯に照らされた台本とミキサー。

エアコンもなく扇風機だけで、照明の電源で灼熱地獄になった狭苦しい空間。

そこに演じ終えたばかりの女優が入ってきて、小さな切り取られた窓から舞台を覗く。

これはおいらたちのアティチュードだ。


これは俺の喧嘩だ。


自分の足で立っているのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:38| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月21日

全ての始まり

劇団前方公演墳20周年記念企画「カクシゴト」

小屋入り7日間、全7ステージ

映画「セブンガールズ」の告知解禁とともに幕を開けて全日程が終演した。


まずは、ご来場いただきましたたくさんの皆様、誠にありがとうございました。

共演者、スタッフ、並びに映画告知に関わってくださった皆様、感謝しております。


千秋楽の朝は快晴。けれど、前日の夜から気温が下がっていた。

まるで初夏のような日々が嘘のように、過ごしやすい春の一日だった。


いつものように劇場入りして、いつものように準備して、いつものように本番を迎えた。

客席には満員のお客様。

音を出し、演じた。

今まで稽古を重ねた役が、一つずつ、終演を迎えていった。


気付けば、毎日触っていた音響機材を片付け、PCを開き制作関連作業をして。

終わって舞台班に合流した時にはすでに、あの特徴的な床の模様すらなくなっていた。

舞台班が目途が立った時点で早めに劇場さんへのあいさつを終えた。

重い荷物を搬出車に積み込んで、車に乗り込み、皆より少しだけ早く劇場を後にした。

搬出した荷を倉庫に運び入れて、打ち上げに合流した時にはすでに少人数になっていた。

けれど、打ち上げには少人数ながら嬉しいことに、自分の作品の全メンバーと、監督がいた。


結局、芝居の話ばかりしていた。

役者のタイプの話。

役者が持つ違和感と、演出家が求める客観視戦の違い。

作品構造における、前段の大切さ。

幾人かの役者と、監督と、話をしたのは、全て「これから」の話だった。


この企画を越えて「これまで」と「これから」で何かが変わる。

そう思ったメンバーが、意外にいるようだった。

目に見えるほど変わるのかどうかまでは、ちょっと自分ではわからないけれど。

中編を3つに分かれて演じたことは、それぞれにとって、きっと大きな経験になった。

いつもより短い分、それぞれ作品の構造について理解しやすかったはずだし。

3つに分かれていた分、それぞれの作品内での役割が明確だった。

その上で、想定通りだったり、想定と違っていたり、苦しんだり、戦ったり。

その経験と、後からやってくる反省が、何かに繋がるだろうと感じているようだった。


「あそこ、うまくいかなかった。」

そういう話は、圧倒的なポジティブだ。

うまくいったことばかりを話ことこそネガティブだ。

結局、向上心や探求心からくる発言は、自分を安心できる場所に置いてくれない。

ポジティブであろうとすることは、二歩前の自分に向かおうとする不安との戦いなのだ。

それを繰り返しているうちに、20年と言う長い月日を迎えている。

昨日の自分に満足しないで、明日の自分に焦燥感を持つ。

その経験が、いつの間にか、自分の中の確固たる自信になっていることを知っている。


このBLOGはセブンガールズ映画化実行委員会のBLOGだから触れてこなかったけれど。

実は、初日に発表したのは、映画「セブンガールズ」の告知だけではなかった。

もう一つ。

20周年記念公演の告知をした。

ちょうど20周年を迎える10月10日より、企画ではなく本公演を行うことになった。

「BEGINS of Sevengirls」とだけ、チラシには記載してある。

それは、セブンガールズという劇団の代表作のスピンオフ。

あの娼婦たちが、仲間になっていく、前日譚だ。

映画「セブンガールズ」と舞台「BEGINS of Sevengirls」は9月10月と連続で、上映&上演される。

チラシには、簡単なキャッチコピーが書かれている。

「・・・そして、あの歌が生まれる」

そのキャッチコピーは、セブンガールズという作品を知っている人ほど、ハッとするものだった。


20周年記念公演が行われる、「劇」小劇場という劇場は、2年半前にセブンガールズの4度目の再演をした劇場だ。

あの公演が終わって、映画化について、本気で考え始めた。

全てが始まった劇場で、全ての始まりを描く作品を上演する。

色々な偶然が重なって、そんなつながりのある公演になった。

それは、明らかな「明日」だ。明らかな「これから」だ。

打ち上げと言う場所で、すでに「明日」を探していた。


打ち上げを終えて、昼過ぎに目覚める。

まだ少し呆然としている。

ここから、今度は本チラシ、ポスター、試写会準備、PV第二弾。

やることは、やまのように残っている。

舞台の残務もある。

一歩一歩着実に、タスクの管理をしなくてはならない。

現実と正対して、進まなくてはならない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 17:10| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月20日

明日と、明日の向こう

映画の告知から始まった舞台「カクシゴト」の4日目を終える。
昼夜2ステージに渡って、今日も多くの皆様に足を運んでいただいた。
実は映画出演者も何人か客席にいて、特設チラシを手にしている。
チラシ、喜んでいてくれているかな・・・。

なんというか、期待していなかった、大きな賛辞を日々いただいている。
期待していないというのも変だけれど・・・。
オムニバスである公演そのものはきっと、面白がってくれるぞと思っていたのだけれど。
自分が、作・演出した作品は、きっと人によって好みが分かれるし、それでいいと思っていた。
それが思いもよらないほどの賛辞を受けて、なんというか、こそばゆい思いだ。
とっても分かってくれる人が、毎回何人かいればいいさ、ぐらい肩の力を抜いていた。
それが、たくさんの人に、声をかけてもらえて・・・。
ありがとうございます。

「カクシゴト」という舞台の中で「演者」という作品を創った。
偶然の要素もあったけれど、素晴らしいキャスティングも出来た。
台本を書いて、演出して、稽古を重ねた。
真剣に・・・というとなんとなく違うかもしれない。
誠実に稽古に取り組んできたというのが、一番、しっくりくる。
余計なものをそぎ落としたり、技術的なレベルがある一定のレベルを超えた時点で観念的な部分に触れたり。
バックボーンを話してみたり、本当に小さな欠片を拾い集めるような。
少しずつ段階を踏みながら積み上げてきた。
自分が解釈している劇団の自慢の3人の女優の素晴らしさを、美しさを、目指してきた。

それにしても、映画と比べて、なんと舞台は儚いのだろう。
もう明日には、終わってしまう。
13時、17時開演のたった2ステージで、終演してしまう。
どれだけ長く稽古を積んできても、何も残らず消えてしまうのだ。
お客様の記憶の片隅にだけそっと残る。
そして、いつか消えてしまうのかもしれない。
映像はいつまでも残るのに。光として残るのに。
舞台はいつか影になっていく。

どうにも出来ないこの寂しい気持ちは、一体何だろう?
本当は観て欲しかったけれど、来場できなかった人には、二度と見せることも出来ない。
小屋入りしてたった1週間なのに、毎日同じ空間に一緒にいた日々も同時に終わる。
その後やってくるのは、日常だ。
本当だろうか?
本当に終わるのだろうか?

映画「セブンガールズ」で、その時代の空気そのものを生み出していた3人の女優。
その女優達に、同じように、時代の空気そのものを演じてもらっている。
空気を演じる?
不思議かもしれない。
けれど、それをやってのける。
彼女たちの中にすでにいるであろう登場人物たちは、どこに向かうんだろう?
自分が感じている寂しさを、彼女たちも感じているのだろうか。
あの三姉妹がもういなくなってしまう。

誠実に取り組んできた。
企画公演だからと言って、手を抜くようなことは出来ない。
大道具にも、音響にも、工夫を重ねてきた。
その姿勢が、これからに繋がると思ったからこそ。
繋がるからこそ、セブンガールズの情報解禁を同時にすることになったんだ。

まっとうするだけだ。
「カクシゴト」という舞台を。
「演者」という作品を。
もちろん、自分が演じる「木田さん」を。
ただただ、最後の一瞬まで、まっとうするだけだ。

それが、明日へ繋がる道になるのだから。
寂しいけれど。

posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:56| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする