前サッカー日本代表監督の記者会見が生中継された。
記者会見前はいくつものゴシップが流れた。
暴露会見だとか、ハリルの逆襲だとか、徹底抗戦だとか。
けれど、蓋を開けてみれば、日本に感謝しているとか、サポーターだとか。
もちろん、納得いかない部分もあるけれど、趣旨としては友人だという事なんだと感じた。
きっと、派手な応酬を期待していたマスコミは肩透かしをくらったんじゃないだろうか?
言葉の端々を拾って、批判的な言葉ばかり強調するような記事が出てくるのだろうけれど。
ただなんというか、とってもとっても「コミュニケーション」について考える内容だった。
島国であり、長く異国との交流を立っていた国であり、単一民族国家である日本人の「コミュニケーション」
そもそも、コミュニケーションという日本語がないということ。
交流とか、意思の疎通とか、考えてしまうけれど、これという日本語はない。
そもそも、日本人の生き方の中に、コミュニケーションという発想自体がない証拠だ。
恐らく、外国のコミュニケーションの意味と、日本人のコミュニケーションの意味は、根本的に違う。
ましてハリル監督は、民族闘争を重ねた国を故郷に持ち、今や多民族国家になった異国に住んでいる。
フランスの地でも、変人と呼ばれる監督にとってのコミュニケーションは、簡単に理解できるものではない。
恐らく、どちらが言っていることも正しいぞ、これは・・・と感じた。
起きていることの、把握の仕方の違いだ。見方の違いだ。
何か意見を言って、監督が反論をする。
日本人はそこで強く言い返すよりも、一旦、自分の中で納めるし、監督を立てる。
それが続けば、何を言っても言い返されるだけで、話を聞いてくれないとなってしまう。
逆に、監督からすれば、そこで黙るのであれば、納得していると思ってしまう。
監督だからと言って、自分を立てる必要なんかないという印象が強いコメントを出す監督だったし。
それは、多くの日本人スタッフもそうだったようで、監督自身が、勤勉で、忠実な働きぶりに感銘を受けたと言っている。
まさに、察する文化である日本人と、言葉の文化である西欧との、差異が、出てしまった案件だと感じた。
小津安二郎監督の「東京物語」が、海外での高評価であったり。
日本人は奥ゆかしいという、評価であったり。
海外に進出したスポーツ選手が、自分から意見を言わないと何も起きない、と言ったり。
そういう全てが、コミュニケーションについての差を表していて。
選手が海外進出して、海外のレベルを肌で感じてきたとしても、事務方のグローバライゼーションが進まなければ、こういうことが起きるのだなぁと、ぼんやりと考えている。
でも、逆を言えば、それこそが実は日本人の特徴だし、日本人の持つ強さなのかもしれない。
長い事、日本人の特徴とか、日本人のサッカーを目指すなんて言うけれど・・・本当はそこなんじゃないだろうか?
基本的に内向きの日本人は、いざという時やトラブルの時、その内向きが外向きに一気に変わることがあって。
そういう時の全体で一つになる力こそ、実は、日本人のスタイルのような気もする。
全然、戦術じゃないじゃないかと言われそうだけれど、歴史的に観ても自然災害や火災の多いこの国は、いざという時ほど、力を発揮するような精神性が培われていると思えてくる。
今回は不幸な別れになってしまったけれど。
国民性なんて簡単に変わることがないのだから。
教訓にして、それでも海外の戦術や考え方を吸収できるようになれるといいなぁと思う。
日本人そのものがコミュニケーション障害があると言っているわけじゃない。
むしろ、ハリルさんと多くの日本人はこれからも関係が続くわけだし。
ウチとソトの観念がなくなることはきっとない。
国際交流とか、国際戦略とか、ソトに出るという発想から脱却することは出来ない。
それでも心を通わせたり、異文化を受け入れることが出来る強さ。
そういうことを、スポーツも文化も、もっと意識的になって良い。
シモキタから世界へ・・そういうスローガンの中で色々なことを考えた。
海外で高評価な日本映画の、何が評価されたのかとかも、考察し続けてきた。
日本の察する文化は、決して恥ずかしいものではない。
文化としては、むしろ、海外に美しいとさえ言われている部分だ。
極東の島国という特殊な地理条件の中で培われた美徳を、否定する必要なんかないと思う。
ウチ向きから、ソト向きに、切り替える瞬間。
歌舞伎でも、能でも、そういう場面を劇にしてきた。
あるいはウチを、つまびらかにすることを、劇としてきた。
映画も演劇も、人間を描くものなのだとすれば、本当の意味での橋渡しになる。
コミュニケーションは大事だけれど。
関係性こそ大事なのだとしてきたこと。
そういうことを、きちんと理解して起きたいなぁと思う。
それはきっと、世界と繋がっているという事だから。
ハリルさんのサッカーはとっても楽しみだったけれど。
窮地に立った時の日本人のサッカーも、やっぱり楽しみだ。