稽古日。合同稽古に入る。
役者の揃う時間の問題でいつもとは順番が違って自分の班が一番手の稽古。
合同とは言え、班ごとの稽古だからいつもと変わらない気もする。
ただいつもよりも見学している人数が違うだけだ。
大きな部分、細かい部分、心の部分。
順番に一つずつ積み上げてきたものは、強固だ。
少しぐらいではブレない。
面白いことが起きた。
もうその中で生きているから、次の段取りのことなど考えていない状態。
芝居をしているというよりも、その場で生きているという証拠。
ああ、そういう状態にまで進んでいるのかと納得。
お客様が入れば、それでも外連味が出てくるから、芝居に戻るのはわかっている。
そういう箇所を見つけたら、とりあえず繰り返す。
繰り返すことで、擦り付けをしていく。
駄目出しをするよりも、もう一回やっておこうと促すだけ。
考えて感情を作ってという段階を越えてしまうと。
考えずに感情が繋がっていく。
でも、普通に生きていれば、感情は意外に途切れ途切れで。
その途切れかたに、違和感を感じてしまうことがある。
でも、それはとっても自然なことだと思う。
人間は思ったよりも、色々なことを考えているのだから。
せっかくの合同だから、観ている人からの言葉も求める。
自由に言ってくれていい。
なぜ、そこはこうなのかというのは、多分、すでに役者の肉体に落ちている。
だから、言われた言葉に芝居が無茶苦茶になることはないだろうと思っている。
むしろ、どう見えているのかを聴けば、自分の感覚とのギャップが埋まっていく。
合同という事は自分の班のことだけを考えているわけにはいかない。
全体を考えて全体感の中で、今、必要なことを組み立てていく。
他の班の稽古を観ることも稽古だし、他の演出家の言葉を聴くことも稽古。
演出家の言葉で、役者がどんな変化をするのか。
いつもよりも、外側にいる感覚で観ることが出来る。
自分の班の直後はさすがに頭が回らなくて、少し休憩したけれど。
今日やっておきたい稽古、試しておきたいことをやって、後は他の班を観る。
興行になれば、一つになる。
劇場、セット、全てが共有される。
同じ場所で、同じ時間帯に、同時上演する。
各作品のカラーが、お互いを消し合ってはいけない。
お互いの作品が、お互いを光らせるぐらいじゃないと意味がない。
全体感を感じて、観ていくことも大事なことだ。
時間が足りない気もする。
時間がたくさんある気もする。
大事なことは、役者が考える時間がまだまだあるということだ。
合わせて稽古する時間はどんどん限られていくけれど。
役者それぞれが、考えて、感じていく時間は、無限にある。
闇雲に個人練習するもよし、あれはいったい何だろう?と考え続けるもよし。
自分のイメージと、観ている人のイメージのギャップを埋め続けるもよし。
やることはたくさんあるはずだ。
他の班の稽古を観て。
少しは、一言ぐらいは、何か言えることがないかと考える。
せっかくの合同稽古。
全体感を考えれば、お互いに何かを生み出せるはずだ。
でも、それほど大したことは言えない。
言おうと思えば細かいことまでいくらでも言えるけれど。
こんなことは、この班の演出家が考えることだなという事は言いたくないから自然と限られる。
全体を通して観劇したお客様のイメージを具体的にし始める。
自分の班を観てどう思うかな?というのは、ほぼ毎日考えてしまう事なのだけれど。
全体の中で、この作品はどう思われるだろう?とか、そういう場所から抜け出る。
全体についての感想をどう持たれるのか、どう持たれたいのか。
そしてそれは、映画公開や20周年を迎えるその日にどうやって繋がっていくのか。
全てがWIN-WINになるのがベストだけれど。
残念ながら、現実というのは残酷で、どんな公演でも、肩を落とす俳優が出てくる。
別に評判が悪いわけでもないのに、自分に負けたと落ち込んだり。
違和感を感じたまま、それを消化できなかったり。
いつかのリベンジを果たせたと思ったり。
役者の心の中では、色々なことが起きて、現実的な結果がやってくる。
それでもこの企画では、全ての俳優が何かを掴めたら。
・・・例えそれが甘い何かではなくて、苦い何かだとしても。
きっと、それがこの企画の成功になるんじゃないかとさえ思えてくる。
そしてそれは、役者の修業をお客様に見せるというような構造ではない。
役者が芝居の中で見つけた何かを、お客様も楽しんでいただけるような構造になっているはずだ。
全てがWIN-WINになることなんてないのだけれど。
きっと、お客様には楽しんでいただける。
何気ない流れていくような小さなセリフが、抜群に良くなっていることに気付いた。
演じている俳優本人はまるっきり気付いていないかのようだった。
ああ、ここ、すごくいいじゃんなぁって思うんだけれど。
特別にそれを伝えることはしなかった。
本人たちが感覚的に掴んでいることが今は全てだ。
そしてそれは、確実にお客様に伝わる。
そこに色気があるから。
小屋入りするまで本当の意味で仕上げることは出来ないけれど。
幕が開くまで本当の意味で完成することはないけれど。
確実に自分の中で、仕上げに入っている。
この作品の最初の稽古からどれほど変わってきたか、どれほど良くなったか知っている。
困難な作業を乗り越えて、小さな余裕さえ手に入れた時。
本番の幕が開けばいい。
実は厳しさを持っていたはずだ。
いつも笑ったりしながら稽古をしてきているけれど。
そこには、ある一定の厳しさがあった。
最低限のクオリティから落とすなよと、常ににらみは聞かせていたつもりだ。
まぁ、怖い顔なんか一回もしないですんだけれど。
その厳しさを、自分の班だけではなくて、全体を観る視線にも付加していく。
詰めの作業の日々がやってくる以上。
お客様に楽しんでもらう以上。
やれることは貪欲に求めていく。