日本固有の文化が世界に広がっているというのを普通に受け止めている自分がいる。
例えば、柔道、空手。
どちらも、起源まで遡れば拡がっていくのだろうけれど、JUDOもKARATEも日本で生まれた言葉だ。
例えば、カラオケ、アニメ。
最近で言えば、日本酒や、豆腐、こんにゃく、白滝。ラーメン。
世界中から、求められている。
別に日本人が凄いとか日本文化が凄いとか、そういうことを言いたいわけではない。
世界中の人が凄いし、世界中にきっと素晴らしい文化がある。
そういうことじゃなくて、どうやって広がっていったのかということを考えてしまう。
柔道が世界に広まっていったのは、指導者が世界各国に渡って、広めていったから。
空手もそうで、世界中に道場を開く指導者たちがいたから。
それが、世界戦略だったのか武術修行だったのかは、おいらは知らないけれど。
言葉の通じない世界に、道着だけで飛び込んだ人がいたのだなぁと。
その情熱を想像するだけで。
だって、オリンピック競技になるほどの、世界中の競技人口を獲得しているのだから。
日本と言う国民性自体が、とっても他の国の文化を楽しむのが得意ということもあるからだろうか。
そういう凄さをまるで、普通に受け止めてしまう。
子供の頃には既に柔道はオリンピック競技だったし、トヨタもソニーもキヤノンも世界企業だった。
もちろん、逆のパターンもある。
誰かが世界に文化を広めていったわけではなくて、世界のバイヤーが日本から持っていくというケースも。
だからなんだろうか?
へぇ~なんて、感心してそこで終わってしまう。
すごいねぇ、世界中で知られているんだねぇ。なんてまるで普通のことのように。
でも、普通じゃないんだよな。
それは、簡単なことじゃないんだよな。
特に、今はインターネットで、世界に飛びやすくなっているわけだけれど。
そういう便利さが出来て、初めてわかったようにも思う。
ただ、一つ分かったのは、そこには強い思いがあるという事だ。
誰かが世界に広げたとしても、どこかのバイヤーが持ち帰ったのだとしても。
どっちにしても同じで、伝統であったり、知恵であったり、たくさんの情熱が注がれていること。
それに尽きるんだなぁと。
日本のとんこつラーメンが、海外で行列を作るのもわかる。
そのスープを作るのに、どれだけの情熱が込められていたのかということで。
きっと、世界中が、本物を求めている。
それはトレンドとは少し違うんじゃないかと思う。
もちろんトレンドはあるし、それに乗ったものもたくさんあったはずだけれど。
日本食ブームなんて世界中で何度もあったわけで。
その中で、日本酒が、ここに来てものすごく高いブランドとして広まっているのは理由があるはずだ。
それは、杜氏さんが守ってきた伝統や、その神秘性、情熱。
やっぱり絶対的に美味いからというだけではないのだとおいらは思う。
伝統の中に生きる「思想」にも近い、一本の背骨をおいらは感じる。
実際に、日本に根付いた海外のブランドには、必ずポリシーがある。
きっと普通に受け止めてしまうのは、職人が好きだというのもあるけれど。
自分が演劇や、作品に向かっている時に、意識している何かに共通しているんだと思う。
普遍性なんてないよと、どこかで思っているのだけれど。
思っていながら、これはきっと誰にでも届くことなんだと信じてもいる。
なんか、そういうものがないと、モノヅクリって出来ないんじゃないだろうか?
モノが文化になる。
そこには、必ずバックボーンとなるべき何かがある。
それは、情熱の結晶と言ってもいい。
伝統とはきっと、その結晶を守り受け継ぐことなのだと思う。
残るモノではなく、形のない表現の世界にいるからこそ。
そういうものを感じて、そういうことを実践しなくてはいけない。
そういうものがあるのが普通で当たり前のことなんだというレベルでいなくてはいけない。