シナリオの解析というのは自分の中でとても大事にしている作業だ。
今、5月公演に向けては、自分の班は自分が書いた台本だから書くときに創ったものだけだけど。
普段の公演では、わりと、ちゃんとやっている。
まず、配役表を創る。
性別やキャスティングされた俳優名を書き、箇条書きの説明も書く。
どんな役があって、誰と誰がどんな関係性で、どんな役割か書いておく。
それだけで、世界観みたいなものがどんどん見えてくる。
次に台本を章分けしていく。
ナンバーを書き、そのシーンが始まるページを書き、終わるページを書き、ページ数を書く。
一個飛ばして、そのシーンに登場している役を記載する。
必要であれば、時系列なども記載しておく。
その次に、そのシーンで起きる事、その後の伏線など、箇条書きにいしておく。
最後に、一個飛ばした場所に、自分なりにそのシーンにタイトルを付ける。
「○○登場!●●との出会い」みたいなどんなシーンかわかるようにする。
それを全シーン書き連ねていく。
ExcelでもWordでも表組であればなんでも良い。
とにかく、一つ一つ、台本を読みながらメモをしていく。
大抵、後半になって、あ!前半のあそこと繋がってたか!みたいな発見がある。
そしたら、前のシーンの箇条書きの場所に戻ってメモをしておく。
全シーン書き終わったら、今度は縦に読んでいく。
主に、タイトルと、ページ数。
それで、作品の流れやリズムが見えてくる。
自分なりに、四部構成の起承転結に分けていく。
ここまでの作業をするだけで、台本の構造や構成が、見えてくる。
ああ、実はこの人の登場が物語を動かし始めるんだなぁとか、わかってくる。
そして、自分が作品の中でどんな役割か見えてくる。
特に、主演の時とか、スタッフワークが多いときとかは、必ず解析をしてきた。
作品の流れが頭に入らないと、セリフもしっかり入ってこなかった。
台本には、インデックスシールを貼って、それぞれの章のタイトルを記載していった。
それで、箇条書きにしていった部分を思い出したりしながら、台本をもう一度読むと、全然違って読めた。
ドラムで一番基本的なエイトビートを叩く場合。
バスドラムが4分音符、ハイハットが8分音符、スネアドラムが2分音符になる。
3種類のリズムが重なって、ビートが生まれる。
同じように台本を解析すると、色々な音符がある。
ああ、この笑いのシーンと、シリアスのシーンは交互のようでいて交互ではないんだなとか。
ページ数を確認したら、意外な場所にページ数が長めのシーンを配置していたりとか。
重層的に別のリズムを踏みながら、物語と言うビートが生まれているのがわかる。
ドラムスと同じように、クライマックスには畳みかけがやってくる。
まるで譜面のように、ブレイクがあったり、変拍子があったり、ブリッジがあったりする。
リフレインがあって、サビに向かっていく。
作家たちがどこまで計算してそこまで書いているのかはわからないけれど。
直感やセンスだとしても、物語をどう構築したいのか、見えなかったものが見えてくる。
このシーンはちょっと長いな。助長だなと思ったり、このシーンはページ数は多いけどテンポが速いぞと気付いたり。
最近の舞台ではそこまでやる機会はあまりなかったけれど。
まぁ、配役表までで十分に対応できる状況だっただけだ。
でも映画「セブンガールズ」では、やらざるを得なかった。
徹底的に解析した。
全体を把握する人がいないと難しくなると聞いていたからだ。
このシーンの次ってなんだっけ?と聞かれてすぐに答えられないようじゃダメだと思っていた。
だから、久々、徹底的に解析を繰り返した。
セブンガールズの時は、これに場所だとか必要な小道具、その時の衣装などなど。
項目を倍以上に増やしていった。
完全把握をしておこうと思っていたからだ。
今週、5月公演の監督の班の台本に改訂が入って、データで受け取った。
スタッフさんに送るためだ。
今、さらっと読んで、久々に解析でもしようかなぁとか考えている自分がいた。
いやいや、それは必要ない。
出演するわけでも、演出するわけでもないのだ。
あまりにも把握してしまうと、余計なことまで考えてしまいそうだ。
それに読むだけで、自然とその台本の構成を同時に確認するようになっていた。
立体的に台本を読んでいく癖がついている。
配役表すら創らない公演は久々だ。
それは、台本を書く前に創ったけれど。
ようするに、いつも解析しているのと逆の順番で、台本を書いたという事だ。
誰かに教わったわけじゃない。
完全に自分オリヂナルのやり方だと思う。
なんか、演出で悔しいことを言われて、腹が立って、やるようになったような記憶がぼんやりとある。
それも遥か昔すぎてよくわからない。
少なくても劇団に合流するより前の話だ。
その頃は、パソコンじゃなくて、ノートだったけれど。
頭で解析して、感覚に落とし込む。
結局、シンプルに言えばそういうことなだけだけれど。
自分で書くと、その全てが書き出されないでも、頭の中にあるのだなぁ。
でも、それはどっちなのだろう?
そういう作業をしてきたからこそ、頭の中に出来るのか。
頭の中にあるものを、文章化してきただけなのか。
ちょっとわからないけれど。
地道に積み重ねてきた経験だ。
映画を創る!なんて、大層な夢を口にしながら。
実際には、地道に、コツコツを積み上げるしかやれることはなかった。
なんにも変わっていない。
今も、同じことを続けている。