映像編集をする。
映画に比べれば、なんてことのない編集だ。
書き出しのスピードもあっという間。
よくもまぁ長編映画の編集までやったものだと改めて思う。
納品して、直しがあれば直せる状態にしておいて今日は終わる。
でも、手間が少ないだけで、結局、映画編集と同じように考える。
そういえば、今週の舞台稽古で役者の一人が言っていた。
いつもよりも、実は大変だよ・・・と。
そんなわけないと思うかもしれない。
いつもは2時間を超えるような作品で、今回は約30分の作品。
だったら、いつもの4分の1と思うかもしれない。
でも、実際は、全然そんなことはない。
30分になっても、少人数だからだ。
自然、物語の中での役割も増えるし、セリフ量も増えていく。
30分ずっと舞台上にいる役者なんかは、いつもよりも出演時間もセリフも多くなる。
その上、その30分の中で、きちんと作品を成立させなくてはいけない。
説明的な部分、感情の部分、クライマックス、物語を閉じていくこと。
やらなきゃいけないことは、時間の長さに関係なくやっぱりある。
それも、いつもは分業で誰かがやってくれていたことまでやらなくてはいけない。
10分程度の短編をいくつもやるのと違って、中編3本というのは、逆にいつも以上に大変なのかもしれない。
15秒や30秒のCMと、長編映画の編集のどちらが大変か?と聞かれたら。
大抵の映像の仕事をする人は、悩むんじゃないだろうか?
CMは短いけれど、短い中で映画以上の調整がある。
CGもあるだろうし、使うソフトだって違う。
1コマずつの調整だって、普通にある。
商品のイメージそのものだから、当然と言えば当然。
つまり長さと大変さというのは、まるっきり比例していない。
短い編集。
そりゃあ、長編映画の編集に比べれば、かかる時間が違いすぎるけれど。
作業工程は、やっぱり、映画と同じだけの工程数がある。
組み立てから、確認まで、どうしたって同じことをしていく。
スピード感が違うだけだ。
いつかまた、長編映画や、中編、短編と編集する日があるだろうか?
別に編集マンになりたいわけじゃないのだけれど、そんなことも考える。
まぁ、どう考えても時代の流れは、映像コンテンツを必要としているのだから。
そのスキルが無駄になることはないのだけれど。
・・・というか、どんな経験だって無駄なんかないのだけれど。
ネット配信、衛星放送、有線を含めて、映像コンテンツが不足している時代だ。
そんな時、どんなことにでも対応できる状態であるのは、大事なことなはずだ。
実際、ショートフィルムだったら、もういつでも創れる。
長編になると、さすがに撮影日数だとかいろいろ考えなくちゃできないけれど。
短編でいいなら、すぐにでも企画書を書ける。
そのぐらいのスキルが既についている。
何をやろうとしたって。
時間が長かろうが、短かろうが。
結局は同じなのだ。
やることはやる。
大変なものは大変。
楽しいことは楽しいのだ。