稽古日。
いつものように別の班の演出を見学して、自分の班を仕上げていく。
先週通したから、それぞれの班で、細かい部分に手を入れ始めている。
同じようなことをやっているようで、それぞれやり方が違う。
結局、どこをどうやって切り取るのかが作品になる。
例えば「出産」をテーマにした作品を創るとすれば。
妊娠がわかったその日からの10か月を描く物語にするのか。
それとも、陣痛が始まってからの数時間を描く物語にするのか。
思い切って、破水してから出産するまでのリアルタイムの2時間を物語にするのか。
ひょっとすれば、祖父の代からの回想を繋げて、あらゆる世代を描いて、最後に現代の出産を描くかもしれない。
同じテーマだとしても、どの場面をどうやって切り抜くのは作者によって作品によって変わる。
視点はカメラワークなだけじゃなくて、時間を越え、空間を越え、どこを切り取るかで色を変えていく。
演出もそうなのかもしれない。
役者の演技をどうやって見せていくのか、作品をどうやって見せていくのか。
どこを切り取るのかが重要なのかもしれない。
先週の通しを終えて、それまでは出来なかったことに着手し始めた。
役者の芝居にはいくつもの当たりがある。
それでも間違ってないよね、というのよりも、それそれ!というまさに当たり。
でも、その当たりが一種類とは限らない。
そういう場面では、自分の班では役者に任せるようにしている。
そこは任すよ、それでいいよ。そのままで充分だよ。
当たりなのだから、何も手を入れなくても良い。
それでも間違ってないというレベルではないのだから、当たっているのだから。
それでも、今日の稽古からは、そこからのチョイスにも手を付けるようにし始めた。
うん、こっちの方で。そっちはやめちゃおう。
それは、ある意味で、好みの部分でもあるかもしれない。
自分が好きな方を選んでしまっている可能性がある。
だとすれば、それは好みの違う人を受け入れないという事にもなりかねない。
幅があるほど作品は深くなるのだし、役者がチョイスする場面が合っていい。
意外に、そのぐらいおおらかに考えているタイプなのだけれど。
そこまで、手を入れ始める。
自分の解釈の説明をして、だから、こうあって欲しいという細かい部分。
幅で生まれる深みではなくて、濃い厚さにシフトしていこうとしていた。
ディティールまで、意味がある。解釈は広く出来るけれど、決める。
深さの面白さともまた少し違う、厚みのある芝居。
それは、実は時間があって、ある一定のレベルにまで行って、そこから更にの作業なのだと思う。
時間がなければ、当然、当たりの数を増やした方がいい。
時間が合って、当たりばかりになっているからこそ、そこに進める。
先週の通し稽古のあと、ここからの課題を考えて、個々に進みたいというのが見つかった。
それが、厚みだ。
重厚でも、濃厚でもいい。
ライトな芝居でも深みはある。創れる。
でも、厚みのある芝居は、それと意識しないと創れない。
厚みがあって、更に深みがあれば、なお面白い。
何故かと言えば、それは3作品の同時上演の中で、他の作品との差異もある。
それに加えて、うちのライトな芝居の持つ、かろみという武器をどう扱うか悩んでいた部分でもある。
自分たちが持つ最大の武器である、かろみ。ライトな部分。
その抽斗は持っているし、いつだってやってきたのだから。
前回の公演が終わって、それから続けて稽古の延長線上にあるものとして。
これまでの劇団にはなかったような、分厚さのようなものにあえて踏み込もうと思った。
かろみで勝負したって、素晴らしいメンバーを選んでおきながらだ。
うまく、そういう稽古が出来たのかはわからない。
でも、自分の中では、少し踏み込んでいた。
踏み込んで選んでも、充分に行間を感じて、演じてくれるメンバーでもあるからだ。
それをやることが出来る企画だからだ。
映画「セブンガールズ」の公開が待っている。
映像の強み、映像の凄さ、自由度を知った今。
舞台だけが持つ、いくつかの重要な要素の中から。
それを選んだ。
公開した後に、それをやりたくても簡単に出来ないであろうことを。
今、やっておこうと決意した。