2018年04月30日

それだけでいいのです。

煙草が切れそうなので、夜中に外に出る。
一つ、印刷物がほぼ完成したのもあった。
見上げれば、低い空に満月。
やあやあ。そこから何が見える?

昼間にいくつかの連絡。
作業もいくつか。
でも、今日はペースダウン。
昼間も買い物に出かけて、セリフを諳んじていた。
自分なりに決めているスケジュールをはみ出さないようにしながら。
前日の作業が思ったよりも進んだからだ。

さて、次は、あれか・・・。
その前に、あれに手を付けるか?
いずれにせよ、明けて、明日は観ないとだ。

4月が終わる。
毎年4月の終わりはGW期間中で紛れているような気がする。

5月の公演に向けてもいよいよだ。
次回の公演では、いよいよ監督が全ての作品の通し稽古を目にする。
先日のスタッフさんに見せた通し稽古とはまた違った緊張感がある。
その通し稽古では、音も流せるかもしれない。
今日のトオルさんの日記を読んで、通しで、音出しできそうだなと感じる。
音台本の作成に入っているという内容。
音が入れば、また一つ、本番に近い稽古になる。
どんな感触だろう?
今は、まだ楽しみにしている。
初めて聞いた時と、実際に芝居に合わせた時、2度も楽しめる。

今日はここまでだな。
まぁまぁだけど、それでも、進んだ。
スケジュール通り。

まぁ、大事なことは結局、そこに懸ける思いなのだ。
色々と細々としたことはあるけれど。
何処に向かっているのか、どんな思いがあるのか。
人間なんて矮小で、生まれながらの資質もあるし、なるようにしかならないけれど。
それでも、そこに思いがあるかないかで、なんだか、大きく違ってくる。
少なくても、記憶に残るようなことって、そこに必ず何かがある。

4月が終わるなぁ。
5月がやってくるなぁ。
この5月が新しいスタートになるなぁ。

まんまるお月様。
そんなに低い所にいつもいたんだっけ?
月光浴になんの意味があるのかもわからないけれど。
まるで、心の鏡のように。
月は、煌々と光りながら、笑っている。

一人でも多くの観てくださる人が、何かを持って帰ってくれたらいいな。
それだけだ。

それだけでいいのです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:29| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

幸せは歩いてこない

5月公演に向けての印刷物と、細かい連絡事項が続く。
作業を重ねながら、それでも、あんまり詰め詰めにしないように。
考える時間もきちんと創りながら、作業を続ける。
PCにレイアウトのフル表示をして、少し離れた場所から見たり。
時間がないときはハイスピードで対応するけれど。
余裕まではないまでも、そこまで急ぐ必要性がないなら、そこにも時間を使う。

頭を切り替えるために、ネットの巡回をする。
実は先週から音楽の吉田トオルさんのBLOGを気にしていて。
・・・というのも、監督の作品であれば、その関係性、これまでの経験がある。
だから、作品の中のツボをすぐに見つけられるだろうし、イメージもしやすいだろうと思う。
それが、今回は、他に2つ、ほぼはじめましてな作家の作品を舞台で上演する。
いつもよりもきっと、少し感覚が違うだろうなぁと思っていた。
そしたらやはり、監督作品の音楽をある程度仕上げてから、少し苦労しているように見受けられたから。
ああ、なんだか、申し訳ないなぁ・・・そうだよなぁ・・・と感じていた。
そんなネット巡回をして、作業に戻ると、深夜の時刻に連絡が一本あった。
なるほど、今、あの作品のあのあたりの曲を・・・と。
どういう順番で製作しているかもまったくわからないのだけれど。
そうはいっても、近い時期に、曲が届くことを予感する。
届けば、すぐに、再生オペレーションが出来る状態まで仕込む。
むしろ、普段の公演よりも、音響オペレーションについて考えなくちゃいけない企画だからだ。

そう思えば、今、やれることはなるべく詰めておきたい。
色々な連絡がある。
映画公開に向けてのこと、映画試写会に向けてのこと、5月公演、WEB。
それに加えて、自分としては、映画のリリースノート的なものをまとめたいなぁと思っている。
先日の打ち合わせをメモのままにせず、一本の資料に仕上げる。
まだ、パワポかPDFかも決めていないけれど・・・。
正式な資料ではなく、プレ資料のようなもの。
宣伝ディレクターがいないのであれば、営業ツール的なものを用意して、ポイントの整理が必要。
ミーティングをきちんと形にしていくにはどうしたらいいか考えて、それがいいと思っている。
その為には、細かい作業が大事。

とは言え、作業ばかりに没頭していてはいけない。
必ず毎日、自分の出番の芝居を、イメージトレーニングや、声に出して練習する。
中々、切り替えられないけれど、無理なら、近所のコンビニに設置してあるベンチにでも行けばいい。
30分の芝居の中の一部だから、大した時間はかからない。
一人でこねくっていると、マイナス部分もあるから要注意なのだけれど。

すごく忙しそうに思えるかもしれないけれど。
自分のペースでやっているし、今じゃないなと思ったらやらないし。
やっていても、今日はここまでだと思えばやめるようにしている。
一気に追い込むというよりも、漠然と全体感を感じながらやりたいというのもある。
余裕が生む隙間からアイデアが降ってくることだってあるのを知っている。

ただただ楽しみだ。
色々なことに手を付けながら。
プライオリティを〆切を意識しつつ。
同時に起きているすべてを楽しみにしている。
トオルさんから届く音楽は、今の時点ですでにワクワクしているし。
今している連絡関連も、まとまるのを楽しみにしている。
やることは多いのに。
むしろ、余裕を持って出来るのは、そういう精神状態に理由があるのかもしれない。
5月の舞台に、試写会に、映画の公開に、前に前に進んでいるのだ。

さて、次は何をしようかな?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 18:16| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月28日

「コミュニケーション」と同じ意味の日本語がない

前サッカー日本代表監督の記者会見が生中継された。
記者会見前はいくつものゴシップが流れた。
暴露会見だとか、ハリルの逆襲だとか、徹底抗戦だとか。
けれど、蓋を開けてみれば、日本に感謝しているとか、サポーターだとか。
もちろん、納得いかない部分もあるけれど、趣旨としては友人だという事なんだと感じた。
きっと、派手な応酬を期待していたマスコミは肩透かしをくらったんじゃないだろうか?
言葉の端々を拾って、批判的な言葉ばかり強調するような記事が出てくるのだろうけれど。

ただなんというか、とってもとっても「コミュニケーション」について考える内容だった。
島国であり、長く異国との交流を立っていた国であり、単一民族国家である日本人の「コミュニケーション」
そもそも、コミュニケーションという日本語がないということ。
交流とか、意思の疎通とか、考えてしまうけれど、これという日本語はない。
そもそも、日本人の生き方の中に、コミュニケーションという発想自体がない証拠だ。
恐らく、外国のコミュニケーションの意味と、日本人のコミュニケーションの意味は、根本的に違う。
ましてハリル監督は、民族闘争を重ねた国を故郷に持ち、今や多民族国家になった異国に住んでいる。
フランスの地でも、変人と呼ばれる監督にとってのコミュニケーションは、簡単に理解できるものではない。

恐らく、どちらが言っていることも正しいぞ、これは・・・と感じた。
起きていることの、把握の仕方の違いだ。見方の違いだ。
何か意見を言って、監督が反論をする。
日本人はそこで強く言い返すよりも、一旦、自分の中で納めるし、監督を立てる。
それが続けば、何を言っても言い返されるだけで、話を聞いてくれないとなってしまう。
逆に、監督からすれば、そこで黙るのであれば、納得していると思ってしまう。
監督だからと言って、自分を立てる必要なんかないという印象が強いコメントを出す監督だったし。
それは、多くの日本人スタッフもそうだったようで、監督自身が、勤勉で、忠実な働きぶりに感銘を受けたと言っている。
まさに、察する文化である日本人と、言葉の文化である西欧との、差異が、出てしまった案件だと感じた。

小津安二郎監督の「東京物語」が、海外での高評価であったり。
日本人は奥ゆかしいという、評価であったり。
海外に進出したスポーツ選手が、自分から意見を言わないと何も起きない、と言ったり。
そういう全てが、コミュニケーションについての差を表していて。
選手が海外進出して、海外のレベルを肌で感じてきたとしても、事務方のグローバライゼーションが進まなければ、こういうことが起きるのだなぁと、ぼんやりと考えている。
でも、逆を言えば、それこそが実は日本人の特徴だし、日本人の持つ強さなのかもしれない。
長い事、日本人の特徴とか、日本人のサッカーを目指すなんて言うけれど・・・本当はそこなんじゃないだろうか?
基本的に内向きの日本人は、いざという時やトラブルの時、その内向きが外向きに一気に変わることがあって。
そういう時の全体で一つになる力こそ、実は、日本人のスタイルのような気もする。
全然、戦術じゃないじゃないかと言われそうだけれど、歴史的に観ても自然災害や火災の多いこの国は、いざという時ほど、力を発揮するような精神性が培われていると思えてくる。

今回は不幸な別れになってしまったけれど。
国民性なんて簡単に変わることがないのだから。
教訓にして、それでも海外の戦術や考え方を吸収できるようになれるといいなぁと思う。
日本人そのものがコミュニケーション障害があると言っているわけじゃない。
むしろ、ハリルさんと多くの日本人はこれからも関係が続くわけだし。
ウチとソトの観念がなくなることはきっとない。
国際交流とか、国際戦略とか、ソトに出るという発想から脱却することは出来ない。
それでも心を通わせたり、異文化を受け入れることが出来る強さ。
そういうことを、スポーツも文化も、もっと意識的になって良い。

シモキタから世界へ・・そういうスローガンの中で色々なことを考えた。
海外で高評価な日本映画の、何が評価されたのかとかも、考察し続けてきた。
日本の察する文化は、決して恥ずかしいものではない。
文化としては、むしろ、海外に美しいとさえ言われている部分だ。
極東の島国という特殊な地理条件の中で培われた美徳を、否定する必要なんかないと思う。

ウチ向きから、ソト向きに、切り替える瞬間。
歌舞伎でも、能でも、そういう場面を劇にしてきた。
あるいはウチを、つまびらかにすることを、劇としてきた。
映画も演劇も、人間を描くものなのだとすれば、本当の意味での橋渡しになる。

コミュニケーションは大事だけれど。
関係性こそ大事なのだとしてきたこと。
そういうことを、きちんと理解して起きたいなぁと思う。

それはきっと、世界と繋がっているという事だから。


ハリルさんのサッカーはとっても楽しみだったけれど。
窮地に立った時の日本人のサッカーも、やっぱり楽しみだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 16:49| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする