印刷された5月公演のチケットが届く。
印刷が終わった時点でこれは金券だから管理をする。
枚数を確認して、手売りする劇団員に配る分もより分けていく。
茶封筒に枚数を振り分けて、受付で必要な分や、予備で取っておく分を用意しておく。
チケット発売日前に、どうやら無事配ることが出来そうだ。
明日の通しの時に配るスタッフさんの台本を準備する。
稽古で多少セリフや段取りが変更になっているからだ。
変更部分を直していく。
細かいト書きも直した方がいいのか悩む部分もあったけれど、それほど時間はかからない。
かつての原稿用紙とはここが違う。
削除すれば自動的に行が詰まるし、追加すれば自動的に行が下がる。
上書きも差し込みも自由自在だ。
出来上がった台本をプリントアウトする。
照明さん用、音楽用。
ネットワークが不調で、2回出力してしまった。全4部。
でも、観ている人が欲しいとか、音響OPで必要になる場合もあるかと気付く。
自分の班にしか配っていないから、別の班で欲しい人がいればコピーする原本があった方が良い。
一応、明日の通しの前に4部用意しておいて正解かもしれない。
データで渡すのは、明日以降で良いと今は思っている。
明日の通しは実際の本番の順番が決まっていないのもあって、一つ一つやっていくことになる。
恐らく、一つの班をやるごとに、簡単な打ち合わせや、次の班の準備、休憩を取ることになる。
監督が夜間に用事があるとのことで、監督の班からだけど、来れないかもしれない。
だから、その班の後だけ、あまり打ち合わせがない可能性もあるけれど。
いや、そうもいかないか。
一応、必要なことは確認済みだから、伝えなくちゃいけないだろう。
照明さんには、通しの前に、セットの説明もしなくちゃいけない。
尺だって出していかなくちゃいけない。
考えてみれば、役者に集中するのは、多分、自分の班になってからパンと切り替えるしかないと気付く。
通しだけではなくて、明日は印刷物も届く。
全員で、DMハガキに、切手や宛名シールを張る作業がある。
一枚一枚、気持ちを込める。
今や、DMハガキも、なくなりつつある文化だ。
メールマガジンに切り替えた団体もあるし、SNSで知らせることにした劇団も多い。
うちは、いつまでやるのかとか、決めていない。
実際、切手代だけでも、20年間の累計のお客様に送っているのだから大きな予算が必要だ。
とは言え、高齢の方や、ネットやスマフォが苦手な方もいるはずだし。
郵便で届いて気付く方もきっといるはずだ。
毎回、楽しみにして、ファイリングしてくださっているお客様もいると聞いたことがある。
簡単にやめることは出来ないだろう。
映画公開の時も、DMを送れたらいいのだけれど。
そんな予算を組めるかどうかはわからない。
けれど、より多くの人に伝えた方がきっと良いはずだ。
従来のお客様に伝えなければ、意味がないと思う。
3月最後の日曜日に通し稽古。
実は、おいらが芝居を始めたばかりの頃は、そのぐらいが普通だった。
そこから稽古をして、よりよくしていくということをした。
でも、実際の世の中の劇団はそうでもないと、後から知った。
台本がギリギリになる劇団もあるし、通しは直前までやらない劇団もあった。
稽古スケジュールはそれぞれに、スタイルがあった。
映像の現場では、本読みをしたら、次はもうリハーサルで、本番というのがほとんどだ。
芝居が出来てから更に、その芝居について考えていくというのは、とっても贅沢なことという事だ。
ふと考えた。
今、台本の直しやチケットの準備をしながら。
今頃、きっと、皆、台本に取り組んでいるんだなぁと。
明日の通し稽古。
少しでも良いものをスタッフさんに見せたいはずだ。
それで、音楽や照明のプランが決まるのだから。
恥ずかしいものは見せられないという意識だってある。
稽古スケジュールを前倒しでやってきたおいらの班のメンバーだって、同じはずだ。
きっと、整えている。
楽しみな夜だ。
明日は、誰の、どんな芝居に、興奮するだろう。
良い緊張感が大好物だ。
稽古は嘘をつかない。