2018年03月24日

丸腰で戦っているような

スタッフさんに通し稽古を観てもらうと決まってから。
自分も稽古で役者をやるようにしているのだけれど。
一番稽古の進みが遅い班と同じぐらいのスタートを切ったのだけれど。
客席側で観て演出をしているのとは、もうまったく違う感覚が生々しくそこにある。
知っているはずなのに、改めて、そのことに気付く。

とにかく、相手役と対峙するだけで、見透かされる。
客席で観ていて、見透かされることとは違う位相で。
もっとずっと感覚的なものでだ。
ほんの一瞬でも気を抜けば、それが相手役にはわかってしまうという感覚がある。
いつもその場所にいたからわかっているはずなのに。

セブンガールズでもね。
視線が合っただけで、瞬間に心が通うような場面が何度もあった。
映像を観てもそれはわかる。
そう、そういう感覚こそ、もう芝居の本質と言ってもいいのかもしれない。

特に今回の企画公演は、持ち時間いっぱいに、少人数で舞台に立ち続ける。
短いシーンが続いたり、大勢シーンがあったり、一度楽屋に戻れたりというのがない。
少しだけ説明しちゃおうなんて言う芝居をすると、すぐにばれるようなヒリヒリ感がある中でだ。

それは途轍もない緊張感を持ってる。
相手役との丸裸の心でぶつかっている感覚。
何かしてしまえばばれてしまう奴。
想像していたけれど、想像していた以上に、この女優三人はそういう場所で芝居をしていた。
もう、演じ甲斐しかない。
出演する一人が「丸腰で戦っているような」とBLOGで書いていたのもとてもよくわかる。

でも、その逆もある。
ああ、今、完全に劇世界の中にいるという実感がわく瞬間が来る。
視界にない役者の動きまで、ほんの小さな空気まで手に取るようにわかるような感覚。
その緊張感の中から逃げなければ、そういう感覚になっていく。
違和感がなくなっていく。

ああ、今日はすごい日だ。
そういう日が来るといいなぁ。

基本は三人芝居。
その三人芝居に異物として自分も出演する。
その異物感すら、不自然じゃなくなるのは、何度稽古を重ねたら来るだろう?

演出の間、代役を頼んでいた役者が口にした言葉がある。
「もう、これ、セリフ覚えなきゃ無理な領域に入ってる」
代役で台本を持ったまま演じているのに、その空気感に引きづり込まれている証拠だ。
その空気の中で演じないと、もう稽古にならないという事に気付いたのだと思う。

役作りをするというのは、色々なものを付加するような感じがあるけれど。
不思議なものだ。
どんどん丸腰になって、丸裸になっていく。
無駄なものを削っていく作業が増えていく。
安っぽい表面上の演技じゃ、すぐに見透かされてしまう。
技術なんてもので胡麻化しきれない。

ああ、こわいこわい。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:47| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする