2018年03月01日

春の嵐の足音

前日の予報をみていたから傘を持っていったのに。
電車の中で、春の嵐が翌日にずれ込んでいたことを知る。
傘を持って歩くのは好きじゃないのに。
劇団員の中には、台風が来るという予報でも傘を持たない人間もいる。
あそこまでじゃあないけれど。

雨音がする。
雨雲レーダーを見たら確かに赤い部分がどんどん近づいている。
皆様、お気を付けください。
ビニール傘だと、壊れちゃって、びしょびしょになるレベルの風速だもんね・・・。

さてとさてと。
やることが山積みのはずだ。
少しずつ手を付けていくものと、優先順位の高いもの。
自分の中でタスク管理して、進めないと、後々えらいことになるだろう。
まずは、5月公演の準備系列を整理していかないとだ。
当たり前のことを当たり前にやっていかなくちゃ。
その上でのプラスアルファなのだから。

時間は限られている。
人生も限られている。

大杉漣さんは40代で売れて、役者以外の仕事をしないで済むようになった。
その時に、長い下積みからブレイクしたことをインタビューされて、強い違和感を感じたらしい。
そりゃそうだ。
転形劇場に在籍した16年間は、芝居を追求し続けていた日々で。
ブレイクするための下積みだったわけがないのだから。
僕の仕事は、下積みをずっと続けていくことなんですよって答えたらしい。
なんだか、とっても、頷ける。
同じ転形劇場の、品川徹さんに至っては、60歳を過ぎてから、売れたなんて言われたりして。
そういうことじゃないよなぁって思う。
大杉さんにとって、転形劇場の頃も、現在も、同じことをし続けていただけだった。

正直、20周年を迎えるにあたって。
これを下積みだと思ってやっていた日なんかなかった。
っていうか、そんなこと思う暇なんか、毎回なかった。
稽古は必要だし、アクションの練習したり、公演の準備したり。
走り回って、少しでも良い作品にしようとしていただけだ。
目の前のお客様がどうしたら楽しんでくれるかばかり考えていただけだ。
今も、下積みという意識は、まったくない。
そもそも、今の十代や二十代で活躍している俳優を「下積まず」とも思わない。
こういう感覚って、社会一般的にはずれているのだろうか?

先日、ふと気付いた。
自分に芝居を教えてくださった師匠が亡くなった年齢を・・・。
今の師とも言える、監督が追い抜いたことを。
ああ、そうなんだ・・・と、なんか不思議な気分になった。
あの頃、十代のおいらから見たら、50代の先生は、遥か彼方のおじさんだったから。
今、もし生きていたら、70代半ばなんだな・・・。
なんだろう。この感覚。
先生の劇団は転形劇場ほど有名ではなかったと思うけれど、その世界では有名だった。
先生は世間的に言うブレイクはしなかったけれど、下積みだけしていたなんて言わせない。

時間は限られている。
実際の作業に入る前の、漠然とした時間だって必要だ。
頭の中で、ぼんやりとイメージを膨らませていくような時間。
焦らず、着実に、一歩ずつだ。

次回企画公演の中で、1本、作・演出をする。
それは、責任を負うという意味でもある。
自分なりの腹のくくり方と、責任をまっとうしなくちゃいけない。
ざっくりやっておけばいいという仕事ではない。

さあ。
時間は限られている。
タスクを整理するんだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:36| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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