2018年03月28日

2年前のこの時期、映画製作でとても問題になっていたのがシナリオだった。
というのも、シナリオの分量が通常の映画で考えるとどう考えても多すぎるという事だった。
120分の長編映画の通常のシナリオの約4倍のページ数があると指摘されていた。
もちろん、テンポであるとか、あるいは短いセリフの数だとか、細かいト書きだとか。
そういう全てが影響しているからこそ、そういう分量になっていたのだけれど。
シンプルにページ数で判断して、これは撮影しきれないというプロデューサーからの言葉があった。
監督も、おいらも、いや、これで大丈夫ですしか言えない。
舞台でやっているから、このぐらいの分量は体感で大丈夫と理解しているけれど。
実際に体感していなければ、4倍という分量は流石に無理だと思うのが当たり前だ。

結局シナリオは何度も書き換えたけれど、大きく分量が変わることはなかった。
実際のリハーサルを観れば、ああ、このテンポかと撮影現場ではすぐに理解されたけれど。
撮影が始まるまでは、スタッフさん全員が、無理だと言っていた。

「は?」とか「え?」とかも、シナリオだと1行になってしまう。
20文字で一行だとすれば、物凄い短いセリフだ。
それが何度も出てくる。
そして、それがテンポを生んでいく。
役者は3行以上にわたるセリフをもらうと、自分の間で、セリフを言い出す。
その間を、別の役が「え?」で埋めていくから、自分の間を使えなくなる。
長台詞に合いの手が既に入っている状態と言っていい。
それがリズムを生んで、言葉の理解を高めるように出来ている。
実際に、それを演じてきたからその効果は良く知っているし、面白いと思っている。
だから、監督の台本は自然と、普通の台本よりも、行数が増えるし、当然ページ数が増えていく。
けれど、実はそれは、とっても日常の会話に近いものでもある。

先日の通し稽古を始める前にスタッフさんが驚いていたことがある。
3作品、全て持ち時間は同じなのに。
まったく、それぞれでページ数が違っていたからだ。
監督の台本は、倍近いページ数になっていた。
そもそもの、演じるスピード感、テンポが違うという事になる。
おいらともう一人の台本も、ページ数が普通に考えればありえないほど違っている。
え?こんなにページ数が違うんだ?と、思ったぐらいだ。
どっちが多くて、どっちが少なかったかは、まぁ、今は書かないけれど。

多分、時間的なものと、台本のページ数は全く関係ないのだと思う。
ものすごい感覚的なもので、今回は作家と演出家が同じだから、脳内の感覚が合っていればその時間になる。
実際、感覚的に30分ぐらいのはずだと思って書いた作品を通して観たら、29分を少し回るぐらいで終わった。
一つ一つ、ここはもうちょっと間があった方がいいよとか伝えているだけなのに、そのぐらい正確な数字になる。
脳内で、芝居を作りながら書いているのだから、これはこの時間内でこの台本を演じてくださいという指定でもあるのだ。
ただ、その脳内のモノや、テンポは目に見えるものじゃない。
楽譜のようにテンポを書けるわけではないのだから。
そうなると、目に見えるもの・・・ページ数で、判断されるんだろうなぁと思う。

そういうことって、実は、色々な作品で起きているはずだと思う。
例えば、連続ドラマは、〆切と撮影と、重なりながらどんどん進む。
無駄なことは殆どできない中で、作家は、ページ数で判断されているはずだ。
書いたものを尺的に、厳しいと泣く泣くカットした・・・なんて時々見かけるけれど。
じゃぁ、とその放送を観ると、別にカットしないでも良かったんじゃないか?というケースもあるはずだ。
ワンショットの空の風景がやけに長かったりして、逆に尺が足りなくて苦労したような映像もある。
シンプルに作家の頭の中に流れるテンポを、数値化できないからだ。

そういうのって、とっても難しい。

実際、作家にとってみれば、たった1行のセリフをたっぷり演じて欲しい場合もあるし。
やけにセリフが多いシーンは、セリフが重なり合いながら、すごいテンポで進んで欲しかったりもする。
こればっかりは、伝えようがないのかもしれない。
つまり、それこそが、台本の解釈と言う奴なのだけれど。

ふと、台本を読み返してみれば。
自分の書いた台本のト書きに、観念的な言葉も書いてあった。
それは、役者やスタッフさんに、より解釈してもらえるように書いたものだった。
暗転や、明転、登場、退場、音楽、などなど、具体的なト書きとはまるで違う異質な言葉。
具体的に何かをすることは出来ない、抽象的な表現。

それは、お客様には開示されない、感じてもらう言葉だ。
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2018年03月27日

カクシゴトはじまりはじまり

日曜に通し稽古をして、チケット発売という日程が少し感覚的にずれている。
いつも、チケット発売の頃に役が決まって演出が始まったりするからだ。
前倒しで稽古をするのなんて映画「セブンガールズ」の撮影前ぐらいだった。

通して、発売開始して。
今になって「カクシゴト」というタイトルが、とても合っているなぁと感じた。
・・・というのも、そもそも、オムニバス公演だと普通は共通項が決まっていたりするからだ。
例えば「ファンタジー」とかジャンルで括ったり、「恋愛」とかテーマで括ってみたり。
あるいは「ことわざ」と骨格で縛ったり、同じ登場人物を一人設定してみたり。
それを持って、いくつかの作品を一つの興行にしていく。
でも、今回は本当にバラバラに、ヨーイドンで書いた作品が3作品だから、共通項を探すことになった。

3作品に通じる何かがあるといいなぁと、監督から言われて、それから探すという逆の順番だった。
結果的に「カクシゴト」というタイトルが見つかって、どの作品にも共通していた。
3作品にはそれぞれタイトルがついているけれど、同時に3作品ともカクシゴトというタイトルでもおかしくない。
そういう作品がきちんと並んでいた。
まぁ、監督は少し「カクシゴト」というタイトルに寄せたかもしれないけれど。

そんなことを言ったら、小説でも映画でも漫画でも、どんな作品でも隠していることはあるかもしれない。
でも、全てが、隔していることそのものを作品の中心にしている作品なわけでもない。
映画「セブンガールズ」にだってカクシゴトがあるけれど、それがメインなわけじゃない。
今回の3作品は、見事に「カクシゴト」を中心に置いている作品群だった。
偶然なのか何なのかわからないけれど。
それぞれの作品を観終わってみて、初めて、ああカクシゴトだなぁと感じるんじゃないかと思う。
3作品それぞれの隠し方になっているから、そういう違いも見えてくる。
明らかにされるカクシゴトもあれば、隔したままのカクシゴトもあるかもしれない。

音楽の吉田トオルさんがBLOGで早速、曲のスケッチが出来たと書いている。
相変わらず、仕事が早い・・・。
もちろん、まだ残像が残っているうちにということもあるのだろうけれど。

皆様のお手元に届いているDMにもカクシゴトが仕込んである。
それは、まぁ、別におまけのようなものなのだけれど。

この公演は企画公演だけど。
戦略的な公演でもある。
映画「セブンガールズ」公開に向けての段階でもあるし、劇団のステップでもある。
その戦略は、実ははるか先まで見ていて、そのとっかかりぐらいに思っている。
やっぱり、面白いことやるなぁと言われたい。面白いことを考えるなぁと言われたい。
その一心で進んできて、その一つの到達点が、劇団での映画製作なんて言う活動になったわけだけど。
それだって、戦略的に線になっていって、初めて踏み込めたことだ。

映画を製作したというのは、未来に繋がっていることで。
その未来の風景を想定しながら、戦略的な企画を練っていく。
一見、ただの企画公演だけれど、これがあるから、その先があるという未来もある。
もちろん、評判次第でまた変わってくるだろうけれど。
まだ先の話はカクシゴトだけれど。

だからこそ、一人でも多くの人に目撃してほしい。
同じ空気を共有してほしい。
そして、何かを感じたり、何かを持って帰ってほしい。
この物語は実は始まったばかりだからだ。
映画公開後の世界まで含めて、始めていることだからだ。
同じ劇場で同じ空気を吸って、体感してほしい。

それは、脈動に近い。
目には見えないカクシゴトだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:28| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月26日

通し稽古

郵便物の受け取りもあるから早めに稽古場に。
スタッフさんが来る準備をしておく。
床を仮想舞台にして、椅子を用意して、台本の準備。セットのモデルの準備。

それぞれが自主稽古を始める。
衣装に着替える役者もいる。
班によっては、全体でのセリフ合わせも。動きの確認も。
自分の班はもうジタバタしない。
先週までで、充分に準備してあるから、あとは心の問題。

各班の通し稽古が順番に始まる。
ストップウォッチで尺を出しながら、きちんと観る。
通しで観れる機会は、他の班はどちらも初めて。
通して観てはじめて見えるものや、わかることが出てくる。
全体の中で、弱い部分、強い部分も見えてくる。
なるほど。

自分の班は最後。
人の班の稽古を観ていると緊張感が増えて行ったのだけれど。
ある時点で、それも抜けていった。
まぁ、なるようになるし、準備はしてある。
ややこしい、細かい演出も、稽古でしか獲得できなかったものも、ある。
それをいつもより良く見せようと思ったって、それは難しい。
いつもの稽古通りにやる。
ここまでくれば、まぁ、それだけだな・・・という感覚。

配った台本を見ながら、時々台本から目を離して芝居を観るスタッフさん。
自分の班の後半で、音楽のトオルさんも照明の河上さんも、台本から目を離しているのを観る。
じぃっと、芝居や表情を観ている。
それだけで、充分な満足。
魅力的な役者の表情が出ているシーンだったから、より嬉しい。

通しが終わって、軽くミーティング。
音楽について、照明について。
基本的にはお任せだけれど、まるで何もないわけでもない。
基本的には、こんな感じでというのだけお願いしてみる。
けれど、そのお願いの範囲を超えても、越えなくても良い。
すでに信頼しているスタッフワークなのだから。

そのまま5月公演のDMを製作。
手を動かしながらの、ミーティング。
久々に大勢集まると、まぁ、とても賑やかだ。
ミーティングで伝えるべきことは伝わっていたのか。
ちょっとわからないけれど、まぁ、仕方がない。
やけに急いでいるメンバーがいると思ったら、DM作業を早めに終わらせたくて仕方がない様子。
気付けば、ミーティングそっちのけで、掃除まで始めている。
スタッフさんが待っているから、酒席に行きたいのかと、笑ってしまう。

早めに切り上げて、飲み屋に。
作品について、スタッフさんに確認したいことを聞いておく。
もうこの辺は伝わらなくてもいいやと思っていたことも、ずばずばと見抜かれている。
ああ、こういう細かい部分まで伝わっているのか・・・と安心する。
もちろん、怖いのは怖い。
吉田トオルさんが、作品のテーマそのものを下敷きに、音楽の話を始める。
わあ、わあ、わあ。と心の中がざわつく。
テーマなんて伝えていないのに、もうそれが当たり前に出てくる。
そう、この感覚は、そういえばショートフィルムの「オクリビ」以来かもしれない。
自分で書いた作品に音を付けてもらうのなんて、それ以来なのだから。

演出で、こうなると嬉しいと言ってあったラスト。
その演出を聞いていたかのような、照明の河上さんの一言。
これも、嬉しかった。

まぁ、それで一安心とはならないのだけれど。
長く付き合っている、スタッフさんの洞察力。
完全なお客様の視点とはやっぱり違う。
お客様の感想は、きっと、また別のものになるのだから。
それでも、だいぶ、大きな力を頂いた。
まだ少し怖い部分はあるから、おごらないで済むと考えればいいか。

飲みの席に現れた飛び入りゲストとの話。
まるっきり、20周年そのものの馬鹿話だった。
それも盛り上がって、気付けばいつもよりも長く長く飲んでいた。

帰りの電車で、急速に眠くなって目を閉じた。
目を閉じた瞬間から、今日演じた役者の自分が出てきた。
自分の芝居をそういえばまともに振り返っていなかったと気付く。
寝ているのか起きているのかわからない半覚醒の中。
ゆっくりと、相手役の、あの目を思い出していた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:36| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする