春の公演の全体のタイトルが決まる。
これまでは仮タイトルだったから、タイトルを考えましょうと提案してあった。
3本の中編を3班に分かれて上演するから、それぞれの作家に確認した。
今まで、あまりそういうことがなかったから、とても新鮮。
もちろん、それぞれの作品のタイトルもあるわけだけれど、全体タイトルも作品と関係性が出てくる。
へたすれば、タイトルがテーマになってしまうケースだってあるのだから、確認が必要だ。
元々、このテーマでそれぞれ作品を創ろうというのがなかったので、自由に創られている。
それでも、どこかに共通点があるはずだと思っていたけれど、うまく、共通点が見つかった。
タイトルというのは、とても重要だ。
看板そのものなのだから。
商品名と言ってもいいものだから。
とにかく、内容が一発でわかるようなタイトルも良いし。
なんとなく、愛着がわくようなタイトルもまた素晴らしい。
逆に意味は解らないけれど、作品を観終わってから、納得してしまうタイトルだってある。
隠れているテーマを暗示しているようなタイトルもある。
中には本能に訴えるようなタイトル・・・エロティシズムを埋めておくようなケースも。
自分の好みは、作品を観ていて、タイトルを忘れた頃に、もう一度思い出させてくれるような作品。
作品世界に没入していくうちに、作品の中で流れている物語に集中してしまう。
そんな時、ふいに、タイトルを思い出してしまうような、一節が出てくると、ぞぞぞとする。
もちろん、オシャレなタイトルも好きだし、文章のようなタイトルも好き。
逆にあまり好きじゃないのは、一目で内容がわかるようなタイトルというのは、苦手だったりする。
それは、別にあらすじとか、キャッチコピーとか、他の情報で出してくれたらいいのにって思ってしまう。
後から、ちょっと、何でこのタイトルにしたかわからないなぁっていうのも、あるにはある。
そういうのは、なんか、騙されたような気がして厭になったりもする。
海外の映画の邦題なんかは、面白いもの、素晴らしいもの、たくさんあるんだけれど。
全然続編じゃないのに、まるで人気映画の続編のようなタイトルを付けていたりする。
ああいうのは、とっても好きじゃない。
アルマゲドンとか、ジョーズとか、安易だなぁと思う。
あれは、要するに作家や監督じゃなくて、配給側が付けているからなのだろうけれど。
今は、あまり、そういうことも少なくなっている。
重要なセリフをタイトルにしている場合があって。
実は、それも、とっても好き。
そのセリフに辿り着くまでにどうやって物語が進んでいるのか。
タイトルをお客様が忘れるぐらいまで、物語を動かせるのか。
そして、どれだけ不意打ちで、想像外の場面で、タイトルを口にするのか。
すごく計算されていて、同時に、物語に没入していた自分に気付くような瞬間になって。
監督の作品の中で、笑いのシーンで突発的にタイトルを口にして。
「おい!どさくさに紛れて、一番大事なセリフ言ってんじゃねぇ!」ってツッコミがあったことがあって。
ああ、この人の頭の中の構造は、なんというか、やっぱり普通には辿り着けないなぁと、笑ったことがある。
笑ったというのは別に馬鹿にしているわけではなくて、純粋に尊敬しすぎて笑っちゃうのだ。
こんなことを思いつくなんてどうかしているとも思うし。
仮に思いついたとしても、そのシーンを実際に書くというのも、どうかしている。
まるで、いたずらっ子だ。
監督の昔の作品で「また冬が来て」というタイトルの作品があって。
そのタイトルは、自分のセリフに出てきたことがあって。
それは、台本を読んだ時から痺れたのだけれど。
このタイトルからお客様や、役者たちが想像していたイメージがあるのだけれど。
そうじゃなくて、このセリフの後に続く言葉こそ、大事だったことがある。
それなんかは、とっても、計算されていて、作品の背景になっている歴史まで知っているともっと感動するようになっていた。
あれはやっぱり、台本を書き始めた頃から、ほとんどラストのこのセリフが決まっていたんだなぁと思う。
どこかで出そう・・・と思ってたという場合もあるけれど。
あの作品を思い出すと、そうとしか思えない。
セブンガールズというタイトルも、キャッチーでありながら、仕掛けがある。
なんせ、物語が始まる時、娼婦が8人もいるのだから。
セブンガールズも、台本を書き始めた当初からタイトルが決まってた。
つまり、物語の流れや構造は、すでに決まっている所から書き始めていたはずだ。
タイトルは、それ自体はただの看板だし、商品名でしかない。
作品を体感した後、タイトルは特別な意味を持つ。
その瞬間、その作品は忘れられないものに変わるのだと思う。