背中に電気が走って、体が微かに震えて。
自分が自分ではなくなったような浮遊感があって。
そういう激しい感動を一度経験すると、もう一度、そんな経験をしたいと感じる。
感動する作品を創りたい。
それは、映像でも舞台でも、なんでも。
いつか、自分が感じたような感動が生まれるような。
そんな作品を創りたい。
感動すると言っても、どうやって判断するんだよ?と思う。
例えば、コメディなら笑い声というわかりやすい結果がある。
例えば、悲劇や感動作品なら、涙というわかりやすい結果がある。
でも、その深さは簡単に測れない。
どかんと笑い声が起きても、深さの違いのようなものがある。
あれは笑ったなぁ・・・といつまでも忘れられない笑いがある。
あれは泣いたなぁ・・・といつまでも忘れられない涙がある。
それは、受け取る側のモノだし、発信する側が更にそれを知ることなんか出来っこない。
けれど、不思議なことだけど、手ごたえがある。
あれは、なんというか、口で説明できるようなものでもないのだけれど。
カーテンコールの拍手や、お客様の表情や、ほんの小さなことで、感じる手ごたえ。
舞台だとそれがよりはっきりしていて、一体感のようなものを感じたりもする。
去年観たドラマですら、感動したはずなのに、物語を思い出せないことがある。
それなのに、子供の頃に観たアニメで泣きじゃくったことは忘れられない。
それは、感動の深さなのか?と聞かれると、ちょっと難しい。
子供の頃は何もかも新鮮で、感受性が高すぎる。
初めての感動は、忘れにくいし、記憶に残りやすいだろうなぁと思う。
それに、たくさんの作品を観れば、感動をしやすくなったりもする。
年を取ると涙腺が弱くなるなんて言うけれど、様々な経験が、自分の記憶と重なる。
それに、それまでにはわからなかった、感動する場所をみつけるようになる。
ただの日の出の映像が、やけに感動してしまうようになったりする。
人生を重ねた分、感受性や新鮮さが目減りしていたって、モノの意が読めるようになっている。
でも、だからこそ、大人になってからの感動で、忘れられないというのは、凄いことだと思う。
あの時のあのシーン。あの時のあのセリフ。あの作品のあの役のあの表情。
忘れたくても、忘れられない。思い出すだけで、心が動いてしまう。
そういうことが、打率は低いけれど起きる。
映像で記憶したり、音で記憶したり、匂いや他の五感で記憶したり。
文字通り刻まれる。
絶対に感動するような物語のロジックというのはすでに発見されている。
ハリウッド映画であるとか、少年ジャンプであるとかは、そのノウハウを蓄積し続けている。
ストーリーテリング、ドラマツルギー、もちろん、新しい形の物語の発見も続いている。
視点であるとか、現代性であるとか、オリジナリティで新しく見せる方法も確立されている。
そういう既に開発されつくした状況なのに、何でだろう?
どかんと、今でも感動させられてしまうことがある。
深く刺さる。
世界観が変わることだってある。
誰かの人生が変わってしまうことだってある。
そういうことが実際にあって。
自分の生きてきた中でも起きてきたことで。
結局、今も、そういう感動ばかり探しているんだなぁと思う。
忘れられないような、大きな感動を。