2018年02月05日

製図板

新しい季節が始まると思って家を出る。
いきなり自動販売機で当たりが出る。
よし、幸先良いスタート。

稽古場に着くと、別班の稽古・・・ミーティングの時間を利用して、別作業。
頭の中で組み立てて映像にしたものを展開していくような作業。
限られた中で、どこまで出来るかの勝負。
知っていることを集めて。
図面を引くのは久々。
電気設計をしていた父は、製図板にいつも向かっていたなぁなんて思いながら。
最低限だけれど、工夫の利いた奴を。

今日も自分の班は、一人メンバーが所用にて欠席。先週とは別の役者。
代役を立てたり、やりようはあるけれど、役者からの提案で、解釈稽古。
台本の解釈を共有していく作業。
聞かれたことに、丁寧に答えるようにする。
伝わり方が間違えれば、解釈の意味がない。
自分はどうやればいいか?という言葉に、自分だけでは出来ないと思うとか。
どうしても、抽象的というか、全体感の話に進んでしまう。
微妙なバランス感覚を全員で共有して、綱渡りしながら、作品の空気が出来ていけばいい。

その後の稽古の時も、多少、作業を続けて。
途中で切り上げて、見学する。
苦しんでいる仲間を観る。
でも、本当の意味で苦しんでいるのはテクニカルな部分ではない。
作品に向かう姿勢の部分とか、根本の部分で苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
それぞれの班で、責任もプレッシャーも違う。
良い方向に進めばいい。
今は、そういう時期というだけだ。

何かを伝える。
伝わった相手が、そのまま受け取らない場合もある。
自分に都合の良い解釈をしてしまうというのは、実は良くある話だ。
その場合は、結局、伝えているけれど、伝わっていない。
よほど注意しないと、いつの間にか、違う形になっていく。
結局、言葉なんてものは道具でしかない。
考えていること、感じていることを、そのままテレパシーで送れたら、ズレなんか生まれない。
それが出来ないから、言葉という道具を駆使する。
それでも、言葉の意味を汲み取る時に、別の形にされてしまう場合がある。
相手の目を見て、息遣いを聞いて、初めて伝わるようなことは、解釈なんてチンケなことは出来ない。

呑みに行く。
フラストレーションが溜まっている人もいる。
シンプルに酒を楽しむ人もいる。
頭の中の情報がうまく整理できていなくて、話しながら整理する人がいる。
そういう中で、何かを共有していく。
そこに、余計な解釈はない。
いや、あるのかもしれないけれど。

そこにとどまることを良しとしない。
常に変化を求めている。
それがどこに向かうかわからないとしても、変化を求める。
なんとなく進んでいくことが一番気持ちが悪い。

今日もいくつかは進んだ。
よし、来週は、どこまで進もうか?
全体を思う。
バランスを思う。

大丈夫。
幸先の良いスタートを切っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:16| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする