節分だ。
最近はすっかり関西の習慣の恵方巻が、全国的になったようで。
どこに行っても、美味しそうな太巻きが売っている。
子供の頃は、恵方巻なんかなくて、豆とケーキの日だった。
弟の誕生日が節分だったから、ケーキも食べることが出来た。
バタークリームのケーキとか、たぬきの形のケーキとかもあった。
節分というのは、結局どんな意味があるのかもわかっていなかったのだけれど。
いつだったか、本番前の稽古日が節分に重なった日があって。
その日の稽古場が保育園のすぐそばだった。
突然、子供たちの大声が聞こえて、何事が起きているのかと覗いてみたら。
鬼たちが逃げ回って、子供たちに追い回されていた。
泣きじゃくっている子供もいたけれど、今の子供だけあって。
ぶっころしてやるーー!とか叫んでいて、とても面白かった。
節分というのは、季節の大晦日のようなものだと知ったのなんか、大人になってからだ。
節分とは?で調べたら、大抵、立春の前日だった。
また、新しい一年が始まる、その前日。
豆まきは、除夜の鐘なんかと同じような意味だった。
きっと、農耕文化にとっては、とても大事な日だったんだなぁ。
一年の中でも、立春は大事な日だから。
茶摘みの歌に出てくる、八十八夜は、立春から数えて88回目の日のことを言うように。
農耕にとって、立春とは、正月に近い日なんだなぁ。
恵方というのも、恵方巻だけじゃなくて、節分の日に恵方を向いて手を合わせたりという文化があって。
それが、なんとなくイベント的になっている。
思えば、大事な日の前日を祝うなんて、クリスマスと正月ぐらいなものだ。
どちらも、日本人は、とても上手にイベント的な変換をして、楽しんでいる。
イベントには季節感というものがつきものだけれど。
むしろ、逆で、季節を表す日に、イベントを創っていったというのはとても面白い。
旗揚げ20周年という年だから、暦がとても気になる。
節分の今日が終わりなら。
明日は、スタートの日だという事だ。
新しい1年が始まる。
春に向かっての第一歩。
そんな日に稽古かと、考えてみる。
恵方巻を食べるか、豆をまくか。
何かはしようと思いつつ。
一陽来復のオフダもないし。
それでも、なんとなく、今年は、恵方に向かって手を合わせてみようと思う。
良い一年になりますように。
願っているのは、仏様でも神様でもなく、大自然そのものだ。
なんだか、その感じがとても良いから。
とても大事な季節が始まるのだから。