見上げると、煌々と輝く満月。
皆既月食が始まる前。
通常より大きく見える、スーパームーン。
今月の2日もスーパームーンだった。
余りの輝きに、空の色が群青色になっていた。
移動して、少ししたら、月の一部が暗くなっていた。
皆既月食がはじまっていた。
それでも、そんな影をものともしないような明るさ。
帰宅して、そろそろかな?と、外に出て、空を見上げる。
想像以上に暗く、真っ赤な、フルムーンがそこにあった。
1時間以上も続く皆既月食なんて、過去にあっただろうか?
地球の影・・・。
あまりの壮大な天体ショーにしびれていく。
なぜ、日食は太陽が隠れてしまうのに、月食は赤くなるのだろう?
いつも調べようと思って忘れてしまう。
太陽の大きさと、地球の大きさと、月の大きさ。
天体モデルなんかで、その大きさの差を見たことがあるだろうか?
信じられないほど、太陽が馬鹿でかいのに、知らない人は大体驚く。
なぜなら、見上げた空にある太陽と月の大きさは、それほど差がないからだ。
でも、実は、それは、奇跡なのだそうだ。
地球から見た太陽と、地球から見た月。
大きさも距離も違うこの二つが、ほぼ同じ面積に見えるのは、ただの偶然なのだ。
地球が太陽にもう少し近かったら。
月が、もうちょっと小さかったら。
そういうことは起きない。
偶然にしては、出来すぎている。
太陽の神様や月の神様が本当にいるんじゃないかと思ってしまう。
時として、奇跡は神の意図に見えてしまう。
偶然にしては、本当に、正確に同じような面積なのだそうだ。
まるで、誰かが太陽の真似をして作ったかのように。
日食が起きるのは、同じ大きさだからだ。
同じ大きさに見えるからこそ、産まれた文化、宗教がある。思考がある。
違う大きさだったら、今とは全然違う世界になっている。
そう思えば、おいらたちは、奇跡の中で生かされているのだと思うよ。
天文学者の多くは、宇宙人の存在を、信じるらしい。
余りにも広い宇宙空間に、地球と似たような惑星があって。
だとすれば、地球外生命体もきっといるだろうという結論になるんだそうだ。
まぁ、知的生命体とか、超文明があって地球に現れるなんて信じている人は、全然、少ないらしいけれど。
けれど生物学者の多くは、宇宙人の存在を、信じないらしい。
無機質から有機質が生まれる可能性。その有機質が単純生物になる可能性。
そして、生物が生まれるまでにかかる時間。工程。
その可能性を調べれば調べるほど、今わかっている宇宙空間の広さでも、生命は生まれないんだそうだ。
だから、地球に生命が生まれたことは、ほとんど、奇跡的な確率だと言う。
こんな奇跡が、他の惑星でも起きているとなると、もうほとんど0%に近い数字なのだという。
言葉を有して、道具を使いこなす、知的生命体が生まれることなんて。
確率論からすれば、限りなく0%に近い事。
そもそも、おいらたちが生きて、考えて、悩んでいること自体が、奇跡なのだ。
奇跡の中で生かされているのだと思うよ。
運命なんて信じない。
星の動きが、人生を占えるわけがない。
現実はいつだって目の前にある。
でも、実は、生きていることが奇跡というのも現実だったりする。
天体の動きは、遠くエジプト文明やメソポタミア文明の時代から、読まれてきた。
そこに運命を感じるのは、あながち、わからなくもないじゃないか。
膨大な空間と。
膨大な時間と。
その中で、産まれた小さな奇跡。
地球の公転軌道と、月の衛星軌道が、交差することで生まれた赤い月の奇跡の日。
月を隠したあの影は、おいらが立つこの大地の夜。
小さすぎる自分に愕然としながら。
あの大地の夜の一部であることを信じられないでいる。
奇跡の中で生かされている。