2018年02月28日

八寒二温

「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」が後半を迎えてLINE LIVEをするというニュース
放送開始前だったりとは違って、ここに来てというのが、評判が良いという事なんだろうなぁ。
生中継で録画できないタイプのネット配信。
まだ、余り観たことがないけれど、ニッチなニーズに届く新しいタイプのまさにライブだ。
自分も参加した作品が盛り上がっているのだとしたら、とても嬉しいことだ。

そう思っていたら、連絡があった。
電車に乗っていたから、降りてから電話で話す。
待っていた連絡。
ぶるっと震える。
さて、何から手を付けようか?

帰宅して、告知をしたり、連絡をしたりが続く。
着実に一つずつ。
何をすればいいか。どう広げていけばいいか。
そのために積み重ねるように学んできた。
余りにも早いインターネットの世界にも後れを取らないように。

明日は春の嵐がやってくるという。
雨ももちろんだけれど、風が凄いらしい。
寒い日が続いて、必ずやってくる南からの低気圧。
思えば2月の終わり。
急に生暖かくなったら、それはもう風が吹き始めているはずだ。
3月に入れば、寒の戻りで、また寒い日がやってくるけれど。
三寒四温を繰り返して、ようやく春が来るのだから、普通のことだ。

自分の人生だけで観れば、八寒二温ぐらいが、どうも本当なんじゃないかって気もする。
八寒をどうすごすかで、二温が変わる。
そのぐらいに思っていないと、耐えられないんだろうなぁ。
本当は、九一かもしれないし、暖かい日が来なかった時もあったかもしれない。

それでも、良い風が吹いているなぁと感じる時があって。
そういう時は、自分に勢いをつけて飛び出す。
勢いだけでもいいから、一歩でも先に進めるようにする。
その為に準備しているのだから。していたのだから。
またやってくる冬の前に、少しでも前に出るように。

まぁ、そろそろ、冬にも飽きてきたころだ。

春の準備にとりかかろう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:44| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

クローズアップされたもの

冬季五輪が終わって選手たちが帰国した。
金メダルを獲得した選手たちはもちろん大人気だったけれど。
銅メダルの女子カーリングチームの人気がすごくて、色々な番組に呼ばれている。
日本国内だけじゃなくて、会場の韓国でも大人気だったらしい。

理由はもちろん、あのピンマイクで拾った北海道訛りの会話であったり、おやつを食べる姿であったり。
笑顔を絶やさなかったり、やけに明るかったりしたことなんだけれど。
スピードスケートのパシュートでの金メダルも含めて、改めて感じたことがある。

日本人の数人のチームワークの面白さだ。

例えば日本の町工場は、世界で認められている。
下町の小さな工場でしか作れないネジがあったりする。
その工場に行くと、世界の大企業の下請けだというのにほんの数人。
その数人だけが作れるネジがあるなんてことが、日本にはザラにある。
もちろん、日本だけじゃなくて、世界にもそういうチームはあるけれど。
なんというか、日本は、そういうスモールパッケージなチーム作りが上手だなぁと思う。

大きな会社でも実はそうなんじゃないだろうか?
会社があって、部があって、課があって、その中にチームがある。
実は、そのチームって、4~5人ということが多いんじゃないだろうか。
核家族ぐらいの人数だ。
実際に日本史の授業でも、五人組について習った記憶がある。
支配者が統治しやすいように創った制度の一つだったと記憶しているけれど。
でも、実際には、五人組というチームは、とても仕事を円滑に運んだようにも思う。

日本人は世界中の中でも、内向的なのだそうだ。
はっきりと人にものを言わない。
察するという文化がある。
けれど、それだけじゃ、何かを決めなくちゃいけない時も前に進むことが出来なくなる。
忌憚なく意見を言い合える最小単位が5人程度なんじゃないだろうか。
大勢だと発言しない人が、少人数のチームだと発言するということも多い。

もちろん、バスケやバレーボールなんかの体格がモノをいうスポーツだと不利な部分もあるけれど。
その不利をチームワークで埋めようとする場面を思えば何度も見てきた。
そういえば戦隊ものもずっと5人だったし、最近は多いけれど、アイドルグループなんかもそのぐらいの人数ばかりだった。
お互いのバランスを取りやすく、同時に全体も見やすい。
そして、世代を超えて、日本人は5人ぐらいでチームを組むという遺伝があるんじゃないだろうか。
或いは、学校教育の班分けっていうのは意外に大人になっても影響しているのかもしれない。

諸外国のカーリングのチームと、日本人のチームの、違いがとっても面白かった。
仕事仲間でありながら、ライバルでありながら、友人というバランスを、とても上手に取っていた。
他の国だと、絶対的なリーダーがいるんだなぁと思ったのだけれど。
日本人のチームには、明確なリーダーは見当たらなかった。
コーチボックスに対しての敬意も、少し形が違ったように思う。

主張するよりも、相手を察しようとする。
そういう文化が形成されていて。
5人という単位の中だと、全員のことを察することが出来るのかもしれない。
諸外国のチームがリーダーだったり、役割が決まっていく、主張や優先順位が付いていくのに対して。
どうも、日本人のチームは自分の主張はともかく、お互いを思っているなぁと感じた。
韓国の女子パシュートが、大問題で揺れているけれど、日本人のチームであれは絶対に起きないはずだ。

誇らしくもあるけれど。
なんというか、いじましくもある。
サッカーの本田選手のような自己主張の強い選手に、むしろ、憧れてしまったりもする。
何が良くて、何が悪いという事はないのだけれど。
国民性が出るスポーツって言うのが、やっぱあるんだなぁ。

これはとても面白い事なんだと思う。
別に日本人が特別だ!なんて思っていない。
どの国にもお国柄や国民性って言うのはあるのだから。
ラテンのやけに明るい国民性とか憧れちゃうもんな。
ただ、おいらは日本人で、日本で演劇や映画や芝居のことを考えている。
多分、どんなに西洋風に作品を創っても、海外の人から見たら、日本的オリエンタルな表現になってるだろう。
無自覚に、そうなっていることは、まぁ、しょうがないけれど。
それでも、自覚できれば、なお良いと思う。
ああ、こういうところが日本らしいって思われるんだろうなぁと、せめて気付くべきじゃないかなぁ。
それはむしろ、財産なんだから。
ルーツというのは、何かを表現する時に、いつだって最大の武器になるのだから。

お互いを思いやれる最小限の人数のチーム。

そだねージャパンは大人気になるわけだ。
日本人なら誰だって、どこかで経験したような。
そんなチーム作りをしていたのだから。
戦略的面白さをクローズアップするためにつけたピンマイクが。
彼女たちの人間性や、日本人の国民性をむしろクローズアップしていた。

メダルなんか関係なく、きっと、人気になっただろうなぁって思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:19| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

正解はないのに不正解はある

稽古日。今日も早めに行く。
今週からは、バミリは後輩がやると聞いていたけれど、後輩が東京マラソンの迂回で遅れていた。
早速、別班の稽古している中をバミリのビニールテープ貼りをしていく。
稽古をしているすぐそばにしゃがんでいるのが、何やら面白かった。

ほぼ初演出であろう、稽古を見学する。
先週は本読みだっから、立ち稽古は初になる。
お笑いコンビを組んでいたことがある役者だから、演じながら色々チェックしていくのは初ではない筈だ。
それに、普段の公演でも、自主稽古的に自分のシーンをいじったりしている、
それでも、初は初なのだから、演出のスタイルもないだろうし、まだ手探りだと思う。

演出家の言葉なんか3割も伝わらない。
かつて、先生に聞かされたことがある。
演出家の演出意図が100%伝わることはありえないこと。
いかに、わかりやすく説明しても、いかに一生懸命説明しても。
頭で考えているイメージの言語化をして、更にそれを伝えられる表現に変換して。
でも、結局それは言語化されたイメージだから、実際の頭の中のイメージとの誤差は埋められない。
その上、役者にも解釈があるし、肉体的な優先順位もある。
どれだけ説明しても、伝わっていると実感を持てないのが演出家だというのは頷ける。
それでも、伝えないといけない。
こうして欲しい、この方が良い、ここは違う。
シンプルな言葉であったり、擬音であったり、少しずつでも伝えていく。

きっと初演出と言っても、演出家になったつもりはないのだろう。
むしろ、皆で創っていくという意思が強いやり方で、伝え続けている。
きっと気付いた頃に、演出のスタイルが確立されているはずだ。
それが、また、楽しみでもある。

自分の稽古に入る。
所作に始まって、先週の続き。
おいらは、演出は初めてではない。
自分なりに既にスタイルがあって、本番まで段階的に進んでいく癖がある。
基本的には、具体的に、一歩前に出るとか、振り向いてからにするとか、そういうことを中心にする。
気持ちの説明はあまりちゃんとはしないで、するとすれば、気持ちの流れだけ口にする。
そんな中で、ここの間をもう少し開けて欲しいというお願いをする。
そこに少しだけ、緊張感のある時間が生まれたら、その後が変化するはずだと思ったからだ。
素晴らしいメンバーで、それに、即対応して、さっきとは違う芝居をしてくれる。
そしたら、思った以上の変化が生まれた。
ああ、今のは多分、役者が「当たり」を見つけたんじゃないか?と感じた。
ほんの少し、間を創るだけで、劇的に印象が変わる。
だから、劇作は面白い。

それまでは伝わりづらかった心の痛みが、急に伝わってきたりする。
あれは、なんなのだろう?

その後、全部踏まえて、頭から流していく。
止めそうな雰囲気を出しながら、最後まで止めずに通す。
細かくつけた後で、完全に集中出来なかったり、意識が途切れたりするのはわかっていながら。
そのまま、止めずに、感情の流れを見ていく。
ああ、ここか。ここに一つ波を創ると、もう一個、後半に繋がるかな?
そういうものを見つけ出しておく。
それは、また次回の稽古で、提案して、役者の変化を確認してからだ。

その後、監督の班の稽古を見学する。
とても楽しかった。
演劇は肉体言語なんだよなぁと、わかる稽古。
ダンスや舞踊、舞踏、様々な肉体言語があるけれど。
様式だけではなくて、例えば、息切れしている胸の動きが、言語になるのが演劇。
布団の中で、寝返りを打つ動きが言語になるのが演劇。
そこに明確なルールはないけれど、そこに明確な意図がある。
良い役者は、その意図が伝わってくる。
様式じゃない分、基礎的な稽古があるようでない。
緊張を伝え、愛情を伝え、希望を伝え、そういうことを肉体言語化できるかどうかはとても重要で。

監督が、演出をしたがっていると感じる。
したがっていると書くと、なんだか語弊があるけれど。
芝居作りを開始したいんだなぁと、感じた。
肉体的な部分や決め事の部分をクリアして、役者からの持ち込みを待って。
それから、演出を始めたいと感じているなぁと。
段取り的にやらなくてはいけない稽古だとしても。
いよいよ、ここから演出を開始するんだなというのを感じた。

演出家なんて交通整理でしかないよ。と演出家たちは口にする。
結局は、交通整理をして、そこを役者がどうしていくのかだからだ。
実際の舞台上の動きの整理もあるし、心の交通整理もある。

先週までは、3人の作家的作業という見方だったけれど。
稽古は、3人の演出家的作業の段階に入っていた。
自分はともかく、人の演出を観ることも楽しい。
とっても、参考になる。
ああ、面白いことを言うなぁと、拾っていく。

稽古場を観ることが出来るのは、自分たちだけだ。
お客様に見せるものではない。
そんな稽古場をとても楽しんでいる自分がいる。
何人かの演出を観ることが出来る機会なんて、あまりないのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:19| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする