「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」ご覧いただけているでしょうか?
劇団の坂崎愛が出演しております。
今回いよいよ、作品の骨子があきらかになったわけです。
日めくりカレンダーやスマートフォン、紙包みなどの、伏線が回収されていました。
見逃した方は、是非に、リンク先のGYAO!さんから。
恐らく、第三話を観て、もう一度、一話から観る人もいるんじゃないかなぁ・・・。
あれ?なんだ、これ・・・あ!そういうことか!というのが見つかるはずです。
物語は、もう、最初の第一話から、仕込まれていたのでありますねぇ。
今期のドラマも始まって、色々とチェックしています。
マチ子は、もちろんなのですが、個人的に一番はまっているのが、「anone」という作品です。
坂元裕二さんが「mother」「Woman」に続く三部作の完結編として書いていると知って。
放送前から楽しみでありました。
前日の放送が三回目でしたが、相変わらず涙腺を刺激されたわけです。
anoneは、そのまま「あのね」という呼びかけがある作品ですけれど・・・。
登場人物にも、アノネさんという名前が出てくるわけですが・・・。
恐らく、「a none」という意味が含められています。
そのまま、「ないよ」ということだと思うわけです。
様々な、種がまかれている段階でとても、興味深く観ています。
様々な「ない」が、作品のあちこちにちりばめられています。
作中で、出てくるのかな・・・。NONEという単語・・。
第一話は。
家族から見放され、その上死別して、家族も過去も失った少女を中心に書かれていました。
第二話は。
母であることが出来なかった女性を中心に、その少女との出会いを書いていました。
第三話は。
父になる機能がなく、未来をも失った男とその友人を中心に書いていました。
まだ作品の中心人物が二人も残っていて、前半でそれぞれの「ない」が描かれていました。
それぞれが不完全で、何かが欠けた登場人物たち。
恐らく残りの二人も、それぞれに何かを抱えている。
・・・いや、足りないものがある。
その足りない何かが、一瞬、埋まるような瞬間に、泣いてしまうのかなぁ・・・。
徹底的に口語体のセリフが書かれています。
「えと・・・うん・・・あの、あれ、そうじゃないっていうか・・・」
みたいな、口ごもるような文体にするとどうなんだろう?というセリフも書かれていて。
田中裕子さんは、流石に全て、それを自分の言葉にされていて。
小林聡美さんとのやり取りは、凄すぎて、思わず笑ってしまうほどでした。
昨晩、第三話を観終わってから、ずっと、それぞれのことを考えていて。
どんな風に、この物語を創ったのだろう?
どうやって、このドラマを組み立てていくのだろう?
・・・と、そんなことばかり考えていました。
電車の中で、5年前の「それでも、生きていく」のDVD発売時の、対談をみつけました。
これがまた、とってもとっても、刺激的な内容で・・・。
どんな作品にもテーマがあります。
そして、作品を製作する前に、アティチュードが決まっている。
こういうことをやる!
そこから、作家は、創造していくわけです。
自分で世界を創っているのに、坂元裕二さんが、役者が全てです。と言い切っていて。
ああ、やっぱり、この人はすげえんだなぁと、改めて思った次第です。
逆を言えば、こんな作品をやらせてもらえる作家さんなんか、早々いないのだろうなぁとも思います。
映画だって、原作物以外を、自由に作れる環境にある監督はそうはいないのだから。
俳優だから、芝居を観てしまうし。
色々なことをやってきたから、その作品の本質のようなものも探してしまう。
普通に、ただドラマを楽しむ方法とは違うのだろうなぁと漠然と思っています。
気軽に見て、なんとなく楽しい作品も世の中にはたくさんあるわけで・・・。
だから、おいらは、あまり人にドラマを勧めません。
同業の役者たちとは、よく話をするのだけれど。
マチ子もアノネも。
もちろん、セブンガールズも。
おいらが、面白いと思う場所と。
世の中が面白いと思う場所はずれているのかもしれない。
それでも、ちゃんと分析して。
自分の表現が、世に届くように。
少なくてもわかってなきゃいけないぞと、再び思いました。
なにせ、おいらにも、色々、足りていないから。
…a none