稽古日。
稽古場に向かうと勇気ある堂々とした態度に出会う。
本当は恥ずかしいことも、分けることなく、さらけ出す。
それは、簡単なようで簡単ではない。
自分たちの稽古。
素晴らしい、一挙手一投足に出会う。
そんなことは許されるのか?と思うようなこと。
早く、衣装も着けて完成されたこれを観たい。
ディティールを詰めていく。
ほんの小さなこと。
ここは、こういう風に考えてやってみて、変われば・・・。
ぐらいの微妙な変化。
大きな変化はないけれど、小さな変化で違和感が消えていく。
その違和感は観ていてもわかるけれど、より役者の内部の方が大きいと思う。
かと言って、時間を空けて見比べても、気付かないほどの変化。
そのまま稽古見学。
別チームは別チームで、別課題。
少ししんどくなって、外して休む。
スマートフォンに評論家の入水のニュース。
とても驚く。
明確な意図をもって、自裁したのではないかとの記事にどこか納得する。
心が弱ってでも、傷ついてでもなく、意図的に多摩川を進んだというのは。
余りにも、生前の人物像と重なる。
気骨のある人だと、ずっと思っていた。
稽古終わり。
少し立ち話。
監督も驚いていた。
やはり、監督はちゃんと知っていた。
時代というものを、自分なりにちゃんと捉えながら、作品を創っている。
あまり、普段、言わないけれど。
それにしても、入水というのは、余りにもだ。
呑みに行く。
色々な稽古の話。
それぞれの班の話。
振り返る。
良きところ、悪きところ。
次週への課題。
明日は雪だという。
稽古の途中に観た、三日月が、冬の空を照らしていたことを思い出した。
寒かったはずだ。