「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」を観る。
リアルタイムで観れる環境にある。
・・・まぁ、観れないとしてもGYAO!で観れるのだけれど。
観ていて、思ったのが、金井監督のことだ。
金井監督の映画に劇団員が出演したのをきっかけに、いくつか作品を観ている。
監督の今までの作風を思うと、このドラマは作風が大きく違う。
リズムも違うし、芝居の捉え方そのものも違う。
おいらが参加した短いPVなどの作品はまだ近いけれど・・・。
もちろん、映画は自分でシナリオを書くところからやっているから純度が高いはずで。
こういう作品も出来ちゃうんだなぁと、少し驚いている。
作風・・・。
作家や、物づくりの人には、必ず付いて回る言葉だ。
あの人と言えばこういう作品という、一発でわかるようなものだ。
黒澤映画、小津映画、北野映画、深作作品などなど。
やはり、作風、スタイルというのは、持っている。
ファンは、純度の高いものを求め続ける。
けれど、意外にも、どんな作家も、自分のスタイルとは違うような作品を時々世に送り出す。
あれ?こだわってたんじゃなかったの?と拍子抜けするほど、別の作風に挑戦する。
ハードボイルド作家が、急に歴史小説を書くようなことは意外に普通にあることで。
作風やスタイルを大事にしているのは、意外に、ファンなのかもしれないなぁなんて思う。
これを撮影させたら抜群!という人に、プロデューサーが別の作品も・・・ということもあるのだろうし。
作家自身が、たまに、ちょっと変わったこともしたくなるのだろうと思う。
ただそれも、スタイルが確立されているからこそ言えることで。
スタイルなんか何もなければ、色々なことをやるほど、何をやってるんだ?と言われてしまう。
この辺のバランスがとっても難しいんだろうなぁって思うけれど。
スタイルなんて、持ちたくないよと思う人もいながら、スタイルの確立も目指すのだと思う。
セブンガールズは、実は監督が書いてきた作品の中では、少し特殊な作品だと思っている。
クライマックスまでの流れなどが、多くの作品とは違っている。
舞台の時も、それまでになかった挑戦をした作品だった。
ただ絶対に、変わっていない部分もあって。
それは、スタイルとイズムの違いだと思う。
スタイルなんて、しょせん、スタイル。うわもの。
イズムは、もう一歩踏み込んだ、精神的な部分も含んでいる。
イズムは、現場で会ったり、稽古場にもあるもので。
空気のように常にそこにあるもの。
イズムがない作家なんて、恐らく、誰からも作家と認めてもらえないんじゃないだろうか。
意外に、この線引きをきちんと出来ていない人って多い。
スタイルとイズムの間にある線は、意識してもいいぐらい大事なものなのに。
映画評論なんかを読んでいても、そこがごっちゃになったまま作風について書いている人もいて・・・。
まるで違うのだけれどなぁ。
スタイルは、真似は出来ても、受け継ぐことは出来ない。
なぜなら、同じようなスタイルをその後創ったって、真似だと言われるだけだからだ。
全ての創作者は、自分の中から生まれるモノを形にすることでスタイルを確立する。
逆に言えば、新しいスタイルを作った時こそ、何かを受け継いだ瞬間だと思う。
それに比べて、イズムは、受け継いでいくものだ。
血縁なんかよりもずっとずっと濃い遺伝力を持っている。
監督の持つイズムは誰かから受け継いだものなはずだし。
恐らく、おいらも含めて、無意識に既に色濃く受け継いでいるだろう。
役者と言う立場であったとしても、イズムは受け継がれていく。
強く意識しないとなぁと思う。
スタイルはもちろん持つべきものだけれど。
その向こうにイズムがあるという事を。
それがなければ、スタイルはただのファッションになってしまう。
お客様にはいったい、どんなふうに伝わっているだろうか?
おいらたちの持っている、このイズムが。