2018年01月18日

詩を読む

劇団員が「クレーの天使」という詩集を貸してくれた。
先週、ドラマを観て書いた感想に出てきた本だ。
持っている人がいるとは・・・。
クレーの絵画と、谷川俊太郎さんの詩が並んで、まるで絵本のような本だ。
いや、絵本の体裁をとっているのだと思う。
詩は、全て、ひらがなで書かれているのだから。
きっと、子供たちも手に取ることを想定して書かれているはずだ。

かわいい。とか。
美しい。とか。
人によっていろいろな感想があると思うのだけれど。

いつか読んだ時の感想はもう覚えていないけれど。
とにかく、大人になったおいらが読んでみて思ったのは、怖いなぁということだった。
「天使」という存在を、「畏れ」のように感じるとは思わなかった。
怖い本だ、これは。
無垢なもの。無意識にあるもの。
そういうものの持つ危険性まで、あからさまにしている。
きっと、読む人によって感触が違うのだろうけれど。
今のおいらには、そういう感触ばかりが残った。

理性と本能という言葉があるとすれば。
ここに書かれていることは、本能に近い何かだ。
良心のようなものもあれば、暴力性のようなものも潜んでいる。
もっともピュアな場所にこそ、狂気が潜んでいる。

そう思って、クレーの絵を観ると、どこかで何かが柔らかくなる。
ゴリゴリとした自分が、実は何かを守るためにガチガチになっているだけだと気付く。
当たり前で誰でも知っているようなことを、なんでこんなに簡単に忘れてしまうのだろう?
忘れっぽい天使は、微笑んでいる。

詩集は、久々に読んだ。
一時期、読み漁っていた時期もあったのだけれど。
現代詩になると、難解すぎて、集中するほど疲れるようになってしまって、やめた。
久々でも集中して読むことが出来た。

天使は他者か。
それとも、自己の内に潜む何かか。
或いは、集団の中に眠る幻想か。
そうじゃなければ、その全てを含む、トリプルミーニングか。

じゃあ、おいらの中の天使に聞いてみよう・・・なんて口にしたら最後。
おい。自分の中の天使とは、自分なのか?自分の心なのか?自分の本心なのか?と無限に続くことになる。
まるで、自分の中に天使という他者がいるかのように、簡単に口に出来ない。

昔から不思議だった。
悪魔は、神様の反対の言葉だと思っていたのだけれど。
天使と悪魔、なんていうぐらいだから、天使の反対らしい。
恐らく、神様は、何かと比較できないものなのだろうなぁ。
心の中の天使。心の中の悪魔。
天使は、堕ちると、悪魔になる。
この詩集には、悪魔の匂いも漂っている。
堕ちる可能性があるのだから、天使は完全な存在ではない。

本当の意味なんか知らない。
自分が感じたことが詩の全てだ。
難解でも何でもない。
今、ここにあることが、全てだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:37| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする