劇団員が「クレーの天使」という詩集を貸してくれた。
先週、ドラマを観て書いた感想に出てきた本だ。
持っている人がいるとは・・・。
クレーの絵画と、谷川俊太郎さんの詩が並んで、まるで絵本のような本だ。
いや、絵本の体裁をとっているのだと思う。
詩は、全て、ひらがなで書かれているのだから。
きっと、子供たちも手に取ることを想定して書かれているはずだ。
かわいい。とか。
美しい。とか。
人によっていろいろな感想があると思うのだけれど。
いつか読んだ時の感想はもう覚えていないけれど。
とにかく、大人になったおいらが読んでみて思ったのは、怖いなぁということだった。
「天使」という存在を、「畏れ」のように感じるとは思わなかった。
怖い本だ、これは。
無垢なもの。無意識にあるもの。
そういうものの持つ危険性まで、あからさまにしている。
きっと、読む人によって感触が違うのだろうけれど。
今のおいらには、そういう感触ばかりが残った。
理性と本能という言葉があるとすれば。
ここに書かれていることは、本能に近い何かだ。
良心のようなものもあれば、暴力性のようなものも潜んでいる。
もっともピュアな場所にこそ、狂気が潜んでいる。
そう思って、クレーの絵を観ると、どこかで何かが柔らかくなる。
ゴリゴリとした自分が、実は何かを守るためにガチガチになっているだけだと気付く。
当たり前で誰でも知っているようなことを、なんでこんなに簡単に忘れてしまうのだろう?
忘れっぽい天使は、微笑んでいる。
詩集は、久々に読んだ。
一時期、読み漁っていた時期もあったのだけれど。
現代詩になると、難解すぎて、集中するほど疲れるようになってしまって、やめた。
久々でも集中して読むことが出来た。
天使は他者か。
それとも、自己の内に潜む何かか。
或いは、集団の中に眠る幻想か。
そうじゃなければ、その全てを含む、トリプルミーニングか。
じゃあ、おいらの中の天使に聞いてみよう・・・なんて口にしたら最後。
おい。自分の中の天使とは、自分なのか?自分の心なのか?自分の本心なのか?と無限に続くことになる。
まるで、自分の中に天使という他者がいるかのように、簡単に口に出来ない。
昔から不思議だった。
悪魔は、神様の反対の言葉だと思っていたのだけれど。
天使と悪魔、なんていうぐらいだから、天使の反対らしい。
恐らく、神様は、何かと比較できないものなのだろうなぁ。
心の中の天使。心の中の悪魔。
天使は、堕ちると、悪魔になる。
この詩集には、悪魔の匂いも漂っている。
堕ちる可能性があるのだから、天使は完全な存在ではない。
本当の意味なんか知らない。
自分が感じたことが詩の全てだ。
難解でも何でもない。
今、ここにあることが、全てだ。