2018年01月16日

プロットの隙間

監督は作家で、劇団の主宰でもある。
だから、何度かプロットと呼ばれるものを目にしてきた。

通常、役者がプロットを読む機会って余りないのかもしれない。
オファーが来るときは、すでに役が決まっていて、台本が用意されている場合が殆どだからだ。
台本があれば、プロットなんて必要じゃない。
あるとすれば、台本を用意できていない、小劇場なんかでの客演を誘われたときだろうか?
自分が、客演を誘われたときは、台本を見せて欲しいとお願いするのだけれど。
台本がなくて、プロットみたいなものを見せてもらって断ったことがある。
でも、あれも、特殊なケースだと思う。

作家は、作品を書く前にアウトラインというものを書く。
オフィスで使用している人は知らない人が多いのだけれど。
実は、MicrosoftのOfficeに入っているWORDには、アウトラインプロセッサが内蔵されている。
アウトラインというのは、つまり作品の骨格のことで、いわゆるプロットと呼ばれるものに一番近い。
監督は、漫画原作や、映像企画、そういう仕事の話でプロットをまず書くことがあって。
時々、それを見せてくれたりする。
ちなみに、舞台の台本のプロットはあまり見せてくれないけれど・・・。

プロットには、実は形式がない。
それぞれの作家が、それぞれのやり方で書く、用意したものだ。
時々、ネットで検索すると、プロットの意訳が「あらすじ」なんて出てくるけれど、それは間違い。
あらすじはあくまでも、あらすじだし、章を立ててないのだとすれば、アウトラインにすらならない。
いわゆる、作品の設計図のことで、あらすじだけでは、作品はまとまりがないものになりかねない。
ネタバレや設定も含んだものじゃないと、プロットにならない。

書き方なんか自由だし、決まったものなんかないけれど、大体、こんな感じというのはある。
作品のテーマ、登場人物のプロファイル、物語の展開、設定と裏設定、章に分けたあらすじ、雑記。
大体、このぐらいのことが、簡潔に書かれたものだ。
全部の人もいるし、この中のいくつかの人もいるし、分量もそれぞれだ。絵を描く人もいる。
登場人物設定に拘る人は、びっしりとプロファイルを書き込むし。
5~6行の説明にまとめて、あとは書きながらディティールを膨らませていく人もいる。
それがどんな物語で、どんな風に展開するのか。
書いていて、まとまりがなくなりそうになったら読んでみるような。
そんな資料になる。

おいらの一番好きな映画で「SMOKE」という作品がある。
その作品のシナリオは文庫化されて発売されているのだけれど・・・。
シナリオと原作と一緒に、「役者のためのノート」という章があった。
そこには、登場人物の説明が、散文的に書かれていて。
ああ、これは素敵なノートだなぁと感心したのを覚えている。

セブンガールズでは、それも用意した。
撮影期間が短いから、スタッフさん用に作品資料を詳細に用意しておいた。
シナリオの分量が多いという事もあった。
登場人物の設定集、10を超えるエピソード集。
そういうものをひとまとめにしたものだ。
もちろん、これはシナリオを用意した後に書かれたものなのだけれど・・・。
とてもプロットに近いものだったと思う。
舞台台本のシナリオ化だったから、そこまでプロットを用意していたわけでもないと思うのだけれど。
舞台にはなかったエピソードや設定が追加されていて、恐らく、それは監督は用意していたはずだ。

1つのプロットに、1週間以上はかかるんじゃないだろうか。
実は作品を書くよりも時間がかかるのかもしれない。
書き始めれば早い作家も、書き始める前の準備に時間がかかるなんてよくあることだ。
監督もある時期から、まだ書き始められないという期間が出来るようになった。
それは、必要な情報、テーマが見つかっていないという意味だった。
でも、そこがしっかりしているほど、作品の骨格が太くなって、作品に深みが出た。

バンドをやっていた時に、いくつもの詩を書いた。
書き始めればあっという間に書けるのだけれど。
書く前の準備に時間がかかった。
一枚の紙に、テーマを決めて、思い浮かんだワードをどんどん書いていくのだ。
「正月」がテーマなら、かがみもち、たこあげ、おとしだま・・・と、どんどん書いていく。
テーマが「夜」とか「恋愛」とか「かっこいい」とか、形のない場合だってある。
発想が飛躍するまで、単語だけではなく、文章も含めて、どんどんワードを出していく。
出し切ってから、印象に残っている言葉で、詩を書くようにしていた。
思えば、あの準備も、プロットの一つだったのかもしれない。
自分から出たとは思えないような、発想の飛躍が出ることがあって、それを待っていた。

それはある意味、作家なりの、自分の無意識に対するアプローチだ。
発想やひらめきは、決して、意識から出るものではない。
色々と考えがまとまらない時期に、それを出力してまとめていく。
まとめながら、何かが降ってくるのを待っているのかもしれない。

きっと、映画も舞台も。
そのプロットを練っている時の、隙間から生まれた何かを拾い上げていくような表現なのだと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:15| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする