人間が一番カロリーを使うのは筋肉系統ではなくて脳だ。
ある程度、年を取ってから恰幅が良くなるのは新陳代謝の問題だけではなくて。
年齢を重ねれば、脳をより効率よく使用できているのじゃないかと思っている。
特に、一番、脳がカロリーを使用しているなぁと思うのは、感情が動いた時だ。
誰にでも経験があると思うけれど、泣きじゃくったり、激怒したりすると、とても疲れる。
あっという間に睡魔に襲われる。
感情の爆発というのは、脳内でも、様々なホルモン分泌と、様々な記憶との結合とが同時に起きている。
どんなに難しい計算をしたり、プログラムをしても、感情爆発には勝てないだろうなぁと思う。
それぐらい、興奮するほど、一気に眠くなるよなぁと実感がある。
自分は、頭脳労働をする時に、大体、用意しておくものがある。
コーヒーとチョコレート。
とにかく、カフェインがないと、突然、眠ってしまいそうになる。
それに、チョコレートで糖分を定期的に摂取しないと、ぼんやりしてくる。
だから、監督との編集の時は、必ずその2つを用意しておいた。
おいらが用意したチョコレートを監督も口にする。
クリエイティブな作業をしている時。
心が動いているのと同じようなことが起きているのではないかと思う。
もちろん、数学的な、パズル的な脳も使うし、文学的な美術的な思考も同時進行しているのだけれど。
それと、同時に、自分の心に響いているか、常に確認しているような感覚がある。
ざわっと、後頭部の周りが痺れるような感覚が、クリエイティブな作業をしているとあったりする。
脳内でなんらかのホルモンが分泌されているのだろうなぁと思う。
でも、別に、ハイになるとか、心地よいというのともちょっと違う。
あの感覚はなんて説明すればいいんだろう?
自分で、創造的な作業を繰り返して、心に訴え続けるのは、その瞬間を待っているようなところもある。
監督が編集中に、編集が終わっても、なんか編集したいなぁとか、続けたいって思うんだよ。
なんて、言っていたのは、ある意味、そういう部分もあるのかもしれない。
頭の中でイメージしたものを形にしていって、何かが生まれた瞬間の感動を、無意識に求めるようなこと。
小説書きでも、漫画家でも、絵描きでも、ミュージシャンでも。
何かを創作する時、出来上がったものに対して、痺れるような感覚を経験している人はたくさんいると思う。
というか、ほぼ全員経験しているんじゃないだろうか。
感情が揺さぶられることと。
創作すること。
この二つに、どんな共通点があるのだろう?
役者の持つクリエイティブは、実はその中間にちょうど位置しているのかもしれないなんて思う。
ミュージシャンでもいいけれど・・・。
プレイヤーは、クリエイトしながら、自らの感情を爆発させていく。
恐らく、そこには、明確に繋がる何かがあるのじゃないか。
ただ一つ、絶対に言えることは。
自分が感動しないと、人を本当に意味で感動させることなんて、絶対に出来ないという事だ。
クリエイティブな作業の中で生まれる感動がなければ、ちゃんと伝わることはない。
もちろん計算されつくしたロジック通りに製作したもので、売れることはあるかもしれない。
シンプルに、感動した!と口にするお客様もいるかもしれない。
でも、そんなのは、本当の意味の感動からはかなり縁遠い事なんだって思っている。
本当の感動は、感動した!なんて口に出来ないものだ。
雷に打たれたようなことだとか。
心臓が高鳴るようなことだとか。
もっと、直接的で肉体的な、体感があるものだ。
頭で理解して、理性的に感想を口に出来るようなものは、まだ本当の意味で感動に至っていない。
おいらは、そう思っているし、常にそこに向かいたいって思っている。
だから、繋がっていると思うのだ。
自分の脳内で痺れたその感覚を、共有していると思える瞬間があるから。
それは、体感しているから、真実そのものだ。
人は人の心を読むことなんてできない。
けれど、体感を共有することは出来る。
そして、その体感が、目に見えない心の動きとしての体感だったときに。
本当の共感を実感する。
コーヒーを飲む。
カフェインが、痺れた脳に、小さな刺激を与える。
チョコレートをかじる。
糖分が、失ったばかりのエネルギーを補給する。
クリエイティブな作業の中で、そうやって、小さなリセットをする。
そして、更に、感動とは何だろう?
と、もう一度、始めるのだ。
あと、ニコチンもね。