正月なんてたかだか1週間なのに、不思議と気持ちが緩む。
正月気分だとか、お屠蘇気分だとか、どこか気が抜けたビールのようになる。
それはゴールデンウィークともお盆とも少し違う感覚だ。
ともあれ、芝居のことを全く考えていないわけでもないはずなのに。
芝居のことを、ちゃんと考えないと、どこか落ち着かなくなっている。
なんか、緩んでいるんじゃないか?と、不安になってしまう。
稽古は3班に分かれて進む・・・。
とは言え、まだ1班は稽古には入れていないし、1班は稽古しつつもキャスティングまで固めていない。
それぞれ、進むスピード感が違う。
自分の班はその中でも、スピードを重視している。
早い段階で完成させてから、飽きて、一度壊すぐらいの時間を持てればと思っているからだ。
あえて、スピードを出して芝居を創ってしまってから、もう一度考える余裕を欲しいと思っている。
別にそれは、創り方だから、何が正しいわけでもないし、映像の世界じゃありえないやり方でもある。
役者であれば、どんな創り方でも、どんなスピードであっても対応出来るべきで。
今回の企画では、そういう創り方を出来るから、中々出来ない機会だし、そうしたいというだけだ。
だから、キャスティングは稽古初日から終わっているし、全体の流れまでは旧年中に創ってある。
後は少しずつ、芝居のディティールを固めて、流れの軸も太くしていきたいなぁという段階。
2018年初稽古も、ガチでゴリゴリに芝居を構築するという手もあった。
でも、正月期間中に、どんなことをしたらいいかなぁと考えていて、ちょっと違う方向にした。
ピンポイントで2か所ほど。
口立てでの、芝居作りというのにした。
口立てというのは、その場で役になり切った状態でアドリブで芝居をしていく。
その芝居が面白ければ採用するし、もっと面白くなるようなら、工夫して再度挑戦する。
そうやって、あくまでも役になった状態で、自然と出てくる言葉を拾い上げていく作業だ。
もちろん、台本通りにがちがちに芝居を創ってから壊す場合もあるし、壊さないでその中で工夫する場合もある。
けれど、正月明け早々だし、脳を柔らかくして、芝居に入れるような方法論はここかな?と思った。
芝居脳が働くほど、瞬間的なひらめきが下りてくる。
音楽で言うならセッション的な世界観の中で、自分でも思っていなかったリアクションが生まれる。
そういう芝居を、一つづつ拾い上げていくような作業だ。
アイデアはどんどん出てくる。
演じている本人からも、観ている人からも。
思っていたのとは違ったり、肉体感覚から生まれてくるようなものであったり。
少ない時間でも、ぐるぐると頭の中が芝居脳で埋まっていく。
待てよ、こうじゃないかなぁ?なんて言いながら。
集中して芝居を考えて、我を忘れているなぁと途中で気付いた。
忘れずに、時計を睨む。
時間感覚だけはキープしておかないと、はまってしまう。
もちろん、口立てで出来上がったシーンがそのまま本番まで続くかもわからない。
どこかで飽きてしまうかもしれないし、流れで観たら不自然すぎる場合もある。
役の中で創ったつもりでも、前後との関係で、役を逸脱している場合もあるかもしれない。
そうなると、稽古でやったことは無駄だったのか?という可能性も出てくるのだけれど。
実は、それもまったく無駄ではなくて、セリフに縛られずに柔軟に芝居脳を使うことが別の事を生む。
他のシーンが、いつの間にかよくなったりするのは、役が肉体に入る入口を見つけた後なわけで。
そういう助けになるのがこういう稽古なのだと思う。
偶然にも、その後の班の稽古を観ていたら、監督が同じようにピンポイントの稽古を始めた。
口立てではなかったけれど、色々アイデアを出せと言う、芝居脳を柔軟に使わないと出来ない稽古。
台本のほんの5~6行の箇所を、様々な方法で試して見ようという稽古になっていた。
別にうちの班の稽古を観ていたわけでもないから、本当の偶然なのだけれど。
充分に柔軟体操が済んだおいらの頭でその稽古を観るのもとっても楽しかった。
中々、自分の中の自意識は常識や思い込みという呪縛から抜け出せないで柔軟になり切れなかったり。
思考の飛躍をどこまでしていいのか探り合っていたり。
或いは、相手役が、自分の事のように感じているか感じていないかであったり。
ついさっき、やっていただけあって、見えなかったものまで見えているような気がした。
自分の班の事ばかり考えているわけにもいかない。
興行としては、同じ興行なのだから。
全体として面白くなるように、考えていけたらいいなぁ。
もちろん、監督の視点があるわけで。
そこにちゃんと向き合ったうえでだ。
まだ稽古が始まってさえいない班については、心配になってきた。
まだ時間はあるし、良い方向に進むと思ってはいるけれど、自分の事のように考えないとと言い聞かせる。
知らない!とした方が、ずっと楽なんだけれど、そこで楽をする自分だと、自分が嫌いになってしまいそうだから。
なんにせよ、稽古が始まった。
もう一度、芝居脳が動き始めた。
2018年も、芝居の事ばかり考えるのだろう。
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