元旦を過ごす。
実家まで行き、帰りに鎮守様に初詣。
境内を歩くと、山際に夕月。
新年2日に満月。
それもスーパームーンらしい。
昔ではありえないことだ。
旧暦は太陰暦。
つまり、正月は必ず新月だったという事だ。
最初の満月は、十五夜というだけあって、正月十五日。
今の暦になったから、正月に、満月まで楽しむことが出来るようになった。
今でも一部地域やアジアの国では太陰暦で旧正月を祝う。
神社における暦は、本来なら旧暦が正しいのかもしれないなぁなんて思うけれど。
山際に浮かぶ夕月を眺めながら、やはり、意識的には初詣だと感じている。
どちらでもいいのだ。
本当も嘘もない。
自分が決めたその日が、正月で良い。
地球と月の距離は、一定ではない。
衛星軌道が正円で、かつ地球の南北の地軸と平行でない限り、一定であるはずがない。
ほんのわずかな角度の違いで、数万キロメートルも、距離が変わってしまう。
スーパームーンは、地球と月の距離が近い時期の満月を言う。
あれほどの夕月を眺めることが出来るのは、まれだ。
満月の前日だから、ほぼ円形のその月は、見事に紋様まで浮かび上がらせていた。
参道の長い階段を上がり、お参りをする。
住所と名前を心の中で言ってから、願い事を伝える。
おみくじは、芸能神社への初詣まで取っておくことにした。
冬の夕暮れは早い。
参道の階段を降りる頃には、辺りはどんどん暗くなっていく。
高い竹に囲まれている階段だから、余計暗く感じた。
神社をあとにして帰り道を歩く。
ふと気になって、夕月を探してみる。
これからどんどん月は空に昇って行く。
けれど、歩いているうちに角度が変わってしまって、山陰に隠れてしまっていた。
仕方がない。
後ろを向いたまま歩いて探すわけにもいかないと振り返ると。
反対側の稜線にオレンジのライン。
初日の出ならぬ、初日の入り。
そのあまりにも神秘的なオレンジから群青色へのグラデーションにため息をついて。
スマートフォンのカメラを立ち上げて、空に構える。
液晶画面に現れた、美しい山のシルエット。
オレンジと群青の間にかすかに見える紫。
なんだか、厭になって、写真に収めるのをやめた。
あの月、あのオレンジ。やってくる夜。
宇宙を感じる。
地球を感じる。
自分があまりにも小さくて、俯瞰なんて言葉では表現できない自己を感じる。
おいらの心に生まれた悩みや苦しみなんて、たかが知れている。
世界はこんなにも壮大なのだから。
これからやってくる夜にみる夢は、初夢と言われる。
忘れてしまうかもしれないけれど。
きっと、それもちっぽけな夢だ。
明日、もう一度夕月を見上げよう。
新年早々、宇宙規模のイベントだ。
月光を思う存分に浴びよう。
神様に手を合わせて何を願うの?
月光を浴びて何をもらうの?
自分の奥の奥に潜む部分に。
栄養をあげるだけさ。
いつだって、走り出せるように。
純粋なエネルギーを注ぐだけさ。