冬至。
またの名を一陽来復というのはご存じだろうか?
科学が発展するはるか前、天文学というのは生きる術だった。
小さい集落の小高い山などに今も神社などが残っているのは、この天文の観測も意味すると聞いたことがある。
神社仏閣は、季節を知らせ、時刻を知らせる鐘を鳴らす、生活に根差した機能的配置だった。
農業をするのも、狩猟をするのも、或いは木の実をとったりするのも。
全て、季節、時刻、そういう大事な情報が必要だった。
古来から人は星の動きを読み、太陽や月の動きを読み、季節を知った。
時計がない遥か大昔から、一年で最も日照時間の少ない日を知っていた。
それが冬至だ。
長い夜が終わって、この日から少しずつ陽の光が増えていく。
それを、一陽来復と呼んだ。
占いの易で有名な陰陽述などから来た言葉とも聞く。
陽の光が増えていくこと、夜が終わることは縁起が良いとされた。
ゆず湯のゆずは、融通から来ているのだそうだ。
かぼちゃは、太陽の光の色だとか何とか。
ちゃんと調べたわけでもないのだけれど。
冬至に祈ることは、金運が上がることで、商売の融通が利くようになると言われたらしい。
子供の頃から、おいらの実家の柱には、なんだかよくわからないオフダのようなものが貼ってあった。
それも、天井ギリギリの高さに、毎年、位置を変えていた。
紙をくるりと丸めた円筒形のオフダのようなもので。
そこには、漢字四文字で、「一陽来復」と書かれていた。
一の字が、異様に太くて、なんだか、ありがたい感じを演出していた。
子供の頃はいつの間にか貼ってあったり、いつの間にか移動したりしていて。
まぁ、神棚のようなものだとなんとなく思っていた。
都内で育った人は、目にしたことがあるんじゃないだろうか?
家に貼ってある人も結構いると思う。
・・・というか、江戸っ子しか知らない風習なのかもしれない。
母親が渋谷区に住んでいたから、叔母と一緒に受取りに行っていた、冬至守りなのだそうだ。
それを知ったのは、大人になってからだ。
でも実はつい最近まで神社だったら、色々なところでもらえるものだと思い込んでいた。
冬至の日から節分までの間、新宿は早稲田にある、穴八幡宮だけで配っているものなんだそうだ。
だとすれば、我が家に貼ってあったのは、誰かが毎年お参りに行っていたことになると気付いた。
そんなことなんにも知らなかった。
いつか聞こう聞こうと思いながら、ずっと聞かないままだった。
それから、そのうち、自分でも穴八幡宮にお参りに、いつか行ってみたいなぁと思ってた。
時節の終わりに、恵方に向かって、なるべく天井に近い高い所に貼る。
だから、冬至か大晦日か節分の、その日の最後にしか貼ってはいけないのだそうだ。
子供の頃は、もう寝ている時間なのだから、知らなかったわけだ。
これを貼っておけば、金運が良くなる。運が向く。
長い夜が終わって、陽が射してくるということだ。
転じて。
長く苦労したことが、報われるという意味もあるらしい。
そんなことを聞くと、ああ、自分の部屋にも貼りたいなぁなんて思うようになった。
そう思うと、冬至も悪くない。
一陽来復だなんて、すごく良い言葉だなぁって思う。
昔から、毎年毎年、思っていたのだ。
さぁ、陽の光が増えていくよと。
生活の中で、自分たちの生活も明るくなっていくよと。
お守りは手元にないけれど。
今年の恵方に向かって、そっと目を閉じてみた。
一陽来復。
小さく呟いた。