稽古日。客演先の舞台の感想が飛び交ったりしながら。
次回公演の稽古が始まる。
いや、始まるというよりも、スタートラインまでの道程か?
客演先の舞台に行った人は当日パンフレットの情報を見ているかもしれない。
そう、その企画。
まだ仮がついたままの企画だから、正式発表には至っていない。
仮タイトルをみて、なんだこりゃ?と思った人も多い事だろう。
監督からは、今日、面白い話のオンパレードだった。
もちろん、聞く人によって、面白いかどうかも変わるのだろうけれど。
自分としては、
「台本と物語は違う」という言葉はとても面白かったし。
「たった一つのセリフがあるかないか」の話も面白かった。
思うのは、今日の話の面白さは、今日だけでは面白みがないという事だ。
これまで・・・今日まで、監督の台本とどう向き合ってきたのか。
どうやって、その作品について考えてきたのか。
作品の構造であったり、その作品に対する役の持つ役割であったり。
それをこれまでどこまで考えて、どこまで積み上げてきたのかで、面白さが変わってしまう。
ただ話を聞いていても、面白いのだけれど、歴史があると理解が深くなる。
これはきっと、あの作品のあそこもそうだったんだなぁとか。
あの作品だけ構造が違うのは、そういう意図だったんだなぁとか。
そういう面白みが、今日の話にはふんだんに盛り込まれていた。
実は、映画化するセブンガールズは代表作なのだけれど。
作品の構造的には、監督の作品群においては特殊な構造をしている。
いわゆる起承転結とは違う作品になっている。
もちろん、偶然そうなったのではなくて、必然的にそうしていったのだけれど。
作品の構造というのは、役者には関係ないという人もいるけれど。
少なくても、自分の知る限り、名優と呼ばれる人でそれを理解していない人はいない。
その作品の構造そのものがわかっていて、そこに自分の芝居をはめるのがとても上手い。
だから、役者をやる上で、構造は関係ないと考えても問題はないと思うけれど、考えるのはプラスだ。
物語。
台本は口語体で書かれる。
説明をしたいけれど、口語体だから、その説明っぽさをどう消していくかもカギになる。
けれど、それだけで進めると、結局、話は動いていない。
説明ばかりしていたり、説明していないように見せているだけになってしまう。
そこには、展開が必要で、次はどうなるんだろう?という興味をひき続けることが必要で。
その上で、どうやって、その話を結ぶのかというベクトルが必要だ。
往々にして、そのベクトルを定めるために、テーマがある。
その作品におけるテーマ。
それがあちこちに向かってしまいそうなベクトルを一方向に向かわせ続ける。
その上で、結末という物語の終わりをゴールにしていくことがきっとできる。
そんなことを考えながら、今日の監督の話を聞いていた。
クリエイティブな話だから、ずっとワクワクしていた。
こういう話を聞く機会は、それほど多くない。
これはまだ、スタートラインに立つ前の話だ。
さて、スタートラインを引こう。