2017年12月09日

フィードバック

編集した映像のフィードバックが早速来る。
直しを入れようかとも思ったけれど、そこは監督に相談してからか・・・。
忙しいのを知っているから、監督からの連絡待ちだろうか。
にしても、〆切があるなら、そんなことも言ってられないけれど。
今のところ、編集を手伝っただけで、納品日があるのかすらも知らないという。
まぁ、それほど、時間がかかる作業でもないので、とりあえず連絡待ち。

フィードバックは、本当に大事だ。
自分の中で、何度も確認しては直す推敲とはまた違う。
実際に、自分以外の誰かの意見や方針を反映していくこと。
クライアントがいるなら、当然、その指示に従っていく形になる。
自分の作品だとしても、第三者の視点はまた違うものだから、反映していく。

セブンガールズでも、P確認や、スタッフさんのフィードバックの反映をした。
自分の頭の中にあるものだけを、そのまま出力するタイプの人もいることに入るけれど。
監督は、第三者の視点をきちんと受け止めるタイプだ。
舞台でも、照明さんや、音楽の意見を、取り上げるというよりも、むしろ待っている時すらある。
自分だけでやるよりも、より良くなると、ハッキリと口にする。

実は、俳優というのは、そこの部分でとっても面白い心の動き方をする。
例えば、役を頂いているのだから、台本に意見など言ってはいけないという考え方もある。
或いは、稽古で積み上げていくものだから、演出家という存在のヒエラルキーを大事にするべきだという考え方も。
逆に、どんどん作家にも演出家にも言っていくべきだという役者もいないではない。
バランス派の人は、基本的には言わないけれど、休憩やちょっとしたタイミングで、言ってみるという人も。
普通に作品に対する感想やフィードバックだというのに、どこか気をつかう。
というのも、俳優は、自分の芝居を持ち込んで、演出されるという中で芝居をしているからだ。
つまり、フィードバックをもらうのが当たり前で、それを「ダメダシ」と呼んでいる。
だから、作家に「だめ」を出すというのが、感覚的に、ちょっと距離感がつかめなかったりする。
ただの意見すら、「だめ」を出していることに思えてしまう所がある。

実際の社会に出てみても、散見するけれど。
意見やフィードバックを、「ダメダシ」と受け取る人もいる。
ただの意見を、否定的意見と捉えてしまうケースというのは意外にあるんじゃないだろうか?
シンプルに家庭内でも、子供のために親が何かを言った時に、子供が否定されたと思ってしまうことってあるだろう。
この辺のバランスはきっと、誰にでもあるし、悩んでいるんじゃないだろうか。
言うべきか、言わないべきか。
もちろん、伝え方もあるけれど、受け手の受け取り方というのはとっても大きい。
中にはどんな伝え方をしても、否定的に捉える人もいなくはないからだ。

自分で言えば、誹謗中傷の類じゃない限り、意見の一つとしか取らなかったりする。
いちいち、何か言われて傷ついていたら、生きていけない。
もちろん、その意見の取捨選択もする。
或いは、表層部の意見で、浅ければ、相手にもしない。
聞くべき意見と思えば、当然、自分に反映させていく。
芝居なら、当然、演出家に確認したうえでだけれど。

自分の中だけで完結させるタイプの人は、人の意見を取り入れない。
それはそれで、素晴らしい作品を生みだせるのであれば、問題がない。
そういう天才も中にはいて、そういう天才は孤高になって行く。
同じレベルで意見を言える人は、限られていく。
そして、絶対的な信念を持っている。

そう思うと、自分は実に凡人だなぁと思う。
常に、フィードバックを待っている所がある。
自分の中に揺るがない信念はあるけれど。
それだけで、押しとおせるほど、天才ではないからだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする