2017年12月07日

スルメ

推敲がいかに大事なことか。
それは身にしみてわかっている。
その場その場で生まれるものの凄さもあるのだけれど。
準備の段階では、何度も何度も直しを入れていく。

思えば、セブンガールズのあの膨大なシナリオも7度も書き換えがあった。
そこまで何度も修正を繰り返したら、完璧なシナリオになりそうなものだけれど。
実際には撮影現場で、シナリオに手を入れたし、編集でも手を入れていった。
海外プロモーション版の英語字幕版に至っては、原形からかなり変わっている。

実際に書かれたものだけではもちろん限界も来る。
一度、芝居にして、役者の肉体を通してから、そこからまた修正が入る。
或いは、通して観てからの修正もある。
全体のバランスが狂っていれば、どこかでテンポを出したり、動きを加えたり。
結局、やればやるほど、修正点が増えていくことになる。

サミュエル・ベケットの「ゴトーを待ちながら」は、修正禁止だと聞いたことがある。
上演するのであれば、一言一句、台本を修正してはいけない。
例え外国であっても、修正がわかれば著作権管理の人から連絡が来るそうだ。
それぐらい徹底されているらしい。
そうなってくると、もう伝統芸能に近いよなぁとさえ思う。
伝統芸能だって、刷新する箇所は刷新するのだろうけれど。

作品という単位だと、やはり、修正を繰り返すのが当たり前だと思うべきなのだ。
役者と言う単位であれば、もしかしたら、微調整であったり、あるいは新鮮な時が一番良い場合もあるかもしれない。
そういうのは、きっと、単位で変わっていく。

そう考えると、どんなに時間をかけてもかけても。
一瞬でボツになったり、書き直しになったり。
それでいて、採用されるまで成果にならない。
そういう職業というのは、実に苛酷だなぁと思う。
でも、それが当たり前で、そのぐらいの覚悟は初めから必要なのだろう。
企画書やプロットに何十時間もかけたって、結果は残酷なのだから。
だからこそ、推敲は大事なのだ。

クリエイティブとは、その場でのひらめきだと思われがちだけれど。
推敲こそ、本質なんじゃないかとさえ思う。
有名な絵を赤外線で調べたら、何度も書き直していたなんて発見が時々出てくる。
誰もが良く知る絵画も、一枚、油絵の具をはがしたら、違う絵になるのだ。
ひらめきももちろん、あるのだけれど。
芸術は爆発なのだけれど。
何度も何度も直して直して、修正されているというのも事実だ。
トライ&エラーとも違う。
もっと、自分との戦いに近い。
エラーがあるかないかではないのだから。

だからこそ、どんなに稽古をしても、本番が近くなれば、時間が足りないと感じる。
もっと直したい、もっと修正したい。
芝居で、やれるところまでやった!と思えるのは、相当な数の繰り返しが必要だろう。
実際には、いつも、もっともっとというのが本当じゃないだろうか。

三歩進んでふりだしへ。

そのぐらいの覚悟が無きゃ、なんにも出来やしない。
壊す覚悟が無きゃ、なんにも出来やしない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:02| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする