ロシアW杯でポーランドと同組になった。
ポーランドという国が、かなりの親日国であるという事を知っているだろうか?
それは実は、戦時中の日本人が、多くのポーランド人を救ったという歴史から来ている。
日本人はあまり知らない人も多いようだけれど、ポーランドではとても有名な話だ。
ポーランドは、ドイツとソビエトの間にある国で、何度も亡国の憂き目に合っている。
日本人がポーランドを救ったのは、旧ソビエト連邦国属国時代のことだった。
その二国がロシアで対戦するというのは、なんとも、運命的だなぁと感じた。
いつか、ワルシャワに行きたい。
自分の中で世界で行きたい国のトップスリーに入ってる。
この話が、どうして、あまり知られていないのか、とっても自分では不思議だ。
日本人は、東アジアにおいて侵略と凌辱を繰り返したと、言われすぎているからだろうか。
例えば、東南アジアであったり、それこそポーランドであったり。
戦時下における日本人が行った行動を、今も称賛してくれている国がある。
もちろん、非道なこともなかったとは言えない。
だからと言って、知られていないというのは、なんだか腑に落ちない。
先の戦争時代の話は、そういうものがとってもとっても多い。
敗戦で受けた傷の深さを思えば、致し方ないのかもしれないけれど。
まるで腫れ物に触るようにしてきたことが多すぎて、結局、何も見えない。
それでは、本当の戦争の悲惨さなんて伝わらないんじゃないかとおいらは思う。
兵隊になると軍曹に殴られて、天皇陛下万歳と叫んで、死にに行くみたいな安易なイメージに固着しようとする。
そういう事も確かにあったけれど、少なくても、現実に残る手紙を読んでも、祖父の話もかけ離れていたけれど。
定型のイメージは、仮想敵を創るために、強調が入っている。
でも、現実はもっとずっと多様で、本当の悲惨さや、心の問題がある。
パンパンという存在だってそうだ。
つい少し前まで、鬼畜米英と叫びながら竹槍訓練をしていた婦人が、GHQの米兵に体を売る。
そこに大きな大きな違和感を感じないだろうか?
ギブミーチョコレート!とアメリカ兵を追いかける子供がたくさんいたという話。
そこにどこか違和感を感じたりしないだろうか?
情報が欠けすぎている。
きっと、歴史の教科書も、歴史の授業も、ちゃんとは伝えられない。
どこかに意思があり、どこかに遠慮があり、忖度があり、情報は限られていく。
思想団体が戦争の悲惨さだけを伝えようとするのも、偏っていく。
それでは結局、何かが伝わったようで、なんにも伝わってないのと同じだとおいらは思う。
演劇や映画、小説。
あらゆる物語は、そこにいた人間を描こうとする。
それは、薄っぺらい定型文のような歴史とは違った厚みを生む。
二十四の瞳だって、ビルマの竪琴だって、学校で教わる何倍ものことを教えてくれる。
もちろん、作家は、伝えたいテーマがあるし、それこそ強調もするだろう。
だとしても、教育では果たせない、そこにいた人間を想像させることが出来る。
ポーランドが、なぜ親日国になったかは、詳しくはここに書かない。
興味のある人は、ぜひ、自分で調べてみて欲しい。
そこには、涙が出てしまうような話がある。
多分、ロシアW杯が近づけば、どこかの雑誌やテレビがやるんだろうなぁ。
それを知るだけで、少しだけ、その試合も豊かに観戦することが出来る。
そんな豊かさを、きっと、求めている。
心が震えるほど感動するのは、そういう豊かさがある時だけだから。