2017年12月02日

ドラマの創生

スポーツの世界は厳しいと、いつも作られたエンターテイメントの世界にいて思う。
その中でも、プロスポーツには、本当に頭が下がる思いだ。

スポーツとプロスポーツは違う。
プロスポーツは、スポンサーがいて、実際に観客収入があって、経営をしなくてはいけない。
当然、そこにエンターテイメントの要素も入ってくる。
華のある選手であったり、何を見せるかというテーマが常にある。
最終的に選手たちは、自分の生き方や人生そのものを見せてくれる。
若いスターの華やかさと、ベテランの持つ背景と。
それが重なっていく。
その上、筋書きのないドラマも、起きるのだからエンターテイメントとしては最強だと思う。

アマチュアスポーツも嫌いではない。
人生の全てをそこにかけているような超一流なのだから。
ストイックなアスリートの生き方は、尊敬ばかりしてしまう。
それでも、実際の生活が懸かっているプロとは、どこかで一線を引いている。
アマチュアスポーツは、究極的には結果が全てだ。
プロスポーツは、実は、敗北にも美学が存在する。
もちろん、選手は敗北の美学を目指すわけではないけれど、経営者とファンはそれも求めている。
アマチュアの世界では、特殊な・・・子供の頃から有名だったり、そういう選手にしかそれはない。

アスリートタイプのプロ選手ほど、ストイックになって、このエンターテイメント要素を嫌悪する場合がある。
往々にして、エンターテイメント、芸能の部分は、結果的に年寄が生まれていく。
中枢には、どんなプロスポーツでも、かつての大スターやベテランが居座るようになる。
世界的に問題になったFIFAの中枢もそうだし、プロ野球だってそうだ。
大相撲だって、結局、伝統芸能という部分では、それを守る年寄たちがいる。
エンターテイメント、娯楽、興行、そういう側面で観るのは、俯瞰の視点になるのかもしれない。
敗北を美学ととらえることが出来るようになって、初めて、その視点に至るのかもしれない。

役者なんかやっているからだろうか?
信じられないようなドラマを今年も目にしてきた。
アイスランドのW杯初出場、セレッソ大阪の初タイトル、川崎フロンターレの初タイトル。
サッカーだけでも、こんなに起きる年も珍しいんじゃないだろうか?
それまでの敗北の歴史を知っているからこそ、そこにドラマを感じてしまう。
選手たちの流す涙に共感してしまう。
というか、泣いてしまうのだけど。自分も。

創られた映画と、ドキュメンタリーであるとか。
レコーディングアルバムと、ライブ盤であるとか。
演劇とインプロであるとか。
ゼンニチとシンニチとか。
実は、エンターテイメントの世界にも同じような構図はあって。
微妙なバランスを取っている。
実は、自分は大抵がそのどちらも好きだったりする。
逆に偏ってしまう方が、あまり好みではない。
時に右に、時に左に、いつでも行けるようなスタンスが好きだ。

ドラマは、生まれるもの?創られるもの?
そこは、おいらたちの永遠のテーマの一つなのだと思う。
たった一つ、視線を動かすだけで生まれるドラマだってあるのだから。

それにしても。
なんと、上質なドラマを見せてもらったことか。
人間そのものを見せてもらったことか。

グラウンドに突っ伏して号泣する、ベテランの選手以上のドラマなんてあるのだろうか?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 16:59| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする