スポーツの世界は厳しいと、いつも作られたエンターテイメントの世界にいて思う。
その中でも、プロスポーツには、本当に頭が下がる思いだ。
スポーツとプロスポーツは違う。
プロスポーツは、スポンサーがいて、実際に観客収入があって、経営をしなくてはいけない。
当然、そこにエンターテイメントの要素も入ってくる。
華のある選手であったり、何を見せるかというテーマが常にある。
最終的に選手たちは、自分の生き方や人生そのものを見せてくれる。
若いスターの華やかさと、ベテランの持つ背景と。
それが重なっていく。
その上、筋書きのないドラマも、起きるのだからエンターテイメントとしては最強だと思う。
アマチュアスポーツも嫌いではない。
人生の全てをそこにかけているような超一流なのだから。
ストイックなアスリートの生き方は、尊敬ばかりしてしまう。
それでも、実際の生活が懸かっているプロとは、どこかで一線を引いている。
アマチュアスポーツは、究極的には結果が全てだ。
プロスポーツは、実は、敗北にも美学が存在する。
もちろん、選手は敗北の美学を目指すわけではないけれど、経営者とファンはそれも求めている。
アマチュアの世界では、特殊な・・・子供の頃から有名だったり、そういう選手にしかそれはない。
アスリートタイプのプロ選手ほど、ストイックになって、このエンターテイメント要素を嫌悪する場合がある。
往々にして、エンターテイメント、芸能の部分は、結果的に年寄が生まれていく。
中枢には、どんなプロスポーツでも、かつての大スターやベテランが居座るようになる。
世界的に問題になったFIFAの中枢もそうだし、プロ野球だってそうだ。
大相撲だって、結局、伝統芸能という部分では、それを守る年寄たちがいる。
エンターテイメント、娯楽、興行、そういう側面で観るのは、俯瞰の視点になるのかもしれない。
敗北を美学ととらえることが出来るようになって、初めて、その視点に至るのかもしれない。
役者なんかやっているからだろうか?
信じられないようなドラマを今年も目にしてきた。
アイスランドのW杯初出場、セレッソ大阪の初タイトル、川崎フロンターレの初タイトル。
サッカーだけでも、こんなに起きる年も珍しいんじゃないだろうか?
それまでの敗北の歴史を知っているからこそ、そこにドラマを感じてしまう。
選手たちの流す涙に共感してしまう。
というか、泣いてしまうのだけど。自分も。
創られた映画と、ドキュメンタリーであるとか。
レコーディングアルバムと、ライブ盤であるとか。
演劇とインプロであるとか。
ゼンニチとシンニチとか。
実は、エンターテイメントの世界にも同じような構図はあって。
微妙なバランスを取っている。
実は、自分は大抵がそのどちらも好きだったりする。
逆に偏ってしまう方が、あまり好みではない。
時に右に、時に左に、いつでも行けるようなスタンスが好きだ。
ドラマは、生まれるもの?創られるもの?
そこは、おいらたちの永遠のテーマの一つなのだと思う。
たった一つ、視線を動かすだけで生まれるドラマだってあるのだから。
それにしても。
なんと、上質なドラマを見せてもらったことか。
人間そのものを見せてもらったことか。
グラウンドに突っ伏して号泣する、ベテランの選手以上のドラマなんてあるのだろうか?