2017年12月13日

年中無休

昨日のデータを直し送信。
続けざまに、受け取ったデータを取り込んで編集。
監督が2本も大丈夫かと心配している連絡が入るも、そこまで心配することでもない。
サクサク進める。
フィジカルコントローラーを使用するまでもないぐらいの作業だ。

最初の編集が映画編集という、編集の最高峰だもんな・・・と監督から。
確かに、映像編集は慣れていないと、何からやれないいのかからわからない。
或いは、編集の基礎のようなものが身についていないと不自然になる。
物語だったら、なおさらなわけで。
そういえば、いつか監督の編集するドキュメンタリーとか観たいなぁと思った。
独自の視点で、面白いものを撮影してくれそうなんだけどなぁ。
劇団主宰だし、かぶく者原作者なんだから、歌舞伎という舞台の舞台裏のドキュメンタリーとかやればいいのに。
世界中に配信できる、すごい面白いものを創りそうだけれどなぁ。
まぁ、ドキュメンタリーで凄いと言われても、役者たちにはなんの恩恵もないだろうけれど。

セブンガールズという映画に取り組んだことで、確実に可能性が広がっている。
一番わかりやすいのが監督の可能性なのだけれど。
実際には、監督だけではなくて、製作にかかわったメンバーの可能性は広がっている。
チャンスや可能性って、良く言われることだけれど、どこにでもあって、気付くか気付かないかで。
様々な経験を積むことは、今までチャンスと思えなかったことまで、気付けるようになるという事かもしれない。
見えなかったものが見えるようになっていると、ふとした時に感じる。

何も知らずに進むことは、それはそれで強い。
経験していない分、怖いものもないし、躊躇がないからだ。
自分の感覚だけで、勝負になる。
勢いが付けば、これほど強い推進力はない。
経験を積めば、当然、推進力は落ちてしまう。
けれど、その分だけ、一歩の持つ深さが違ってくる。
移動距離は劣っていても、その移動する過程そのものにすら意味づけを出来るようになる。
だから、一番悲惨なのは、若さから脱しているのに、経験を積めていない場合だ。
勢いで進みながらも、経験しながら、学べていなかった人ほど悲惨なことはない。
本来経験を積んでいる時期に、感覚だけで何かをしようとしても、難しいはずだ。
そういう時期になって反省しても、もう遅い。

良く見たら、劇団のオフィシャルブログに何気なく劇団員が次回公演の時期を書いていた。
まぁ、もちろん、先日の劇団員の客演先で告知しているから問題はない。
詳細が決まっていないし、仮タイトルだから、情報を掲載できないだけだ。
速報だけでも、もう稽古も始まっているから出してもいいのかもしれない。

劇団にしろ、映画にしろ。
SNSの時代に、年間で公開できる回数が少なくて、情報量が少なすぎる。
とても大きな弱点だけれど。
何もしていないという事ではない。
何か為し、何かを進めている。
大したことではないかもしれない。
或いは、ほんの小さなきっかけや、スタートかもしれない。
それでも、何かをしている。

休まないのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:30| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月12日

クールダウン

監督と待ち合わせて夜にデータだけ受け取る。
編集というほどのこともない内容になったから、それだけで済む。
少しだけ、話して、帰宅。

先日の映像に、音を足したものを再度書き出す。
どんな音か確認してほしかったけれど、〆切もあるだろうから、任意で選んだ。

それが終わってから、地道な作業を続ける。
頭の中で繰り返し考えていたことを文章化していく。
ここからあとは、枝葉だ。
とにかく、ここをやると決めておいた。

ふぅ。
一息。
こんなとこでいいかと、メール送付。

クリエイティブだ。
監督との会話もだけれど。
とてもクリエイティブな日々を送れている。

芝居をやっていても、なんか、苦しくて、やらされているような気になってしまう時がある。
そういう時は、大抵、クリエイティブな部分が欠落している時だ。
楽しいときは、必ずクリエイティブで、創造的な、瞬間を持てる時だ。

脳が興奮している。
熱いシャワーを浴びて、無理やり、抑えろ。
熱いのにクールダウンだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:58| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

石灰小屋に向かえ

稽古日。客演先の舞台の感想が飛び交ったりしながら。
次回公演の稽古が始まる。
いや、始まるというよりも、スタートラインまでの道程か?

客演先の舞台に行った人は当日パンフレットの情報を見ているかもしれない。
そう、その企画。
まだ仮がついたままの企画だから、正式発表には至っていない。
仮タイトルをみて、なんだこりゃ?と思った人も多い事だろう。

監督からは、今日、面白い話のオンパレードだった。
もちろん、聞く人によって、面白いかどうかも変わるのだろうけれど。
自分としては、
「台本と物語は違う」という言葉はとても面白かったし。
「たった一つのセリフがあるかないか」の話も面白かった。

思うのは、今日の話の面白さは、今日だけでは面白みがないという事だ。
これまで・・・今日まで、監督の台本とどう向き合ってきたのか。
どうやって、その作品について考えてきたのか。
作品の構造であったり、その作品に対する役の持つ役割であったり。
それをこれまでどこまで考えて、どこまで積み上げてきたのかで、面白さが変わってしまう。
ただ話を聞いていても、面白いのだけれど、歴史があると理解が深くなる。
これはきっと、あの作品のあそこもそうだったんだなぁとか。
あの作品だけ構造が違うのは、そういう意図だったんだなぁとか。
そういう面白みが、今日の話にはふんだんに盛り込まれていた。

実は、映画化するセブンガールズは代表作なのだけれど。
作品の構造的には、監督の作品群においては特殊な構造をしている。
いわゆる起承転結とは違う作品になっている。
もちろん、偶然そうなったのではなくて、必然的にそうしていったのだけれど。
作品の構造というのは、役者には関係ないという人もいるけれど。
少なくても、自分の知る限り、名優と呼ばれる人でそれを理解していない人はいない。
その作品の構造そのものがわかっていて、そこに自分の芝居をはめるのがとても上手い。
だから、役者をやる上で、構造は関係ないと考えても問題はないと思うけれど、考えるのはプラスだ。

物語。
台本は口語体で書かれる。
説明をしたいけれど、口語体だから、その説明っぽさをどう消していくかもカギになる。
けれど、それだけで進めると、結局、話は動いていない。
説明ばかりしていたり、説明していないように見せているだけになってしまう。
そこには、展開が必要で、次はどうなるんだろう?という興味をひき続けることが必要で。
その上で、どうやって、その話を結ぶのかというベクトルが必要だ。

往々にして、そのベクトルを定めるために、テーマがある。
その作品におけるテーマ。
それがあちこちに向かってしまいそうなベクトルを一方向に向かわせ続ける。
その上で、結末という物語の終わりをゴールにしていくことがきっとできる。

そんなことを考えながら、今日の監督の話を聞いていた。
クリエイティブな話だから、ずっとワクワクしていた。
こういう話を聞く機会は、それほど多くない。

これはまだ、スタートラインに立つ前の話だ。

さて、スタートラインを引こう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:32| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする