昨日のデータを直し送信。
続けざまに、受け取ったデータを取り込んで編集。
監督が2本も大丈夫かと心配している連絡が入るも、そこまで心配することでもない。
サクサク進める。
フィジカルコントローラーを使用するまでもないぐらいの作業だ。
最初の編集が映画編集という、編集の最高峰だもんな・・・と監督から。
確かに、映像編集は慣れていないと、何からやれないいのかからわからない。
或いは、編集の基礎のようなものが身についていないと不自然になる。
物語だったら、なおさらなわけで。
そういえば、いつか監督の編集するドキュメンタリーとか観たいなぁと思った。
独自の視点で、面白いものを撮影してくれそうなんだけどなぁ。
劇団主宰だし、かぶく者原作者なんだから、歌舞伎という舞台の舞台裏のドキュメンタリーとかやればいいのに。
世界中に配信できる、すごい面白いものを創りそうだけれどなぁ。
まぁ、ドキュメンタリーで凄いと言われても、役者たちにはなんの恩恵もないだろうけれど。
セブンガールズという映画に取り組んだことで、確実に可能性が広がっている。
一番わかりやすいのが監督の可能性なのだけれど。
実際には、監督だけではなくて、製作にかかわったメンバーの可能性は広がっている。
チャンスや可能性って、良く言われることだけれど、どこにでもあって、気付くか気付かないかで。
様々な経験を積むことは、今までチャンスと思えなかったことまで、気付けるようになるという事かもしれない。
見えなかったものが見えるようになっていると、ふとした時に感じる。
何も知らずに進むことは、それはそれで強い。
経験していない分、怖いものもないし、躊躇がないからだ。
自分の感覚だけで、勝負になる。
勢いが付けば、これほど強い推進力はない。
経験を積めば、当然、推進力は落ちてしまう。
けれど、その分だけ、一歩の持つ深さが違ってくる。
移動距離は劣っていても、その移動する過程そのものにすら意味づけを出来るようになる。
だから、一番悲惨なのは、若さから脱しているのに、経験を積めていない場合だ。
勢いで進みながらも、経験しながら、学べていなかった人ほど悲惨なことはない。
本来経験を積んでいる時期に、感覚だけで何かをしようとしても、難しいはずだ。
そういう時期になって反省しても、もう遅い。
良く見たら、劇団のオフィシャルブログに何気なく劇団員が次回公演の時期を書いていた。
まぁ、もちろん、先日の劇団員の客演先で告知しているから問題はない。
詳細が決まっていないし、仮タイトルだから、情報を掲載できないだけだ。
速報だけでも、もう稽古も始まっているから出してもいいのかもしれない。
劇団にしろ、映画にしろ。
SNSの時代に、年間で公開できる回数が少なくて、情報量が少なすぎる。
とても大きな弱点だけれど。
何もしていないという事ではない。
何か為し、何かを進めている。
大したことではないかもしれない。
或いは、ほんの小さなきっかけや、スタートかもしれない。
それでも、何かをしている。
休まないのだ。