2017年12月22日

笑顔の裏の嘘

映画は企画を立てて、撮影から編集、公開まで時間がかかる。
俳優は、その中の撮影にしか関わらない。
だから、タイムラグがあるはずだ。
そのことを強く理解するようになってから、映画宣伝が面白くなった。

もう、俳優にとっては、撮影は遥か昔の出来事なのだ。
むしろ、その撮影後に別の役を演じていたり、宣伝中も撮影が入っているかもしれない。
それでも、出来上がった作品を観て、それを今度は宣伝しなくてはいけない。
撮影の次は、もう宣伝の仕事になるのだ。
そのタイムラグがとっても面白くて、映画の宣伝をしている俳優をちゃんと観るようになった。

もちろん、撮影中のことを思い出すだろうし、作品への思い入れもあるのだろうと思う。
それに、本心から、観て欲しいと願っているのも嘘じゃないはずだ。
そして、自分の宣伝が、監督を始めとして多くのスタッフさんのためでもあるわけで。
宣伝をしっかりやろうと思うのは当たり前のことだからだ。
そういう思いが、今、観ると、前と全然違って見えてきて、面白いなぁと感じる。

特に思うのは。
俳優が、自分の芝居に納得がいっていない時だ。
これは、うまく書けるかどうかわからないのだけれど。
作品は面白い、映画として面白い。スタッフワークも、共演者も素晴らしい。
でも・・・俳優として、自分の芝居には反省ばかりが残る・・・
そういうことって、実は当たり前だ。
自分の芝居を映像で観ることが好きな俳優って実はそんなにいないと思う。
自分の目で見てしまうと、悪い所やコンプレックスばかり目が行ってしまう。
自分の芝居に、心から納得できる日なんていつ来るのだろう?と思うぐらいに。
でも、実際宣伝の場面ではそれを出してはいけないだろうし、人には褒められたりもする。
そういうなんというか、中間に立っているような時期に宣伝している場合があって。
それが、最近は自分の目に映るようになった。
ああ、この役者は、この作品で苦しんだんだなぁとか、見える時もあって。
そういうのは、とっても、なんというか、興味深いなぁと感じるようになった。

役者にとって最大の苦痛は、自分が納得いっていないのに、人に観てもらわなくてはいけないことだ。
それは、少しずつ、自分の心の深い部分にささくれを創っていく。
面白かったとか、良かったよと言われるたびに、小さな傷が増えていく。
本当は面白くないのに、言ってくれているのかな?と猜疑心の塊になってしまったり。
苦しんだことは見えないのかなぁ?なんて、全然関係ない方向に意識が行ったり。
もちろん、笑顔で、ありがとうございました!と言うべきなんだけれど。
それを口にするたびに、どこか、自分が人を騙しているような気分になったり。
逆に、褒める人は、ちょっと芝居を観る目がないんじゃないだろうかなんて考えてしまったり。
そういうことで、傷ついて、立ち直れなくなった俳優を何人も観てきた。

褒められることは嬉しいし、褒められたいと常に考えているはずなのに。
自分の中の納得度が、その言葉を、全く違う色に染め上げていってしまう。

名前が大きくなった俳優は、だから、納得した作品にしか出演しない。
けれど、殆どの俳優は、声がかかれば、やります!というスタンスしか通用しない。
来た仕事は何でもやるぐらいじゃないと、誰にも信用もされないからだ。

まぁ、映画の宣伝をしている俳優も千差万別だから、面白くないケースもたくさんあるのだけれど。
そういう中で、なんて、この人は役者なんだろうなぁと思えるケースが時々あって。
それに出会うと、なんというか、芝居に立ち向かってるじゃんか!と伝えたくなる。
一緒に呑みたいなぁなんて、考えるようになる。
自分も同じようなことがかつてあったし、立ち直れたから。

実は、そこからが、俳優なのかもしれない。
なぜなら、それを一度感じると、立ち直る方法は一つしかないからだ。
それは、自分が納得できる芝居をすることでしか解決できないのだ。
それまで、どこか、自分に嘘をついているという感覚が付きまとい続ける。
その感覚を振りほどくほど、深く納得できる芝居を見つけなくてはいけない。
それが、すぐ次の作品なんて言うラッキーは殆どない。
長く苦しい戦いに挑み続けることになる。
ああ、まだ、自分が納得できる芝居が出来ない。
そう思いながら、それでも、立ち向かい続けなくてはいけない。
そういう姿になって、初めて、役者と言えるのかもしれない。
それまでの自分よりも、何歩か厳しい自分になっていたりするそこからが。

だから、面白く感じるのかなぁ。
ああ、この人は、実は自分の芝居にまだまだ納得できていなくて。
それでも、宣伝だけはちゃんとやろうと頑張ってるのかと、思えた時に。
役者だなぁ。苦しんでいるなぁ。がんばれ、がんばれ。
そんなふうに、自分の中の何かを投影しているのかもしれない。

役者にとって、映画は過去だ。
それも、タイムラグのある過去だ。
かつての自分の芝居と向き合わなくてはいけない。

それはそれで、実に面白い、役者らしい仕事だよなぁと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:17| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月21日

人間力

いよいよ今年も残るところわずか。
年末年始の映画が封切して、連続ドラマは最終回を迎えていく。
テレビ番組も特番がどんどん増えてきた。
今期観ていたドラマも、残す所「陸王」だけしか残っていない。
その陸王も、今週末には最終回を迎える。
あ、相棒はもちろん2クールだけれど。

陸王を観ていて、驚くのは、あまりにも他業種の人が俳優をやっていることだ。
お笑い芸人だけでも何人出ているだろう?
芸人、落語家、歌舞伎役者、ミュージシャン、若手、新人、果ては、エッセイストまで俳優として出演している。
最近になって、元スポーツ選手まで重要な役どころで登場したもんだからひっくり返った。
ここまで幅広いキャスティングというのも珍しい。
自分がキャスティングするなら・・・と想像すれば、絶対にありえない選択肢だ。

それでも、しっかりと破綻なく、演じているのには多分理由がある。
当然、出演者の皆様がしっかりと取り組んでいるというのもあるのだけれど、それだけではないと思う。
真剣に取り組むと一口に言えば簡単だけれど、その真剣にも、質があるからだ。
陸王では、目の前に、役所広司さんがいる。
この人と芝居をしなくてはいけない。
そして、この人の芝居を観たり、背中を見たりできる環境下にある。
それだけで、何もなく真剣に芝居に向かう何倍ものポテンシャルを発揮できていると思う。
・・というか、そう思えるだけのシーンが山ほどある。
そして、その全ての異業種俳優と役所広司さんの絡みが用意されている。
相手役をしなくてはいけないし、すれば、確実に受け取れるものがあるはずだ。
それは、もう、観ているだけでも、伝わってくる。

テレビドラマでは通常、主演が座長になるのだという。
当然、俳優によって、その座長としての役割は大きく変化するだろうと思う。
背中で見せるタイプ、陽気に盛り上げるタイプ、周りに支えられるタイプ、様々なはずだ。
実際の役所さんがどのような形で主演としてそこにいるのかはわからないけれど。
その姿は、周りを発奮させる何かを持っているのだけは間違いがない。
俳優として生きている人だけではない環境で破綻なく芝居が成立するというのは簡単なことじゃないはずだ。
それぞれが当然、爪痕を残したいだろうし、自分の元々持っているものを出したいとだって思うはずなのに。
シンプルに作品に向かっているというのは、監督やスタッフ陣だけの理由とは思えない。
やはり、その中心にいる人の持つ力は、作品に大きく影響するのだなぁという証拠だ。

バイプレーヤーは、作品にアクセントを加える仕事をしなくちゃいけない。
それはそれで、重要で、難しいことだ。
物語の全てを把握して、全体の空気を把握して、その中でベストなアクセントを選択するのだから。
だから、もちろん、主演だけが大変なわけではない。
それでも、なんというか、演技だけではなくて、座組としてのポジションの重要性というのもあると思う。
バイプレーヤーだけど、あの人が現場に来ると、ちょっと活気が出る・・・。
そういう役者だってきっといると思うのだ。

陸王では、なんと、あの寺尾聡さんがバイプレーヤーに徹している。
まさに、徹しているという言葉が一番しっくりくる。
ルビーの指輪でミュージシャン出身と思っている人も時々見かけるけれど。
演劇界においては、まさにその演劇の中心地で育った俳優だ。
(・・・宇野重吉さんにどんどん似てきていて、びっくりする)
当然、主演作品だって、いくつもやっているし、舞台では座長を何度もやっているはずだ。
その寺尾さんが、座組の中でも非常に重要な場所に立っていることもすぐにわかる。
何かサポートをしているとは思わないけれど、役所さんと軽く話をしているだけで、空気が出来るはずだ。

そんなことを考えていたら、なんと芝居の持つ奥深さの面白さかと、楽しくなった。
実際の演技の深さ。座組の中での共演者との関係性。
良い作品は、それが生まれる環境でしか生まれない。
デジタルだろうが、フィルムだろうが、空気は常にそこに映るのだ。

役者は人間力だと、何度も何度も教わった。
何度も教わっただけじゃなくて、何度も感じた。
不倫しようが、銀座のクラブで豪遊しようが、ゴールデン街で暴れようが、芝居には関係がない。
結果的に、その俳優の持つ人間力が深く、大きくなるのであれば、それが収穫になっていく。
そういう役者を今まで何人も観てきた。
つまらない人間は、つまらない役者にしかなれないよ。
そんな言葉も、身に染みるように感じる。

異業種であろうと。
そこに、強い人間力を感じれば。
当然、影響を受けるはずだ。
それがとってもとってもよくわかるドラマが陸王なんだと思う。
原作の持つ力ももちろんあるし、スタッフワークから生まれる力があるのもわかったうえで。
やっぱり、役所広司さんの持つ人間力が、あのドラマの中心に常にあるとおいらは感じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:17| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月20日

30分×3本

劇団のHPに、2018年度の情報を公開した。
と言っても、先日の劇団員の客演先でパンフレットに載せてもらった情報と同じだ。
つまりは、現時点で公開できる確定している情報。
あまり、多くの情報量はないけれど、多くの方々に反応を頂いているようで・・・。
なんというか、とても、ありがたいなぁと感じ入る次第です。

来年については、まず、2018年10月の20周年を迎えるタイミングの公演から決めていった。
そこで、何をやるべきだろう?そういう話から始まって、新作をやろうという話になった。
その為に必要な準備期間や、他の諸々のことをそろえていこうと。

そこまで決まってから、今年の6月の公演から、間隔が空きすぎているという問題に当たった。
ただ、その前に、予定通りいけば映画公開が入る。
舞台ではないけれど、興行はあるから、何もやっていないわけではないよねという意見も多かった。
毎週のように稽古を重ねているのに、活動的じゃないというイメージは、あまり良くない。
良くないけれど、映画公開があれば、そういうイメージにはならないのだから。
10月の本公演に向けて、集中していこうという意見は、結構根強かった。

それに小さいけれど問題もあるんじゃないだろうかと思った。
それは、春頃に舞台をすれば、場合によっては映画公開後初の公演になるからだ。
映画公開が決まれば、プロモーションも含めて、監督がいつもより忙しくなるのは目に見えている。
映画とは別の話だって、映画公開が控えているだけで、来るかもしれない。
そう考えると、5月に新作公演は厳しいし、再演だとしても、改訂する時間があるかどうかだ。
今、この時期に、監督に力を入れて欲しいことは、公演ではない。
映画のプロモーションでも、映画から派生していく別の仕事でも、舞台が忙しくて落とすような状況にしたくなかった。
だから、監督の負担の少ない企画公演をしようかという話になった。
それに、映画で初めて劇団を知る人が足を運ぶ可能性だって、ゼロではないのだ。
監督の本公演は、充分に準備した公演であるべきで、焦って製作する公演にしてはむしろマイナスになってしまう。
企画公演であれば、逆に足回りが良くなる。
大きな問題ではないけれど、繊細な問題があった。

だから、役者は自由参加で、企画公演をやろうという方向になった。
・・・と言っても、企画公演って何をやろうか?から、じっくりと話しながら進めていった。
例えば、お笑い的なイベントとか、バラエティ的なイベントとかも一応出た。
それでも、やっぱり、芝居をしようよという話になった。
企画公演は今まで、4回ほど劇団で上演してきている。
5周年にスタジオアルタでバラエティ的な公演をしたのを皮切りに。
ショートフィルムを4本製作して、上映会をやったりもした。
自由参加でオムニバス公演をしたこともある。
口立てとか、インプロとか言うけれど、アドリブで構成した公演もあった。
その4種類を踏まえたうえで、じゃぁ、何をやろうかという話になった。

おいらの覚えているのは・・・
中途半端なことはしたくないなぁという意見と。
ちゃんと芝居をやりたいという意見。
熱い芝居とかもやりたいという意見。
そういう意見が思った以上に出てきたことだ。
向いている方向は、意外にバラバラでもなかった。

客演先で情報を掲載してくれるという話を聞いて、11月中に、概要だけでも決めよう。
それまでに、それぞれ、色々、具体的な提案を用意しようという話になった。
既存の脚本を上演することだって構わない。
古典のリメイクだって構わない。
もちろんオリヂナルを用意しても構わない。
あらゆる可能性を残したまま、それぞれ、思いつくことがあれば持ち寄ろうよということになった。

〆切が近づいてきて、それぞれにリサーチを重ねた。
思ったよりも、具体的な提案を思いついている人は少なかった。
既存の台本だとしても、出演者数と同数かどうかなど問題は山ほどある。
このままだと、結局何をするのか決まらないんじゃないかという状況だった。
だから、〆切となる11月最終稽古の前の週に、おいらはそれぞれの希望を踏まえた長編の台本を一本書いた。
劇団に所属する前は、自分で台本を書いて自分でやっていたのだから。
もちろん、それがすんなり通るなんて思ってもいない。
8割以上の確率で、無駄になる、ボツになると、わかっていながら、書いていった。
〆切の前の週に、石を投げておかないと、動くものも動かないぞという感覚があったからだ。
それに、ここでボツになったって、どこかで別の形で発表するかもしれないのだから無駄じゃない。

果たして、次の週。
概要が決まった。
なんとか、速報とは言え、情報を纏めることが出来た。
30分の作品を3本、同時上演する。
中編3本の公演というのは初になる。
かつてやったオムニバスは、ショートショートの世界だった。
3本とも、完全オリヂナルの予定だ。
3つの班分けも、出来た。

・・・とは言え、まだ詳細の発表には、至らない。
完全に確定まで行っていないからだ。
概要通りだけれど、その概要の中で、ボツの可能性だって、今も充分にあると思っている。
やる以上は、本気だし、素晴らしい公演にしなくちゃいけない。
概要内なら何でもOKというわけではないのだから。
はっきりと、これで行こう!となるまでは、やはり詳細の発表は難しい。
3作品のうち1本でもゼロから書き直しになれば、詳細が変更になってしまう。
だから、詳細は、もうしばらくお待ちいただけたらと嬉しいです。

長編で書いた作品を短くしてやれば?と監督から言葉を頂いたけれど。
自分で、それはボツにした。
これはこれで、取っておけばいい。
仮に日の目を見ないとしても、これを書いたことが教えてくれたことの方が多い。
だったら、新しく別の短い作品を書いた方が良いと思った。
もちろん、新しいそれも、役者からボツと言われることを覚悟したうえでのことだ。
書くならそれは、当然のことなのだから。

春の公演が決まれば。
きっと映画公開と相乗効果が生まれる。
お互いの告知が、お互いに良い効果を生むと思う。
少なからず宣伝効果は、倍以上になる。
映画の公開にも良い影響が出てくれたらと願っての企画だ。
映画の公開も成功させたいのだ。
立ち見が出るぐらい映画館が満員になったらなぁなんて思っている。
その為に出来ることは何だろう?って思う。
監督が充分にプロモーションでも何でも出来る状況で更に舞台もやる。
一見、無茶苦茶にも思えるけれど、それだって出来るはずだ。

やはり、前に前に。
一歩ずつでも進む。
愚直だとしても、そこにしか、答えはないのだなと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:44| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする