初雪の大晦日。2017年最後のエントリー。
2015年の年末は応援してくださる皆様と共に歩み始めた。
2016年の年末は今思えば、苦しい、厳しい日々を、皆様の声に支えられてなんとか走り続けた。
そして、2017年は、皆様と共に、待ち続けた日々だったのだと感じております。
昨日は春公演の劇場下見。
出はけ口、実際の見た目、高さ、図面には載っていないようなハリのあるなし。
楽屋周り、水回り、客席数、他にも色々。
本当の駅前だから、電車の音や街中の音も聞こえてくる。
そういうことは、実際に足を運ばないとわからなかったりする。
観劇に行ったことはあるから、感覚ではわかっていたつもりだけれど。
実際に足を運んで、舞台本番中とは違う蛍光灯の照明下でスペースを確認するとまるで違ったりもする。
隣が駅前劇場だから、その兼ね合いもある。
同じ公演期間のスケジュールを確認して、とっても面白い偶然もあったりして。
なんというか、2017年最後に、良い確認をしたなぁと。
下北沢から世界へ。
2017年は、一年を通して、本当にこの言葉の中を生き続けた。
世界を意識したし、下北沢という街並みの中で、演劇に向かい続けた。
実際に自分たちが生み出した作品が海の向こうに渡っているという感覚と。
演劇の街で、変わらず演劇を生み続ける日々と。
その両方を生きる年になった。
字幕が付いた僕たちの映画は、海を越えて、世界中のフェスティバルのプログラマーたちに届けられている。
それは、もしかしたら、そんなことはなくて、妄想なのかもしれないなんて、何度も思った。
どこかで誰かが見つけてくれる。
日々、そう願い続ける。
願い続けながら、年を越えることになった。
そして、いよいよ公開も控えている。
大晦日はその年を振り返る。
そして、来年について思う。
正月がやってくれば、来年の願いに、手を合わせることになる。
神様に頼んでいるのか、自分に言い聞かせているのか。
或いは、その両方なのかもしれないけれど。
次に進む前のほんの束の間。
自分の中で、ここまでの道を、確かめる。
来年のことを、次のことを、すぐに考えたくなる性分を抑えながら。
皆様と共に待ち続けると一言で言っても。
日々、状況を知ることのできる自分と、書けることしか伝わらない皆様とでは大きな差があるはずで。
待ちきれない方もきっといらっしゃるんだよなぁと、思うばかり。
いや、自分だって、何かを待ちながら、もう待ちきれないと何度も何度も思うのだから。
でもきっとこれも必要な時間になると思っている。
お前はどこまでポジティブなんだと、怒られそうだけれど。
紛れもなく、ここに作品があって、公開を控えているのだから。
この時間を経て、公開に向かうべきだったのだと思うようにしている。
これは強がりでも何でもない。
誰にもできないようなことをやったのだから。
胸を張って、一歩ずつ歩くと決めたのだから。
どこかを一足飛びに端折ってしまうわけにはいかないのだから。
そして、ただ公開するとか、海外に挑戦するだけでは、ダメなんだ。
それが、未来に繋がっているのかどうかなんだ。
2019年も、2020年も、2038年にさえ、繋がっているのかどうか。
こういうことをやりました、ちゃんちゃん。にしちゃいけない。
夢ではなく、具体的な未来を、道を切り開いていく。
その覚悟を養った年が2017年だったのではないだろうか。
傷も負った。
ささくれのような小さな傷。
致命傷になりうるような大きな傷。
けれど、そんなことは当たり前だ。
他の傷との比較が出来るようなものでもない。
この傷は、傷跡になって、共に生きていくようなものだ。
なあに、それはそれで、勲章のようなものだ。
いずれ、馬鹿話のように、傷跡を指さしながら笑うのさ。
さあ。
年が暮れる。
ゆっくりと、陽が落ちて。
2017年が終わっていく。
応援してくださる皆様。
いつも、ありがとうございます。
このBLOGを読んでくださる皆様。
感謝しております。
2018年も変わらず進んでいきます。