2017年11月28日

変わらない変化

クランクアップから一年が経過した。
メインとなるロケ地でクランクアップした役者も多かったけれど。
数シーンのみ、街中などでの撮影が残っていた。
朝早く集まって、あっという間に撮影が終わった。
終わった後、出番が残っていたメンバーで味噌ラーメンを食べに行ったのを覚えている。

既に編集は始まっていて。
そこから、年末にかけて、一気に編集が加速していった。
あれから、一年も経過しているなんて、ちょっと信じられない。
この頃の編集はまだ半分にも達していなかった。
早く最後まで一度編集を終えて、そこから二周目に入りたいなぁと思っていた頃だ。
だから、この撮影時も、どこに編集で加えるのかも、何を狙っているのかも知っていた。
前の撮影よりも、明確で、ああ、編集を経験するってこういう事なんだなぁと思った。

その後は、もう、延々と監督と二人で編集作業が続いた。

思えばとっても不思議なことだと思う。
監督の初の長編映画を二人で編集しているという事自体が。
完全に監督の指示を信頼している自分を毎日発見した。

おいらは、劇団に入る前、自分で芝居をやっていた。
自分で台本を書き、役者を集めて、資金を集めて、演出をして、出演もして、公演をした。
今は、有名になった作家や演出家も周りにはいたけれど。
まぁ、若気の至りというか、なんというか、誰にも負ける気がしなかった。
全然、自分の方が凄いじゃんって思っていた。
師匠と慕う人もいたけれど、その人にだって強気で、食いかかる有様だった。

その後に、デビッド・宮原という人の台本に出会った。
正直、はじめは、とんでもねぇなと、呆れた部分もあった。
なぜなら、おいらが知っている演劇の約束事なんか、ほとんど、無視していたからだ。
おいらは、シェイクスピアからチェーホフから、時代を創った人たちの戯曲を読み漁っていた。
それに、小劇場から何から、とにかく、何本の舞台を見まくったかわからないぐらい観ていた。
全然知らない劇団の打ち上げに勝手に参加して話をしたり、稽古場に出向いてみたりしていた。
そんなおいらから観れば、この人の書く台本は、めちゃくちゃだと思った。
若い人の不勉強な台本なんて、当時のおいらは、ぼろくそに言っていたしさ。

でも、そんなのは、自分も演じるようになって、少ししてあっという間に逆転していった。
いや、そうじゃない。これは、ひょっとしたらとんでもないぞ。
あれ、こんなセリフ書ける人って、今、他にいるか?
この人の頭の中は、どうなってるんだ?
まともな演劇人って顔をしている奴らには、理解できないことやってるじゃんか。
と、どんどん自分の中で、驚くほど変化していった。
そして、いつの日か、この人の書く台本には、ちょっと、自分は勝てないなと思っていた。
こんな発想力は、自分にはないものだなと、気付いた。
それに、セリフの一つ一つがリリカルなのは、自分の中にあるものと共鳴していった。
信じられない発想力と、共感してしまう詩的センス。
こんなもんに、勝負を挑む方がどうかしている。
軽く演劇の常識なんて、飛び越えている台本だった。

そのデビッド・宮原の書いた舞台が、映画になって。
そのシナリオを1から解体して、撮影しやすいようにまとめていって。
その上、撮影された素材を、監督の指示通りに配置していくなんて。
自分にはない発想力を、目の前や隣で感じ続けるなんて。
時間というのは、何を起こすかわかったものじゃない。
映画スタッフさんが、いつもの映画の常識では考えられないと口にしたのも当たり前だ。
だって、おいらが出会った時からそうだったんだから。

クランクアップから一年か。
信じられない。
まだ公開前で、相変わらず、自分たちは苦しんだり悩んだりしている。
実は結構、ギリギリなんだぞ!とか思いながらも。
ギリギリとは思えないような大股で歩いてる。

去年とは確実に違う。
それまでと、それからでは、違う。
同じような日々を過ごしながら。
やっぱり、同じではない日々を進む。

同じではない来年のために。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:15| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする