クランクアップから一年が経過した。
メインとなるロケ地でクランクアップした役者も多かったけれど。
数シーンのみ、街中などでの撮影が残っていた。
朝早く集まって、あっという間に撮影が終わった。
終わった後、出番が残っていたメンバーで味噌ラーメンを食べに行ったのを覚えている。
既に編集は始まっていて。
そこから、年末にかけて、一気に編集が加速していった。
あれから、一年も経過しているなんて、ちょっと信じられない。
この頃の編集はまだ半分にも達していなかった。
早く最後まで一度編集を終えて、そこから二周目に入りたいなぁと思っていた頃だ。
だから、この撮影時も、どこに編集で加えるのかも、何を狙っているのかも知っていた。
前の撮影よりも、明確で、ああ、編集を経験するってこういう事なんだなぁと思った。
その後は、もう、延々と監督と二人で編集作業が続いた。
思えばとっても不思議なことだと思う。
監督の初の長編映画を二人で編集しているという事自体が。
完全に監督の指示を信頼している自分を毎日発見した。
おいらは、劇団に入る前、自分で芝居をやっていた。
自分で台本を書き、役者を集めて、資金を集めて、演出をして、出演もして、公演をした。
今は、有名になった作家や演出家も周りにはいたけれど。
まぁ、若気の至りというか、なんというか、誰にも負ける気がしなかった。
全然、自分の方が凄いじゃんって思っていた。
師匠と慕う人もいたけれど、その人にだって強気で、食いかかる有様だった。
その後に、デビッド・宮原という人の台本に出会った。
正直、はじめは、とんでもねぇなと、呆れた部分もあった。
なぜなら、おいらが知っている演劇の約束事なんか、ほとんど、無視していたからだ。
おいらは、シェイクスピアからチェーホフから、時代を創った人たちの戯曲を読み漁っていた。
それに、小劇場から何から、とにかく、何本の舞台を見まくったかわからないぐらい観ていた。
全然知らない劇団の打ち上げに勝手に参加して話をしたり、稽古場に出向いてみたりしていた。
そんなおいらから観れば、この人の書く台本は、めちゃくちゃだと思った。
若い人の不勉強な台本なんて、当時のおいらは、ぼろくそに言っていたしさ。
でも、そんなのは、自分も演じるようになって、少ししてあっという間に逆転していった。
いや、そうじゃない。これは、ひょっとしたらとんでもないぞ。
あれ、こんなセリフ書ける人って、今、他にいるか?
この人の頭の中は、どうなってるんだ?
まともな演劇人って顔をしている奴らには、理解できないことやってるじゃんか。
と、どんどん自分の中で、驚くほど変化していった。
そして、いつの日か、この人の書く台本には、ちょっと、自分は勝てないなと思っていた。
こんな発想力は、自分にはないものだなと、気付いた。
それに、セリフの一つ一つがリリカルなのは、自分の中にあるものと共鳴していった。
信じられない発想力と、共感してしまう詩的センス。
こんなもんに、勝負を挑む方がどうかしている。
軽く演劇の常識なんて、飛び越えている台本だった。
そのデビッド・宮原の書いた舞台が、映画になって。
そのシナリオを1から解体して、撮影しやすいようにまとめていって。
その上、撮影された素材を、監督の指示通りに配置していくなんて。
自分にはない発想力を、目の前や隣で感じ続けるなんて。
時間というのは、何を起こすかわかったものじゃない。
映画スタッフさんが、いつもの映画の常識では考えられないと口にしたのも当たり前だ。
だって、おいらが出会った時からそうだったんだから。
クランクアップから一年か。
信じられない。
まだ公開前で、相変わらず、自分たちは苦しんだり悩んだりしている。
実は結構、ギリギリなんだぞ!とか思いながらも。
ギリギリとは思えないような大股で歩いてる。
去年とは確実に違う。
それまでと、それからでは、違う。
同じような日々を過ごしながら。
やっぱり、同じではない日々を進む。
同じではない来年のために。