10℃をコンスタントに切り始めた。
この空気は良く知ってる。
去年の今の時期は編集を開始していて、最後の別撮影の日程が決まった頃だ。
毎日、編集用モバイルスタジオを背負って歩いていた。
思えばなんとクリエイティブな日々であったか。
通常、役者であれば、作品に取り組む場合、自分の役を中心に考えていく。
台本の構造を理解して、流れを掴んでいく。
演出家の言葉は、台本の解釈のヒントがたくさんあって、そこからも読み解いていく。
でも、そういうのとは、まったくの別の作業が編集だった。
まさに、演出家の、監督の、視点を知っていくという作業。
自分はこのシーンのここが好きだなぁと思っていたのに。
ああ、ここを見せたかったんだなぁというのがリアルタイムでわかっていく作業。
もちろん、自分の役を中心になんか考えられない。
そんなことをしていたら、作業が進まなくなる。
慣れない時期は目の前の監督の視点についていくのが精一杯。
作業効率を上げていかないと、編集がテンポよく進んでいかないのだから。
それは実に良い体験をさせてもらったと思う。
自分でも、監督や、舞台の作演出をしたことがあるけれど。
それともやっぱり違っていた。
演出助手の時ともやっぱり違っていた。
目の前に演者がいない、監督の意思だけを反映する作業のエンジニアなのだから。
本当はこうしたいけど・・・こうなるかなぁ?なんてことも何度もあった。
こういう感じならできますという提案も、出さなくては、進まなかった。
創造的な時間は、常に脳を刺激し続けた。
その体験は、今も自分の血となり、骨となっている。
ロジカルな部分も含めてだ。
編集には残酷な面ももちろんある。
監督が余剰だと思う部分は当然カットしていくのだから。
でも、それは、実は本当の意味での平等なのだと思う。
作品を良くしようと思えば、当然、良いカット、観たいシーンを前に出す。
役者に気を使ってカットしないなんてことは実は、ものすごく不平等だ。
それは、なぜかと言えば、そこを生かすことで良いシーンをカットするからだ。
チャンスは常に全員が平等に持っている。
結果は当然だけれど、常に偏りが生まれる。
けれど、結果的に、その偏りこそが、もっとも平等なことなのだと思う。
それは、カットされたシーンも、すごく良ければ当然そこに残ったという平等だ。
時々、この平等というのが揺らぐ場面に遭遇する。
これは不平等なんじゃないかという意見を目にする時、いつも逆だなぁと感じる。
本当の平等というのは、偏りがあって、差があるものだ。
わかりやすいなぁと思うのはダンスだ。
うちの劇団にはダンスを何年も習っていたメンバーが数人いる。
そのメンバーがダンスシーンにおいてセンターに立つことは、当然のことだ。
なぜなら、そのメンバーは長い時間と、決して安くないお金を投資し続けて、その技術を身につけている。
それなのに、もし舞台で、自分がそのメンバーに割って入ってセンターに立てば、それは不平等なのだ。
一見、皆が同じように目立つようにするのが平等のように思えるけれど。
何年も学んだ人にとっては、同じ扱いにしてしまうのは不平等になるという事だ。
差があり、偏りがあるから、努力をする。
いずれ、あそこに自分も行くのだと、努力を重ねる。
その努力するチャンスがないとしたら、それこそ、不平等なのだと思う。
努力して明らかに向上をしても、皆と同じままなのだとすれば、それも、不平等だ。
まぁ、往々にして、努力が結果に結びつかないという事はあるのだけれど。
重要な何かを決定するとき。
このチャンスのある期間を必ず意識的に創るようにしている。
セブンガールズの映画製作におけるキャスティングも、決めるまで一定の時間を置いた。
監督と稽古を重ねる時も、すべてのシーンを見せられる時間があった。
努力して、提案できる時間を、用意している。
実は、そんなに平等で優しい現場なんて、この世の中に殆どない。
ある意味、今もそういう期間だ。
次の稽古までは、それぞれが、何かを考えて、自由に持ち込める期間だ。
もちろん、持ち込まない自由も含めて。
それは、ある意味、イズムだ。
じゃあ、こうしようと決めるのではなくて、考える期間を設ける。
6月の公演が終わってから今日までの期間に、考えたり稽古したことを、一度収束していく。
夏があって、冬があるように。
季節があって、温度差があるように。
個人と個人の間には、理解のできない永遠の壁があるように。
差別や平等について考えすぎて、差を嫌いになってはいけない。
夏の日があるから、今、寒いなぁなんて言葉が出てくる。
「暑い」という言葉がなければ、そもそも「寒い」という言葉もなくなってしまう。
寒いから暖かくするし、寒いから木々は赤くなるし、寒いからぬくもりを求めるのだから。
10℃をコンスタントに切る日々がやってきた。
襟を合わせて、白い息を吐く。
待ち遠しい春を思い浮かべる。
この空気は知っている。