学者の特に理数系の人は、痩せている人が多い。
学者は極度に脳を使用しているかららしい。
実は、人間の体でもっともカロリー消費をするのは脳なのだという。
頭脳をフル回転させ続ければ、それだけ疲れる。
だから、例えば将棋の棋士は対局中に糖分の接種をする。
甘いものを食べないと、十数手先まで読むことは出来ないのだそうだ。
ダイエットのカロリー消費というと、基本的に運動での消費を指示されるはずだ。
だから、なんとなく体の方がカロリーを消費するように思える。
けれど、例えばPCで一番電力を使用するのがCPUであるように。
人間の全ての行動・・・運動も含めて・・・をつかさどる脳こそ、カロリーを使用する。
学者で、炭水化物ダイエットをするような人は恐らく現れない。
糖質があるからこそ、頭脳労働が出来る。
もちろん、それで痩せているからって、全然健康だというわけではないけれど。
逆に、不健康なのかもしれない。
少なくても、そんな生物は、人間しかいないわけで、生物的には不自然なはずだ。
運動でカロリー消費することがもっとも健康的なのは間違いない。
健康そうな学者って、あまり想像も出来ない。
人がキャラクターを身につけるというのは、つまり、体格にまで現れるという事だ。
年輪を重ねていくうちに、職業や性格が、肉体に、顔に現れる。
衣装や小道具で、いかに飾ろうとも、演技だけでは到達できない時間がある。
芝居なんて嘘と言えば、嘘なわけで、そこまで追求することも実はあまりない。
最近では刑事なのに前髪をたらしたり、ヒールを履いているし。
そもそも、美男美女ばかりのオフィスなんて、どこにもありはしない。
とは言え、やはり、醸し出す空気感であるとか、表情であるとか。
演技でも到達できる部分もやっぱりあるんだよなぁと思う。
学校の教師をやっている人は、年を取るとすごくわかりやすい。
基本的に人前に立ち続けていたから若々しいし、声も大きい。
演じるとき、キャラクターを自分に落とし込むとしたら、そういうわかりやすい所からになる。
演じるというのは他者になることなのだとして。
世にいる人と乖離しすぎると、演じられる範囲がどんどん狭くなってしまう。
演じ続けてきた人も、やっぱり、どんどん役者っぽさを身につけていく。
こんな人どこにもいないよ!っていう役者は案外たくさんいて。
年齢を重ねるって言う事は、そういう難しさもあるんだよなぁと思う。
普通さを身につけていくという事が、実は一番難しいことだ。
自分の顔はどんな顔をしているだろうか?
まだ目立つほどじゃないけれど、これから皴も深くなるだろう。
その時、どの皴が深くなるのだろうか?
笑いじわ?眉間のしわ?
自分の生きてきた時間そのものが、皴になり、体格になり、表情になり、匂いになる。
その時、自分は、どんな芝居が出来るのだろう?
どこにでもいるような、凡庸さを、兼ね備えていたいなぁと願うけれど。
さて、ちょっと、糖分でもとろう。
頭の中がしゅわしゅわしてきた。