最近、イップスという言葉を目にすることが多くなった気がする。
ここ数年になって、一般化してきた言葉だと思う。
そもそもは、ゴルファーの言葉だったらしい。
肉体的な故障などなんにもなく、それまで普通にできていたパットが出来なくなる現象らしい。
20年以上続けているゴルファーなどには突然起きることなんだそうだ。
それが徐々に宮里藍選手の引退なんかで広がっていって。
例えばフィギュアスケートの浅田真央選手がジャンプのイップスなんじゃないかとか。
例えば、阪神タイガースの藤波投手が、投球イップスになったとか。
様々なスポーツの場面で言われるようになったなぁと思う。
記憶による防衛本能などに根差した精神疾患だと、理解している。
本能的に、一瞬で緊張して、指や手がいつもとは違う稼働をしてしまう。
怪我に繋がる記憶や、失敗に繋がる記憶、強烈な痛みの記憶。
本能はそれを回避したり、それを無意識に注意してくる。
ベテランに起きると言われていたけれど、最近では子供のスポーツでもあると言われているようだ。
昔は、なんというか、ビビってるとか言われていたことなのかもしれない。
一度、危険球を受けたバッターが、インコースには自然と腰が引けてしまってスランプになる。
お前、ビビってるんじゃないよ!とただ怒られて、克服に時間がかかる。
そういうのが、実は脳的な現象だよと、最近になってちゃんと理解されつつあるという事だ。
怖さを気合で乗り切ることなんか、とても出来るわけがない。
もちろん、そういう状況になった選手を昔から丁寧に指導する人もいた。
かなり遅いスピードの球でインコースの球を打つところから地道に再度慣れるようにしていく練習だ。
時間はかかるけれど、繰り返すことで、無意識に体が動く所まで持っていけば確かに克服できる。
実は、役者は、そういう精神疾患との戦いともいえる。
知り合いの俳優の中には、赤面症、多汗症、吃音症は何人もいた。
稽古では普通に芝居が出来るのに、本番で早口になる役者、途端に活舌が甘くなる役者。
緊張する場面になると、噛んでしまうというのも、たぶん、細かい精神疾患の一つなんじゃないだろうか。
或いは、稽古場で、ダメ出しに耐えられなくなるという症状もなくはない。
緊張は必ず、本番でも稽古場でもするんだけれど、実際に見える部分に現れる人も多い。
そうなると、やっぱり繰り返しで克服するのか、リラックス法を覚えるのかになっていく。
或いは、自分のスタンスを固めて、自分のスタイルを確立することで軽減していく。
演劇の場合、昔からあることだから、様々な方法が既に考案されている。
そこを恐れていては、結果的に芝居にならないから、方法を探すしかない。
もちろん、演劇も肉体を使うものだから、同じようなことがあるのかもしれないけれど。
実は、肉体的なことだけではなく、同じようなことって言うのは潜在的にあるんじゃないだろうか。
例えば作家や絵描きが書けなくなるという現象はとても似ていると思う。
なんのイメージも湧かないだけじゃなくて、無意識に、〆切の厳しさ、評価の残酷さがペンを置く。
そういうことって、きっとあるのだろうなぁと思う。
或いは、それまでは、自分らしい角のある絵を描いていたのに、どこかで角を取ってしまう。
芝居でも昔はこういう場面で思い切った表現が出来たのに二の足を踏んでしまうという事があるけれど。
同じようなことがきっと、頭脳労働にもあるのだと思う。
気合が足りないとか。
やる気がないとか。
簡単に言えないところなんだよな、本当はと思う。
無意識的なブレーキは、どこにでもあるのだ。
それはもう、反応に近いことだから。
シンプルにね。
大失恋をして、告白できなくなってしまうのも、きっと同じようなことだって思う。
それを怖がっているというのは簡単だけど、無意識レベルで拒否してしまう場合は、克服は簡単じゃないよ。
勉強が苦手になる子供にだって、もしかしたら、そういう面があるかもしれない。
大なり小なり、実はそういうことを誰もが抱えているんじゃないかと思う。
トラウマなんて言葉もあったけれど、もっと微細な部分。
意識できるもの、わかるものならいいけれど、気付いていないことも含めたら、相当数あるんじゃないだろうか。
緊張で人差し指一本が動かなくなるだけで、ゴルフのパットが入らなくなる。
経験を重ねることは、臆病になることでもあるのかもしれない。
自分にもそういうものが、30年近く芝居を続けてきたおかげなのか。
織のように重なっている。
舞台本番前に、なんで緊張しないの?なんて聞かれることもあるけれど、緊張していないわけじゃない。
大きく震えたり、血の気が引けたり、体が固まるようなことは余りないけれど。
指一本、声一つ、細かく細かく、無意識レベルの影響を感じる。
そこから、逃げるわけにもいかない。
丁寧に、自分でチェックして、その正体がなんなのか。原因はどこにあったのか。
探っていくことでしか、何も解決していかない。
チェックを怠ると、一年後に一気に大きな問題になったりすることもあるから。
そこに向き合う稽古をしてきたんだなぁと思う。
今は監督のテキストで稽古をしてきているけれど。
それまで持ち寄っていた時に、克服できないまでも向き合うという事をしたのかと。
今日になって、ふと、思いついた。
何かをしなくちゃねと思った中で、その何かとは、きっと、それだった。
気合とかじゃない。
丁寧に自分を知っていくことからしか始まらない。
それは、お客様に観ていただく人間の責務だと思う。