稽古場に行くと客演に出る二人がチラシを持っていた。
なんだか、色々話しかけてきた。
いつも、あいつは、自分が忘れないうちに大事なことを話さないと病だ。
いいよ、後で・・・って言っても、なんかまくして立てていた。
そういう意味でも、久々に顔を合わせる後輩の顔は、相変わらずで。
何とも言えず、面白い。
稽古前に簡単に話す。
いないメンバーや遅れるメンバーもいる日だったから、淡々と。
今週起きたことと、現状の報告と、自分なりに考えていることを少し。
そして、人の意見も聞いていく。
とても厳しい世界なんだなぁと改めて思う。
でも、厳しいのが本来だ。
避けて通ろうとすれば、どこかに齟齬が出る。
稽古をする。
人数が少ない日は、演じる回数が格段に増える。
ほんの1~2人いないだけで、印象として回転数が全然変わってしまう。
演じているうちに、なんとなく、ツッコミみたいになってしまった。
しかも、ちょっと見覚えのあるツッコミ。
台本の構造がトリオコントに似ていたのもあって、自然とそうなってしまった。
一度、そうなってしまうと、修正が効かない。
意図的にそこに寄せていったのなら、万事OKだけれど。
意図せず、そこに行ってしまったのだから、反省点だ。
こういうことは芝居をしているとある。
頭の中に残るいくつかの記憶が、こっちにおいでと誘ってきてしまう。
でも、それは、結局楽をしているようなものだ。
自分でコントロールできていない証拠。ご用心、ご用心。
明後日に、何人かで某撮影現場に行くから、その話も少しする。
待ち合わせや、持っていくものの確認等々。
意外に、こういう話の時は具体的だからあっという間に決まっていく。
そんなものだ。
物事を話す時に、抽象的な段階だと、結局、堂々巡りをする。
具体的な話は、わりに、答えが簡単に出る。
まぁ、答えが簡単に出るという事は、それだけ、残酷という事でもある。
残酷な結果が出る前に、例え堂々巡りでも、出来る話はした方が良い。
稽古後、監督と立ち話。
ちゃんと聞く。
聞きながら考える。
考えれば考えるほど、手足がすくんで、何も出来なくなりかねない。
でも、本当の勇気はそういう所から始まる。
若さゆえの勇気は、無知ゆえの一歩なのだとしたら。
本当の勇気は、手足がすくんで、それでも、重い足を一歩前に出すところから始まる。
今は、その手足のすくみをしっかりと、自分で感じることだ。
その上で、足が前に出ないなら、それは、それでよい。
それを感じることから逃げて出す一歩なんて、なんの意味すらないからだ。
傷から逃げては結局何も生まれない。傷を受けて立っていられるのか自問することが重要だ。
ほろ酔いで話す。
傷についての話になった。
実は、いつも飲むこのメンバーはちょっとした傷を抱えている。
その傷の処理方法がわからないまま、何が出来るか話している。
傷を傷のまま放置して膿んでしまうようじゃダメだとわかっている。
傷の周りから肉ごと抉り出すのか、焼けた火箸を当てて殺菌してしまうのか。
ケアをしながら、自然治癒まで待つのか。
それとも、傷と共に生きていくのか。
放置するわけではなく、必死に向き合っている。何か月も。
帰宅して、録画してある陸王を確認する。
名優たちの織り成す、芝居のやり取りに、心が洗われる。
今期のドラマでは、なぜか10代20代の主演がいないと話題になった。
確かに見てみたら、一人もいなかった。
でも、陸王を観れば納得できる。
ベテランの本物の芝居は、心に落ちていく。
今、安定感が求められているのかな?
ドラマを見る視聴者層が、30~40代だから・・・なんてのは嘘だと思う。
逃げ恥だって、コードブルーだって、10代の子はたくさん観ていたのに。
もっと違う視点で考えた方が良い気がする。
少しだけ。
本当の勇気を、役所広司さんにいただいた。