先を観る。
どこまで、先を観るかと言えば、どこまでもだ。
社会全体がどんなふうに変化していくのかも考えるし。
技術革新がどんなふうに進んでいくのかも考える。
そんな中で、自分がどんなふうにこれから進んでいくのかも考える。
映画製作を実行してみようと考えた時に。
クラウドファンディングの話だけでも、中々伝わらなかったのに。
世界に持っていきたいという言葉は、もう先過ぎて、笑いが起きた。
いや、実際に、笑っちゃうような話だったのだ。
映画なんか作れるわけがないという所から始めたのだから。
でも、実際に世界のマーケットに持っていっている。
当初から、考えなければ、そこにすら辿り着いていない。
一番好きじゃないのは、その場しのぎだ。
とにかく、その場を何とかしのいでいこうという発想はあまり好きじゃない。
どうしても、そうじゃなきゃいけない時も、せめて、何が前に進むのか探そうとする。
とくに、自分は思いつきで行動すると言われがちなんだけれど。
実は、思い付きはやまほどあって、その中から選択している。
その基準は、先があるのかないのかだ。
具体的に、先にこうなるかもしれないという事が思いついていたとしても。
それを口に出来ないことも多々ある。
こういうことが起きるかもしれないよとか、こうなる可能性があるぜという事。
それには、余りにも材料が足りなくて、まだ口にもできない段階がある。
映画であれば、映画というソフトが揃えばいいだけだから、荒唐無稽でも口に出来たけど。
例えば、これが評判が良くて、こんなことがあって、こうなれば・・・みたいなのは口にもしづらい。
多くの場合は運の要素が必要だったり、他者の評価が影響する場合だ。
でも、それは口にしないだけで、実は先の先まで考えていたりする。
簡単じゃない困難な道だ。
まぁ、実は困難じゃない道なんてどこにもないんだけれど。
それでも、打ち上げ花火ではなくて。
のちに、一本の線になるような。
そういう選択を常にしていかなくちゃいけない。
恐れずに。
映画の公開日が決まるまでの、この期間。
きっと、踏ん張り時だ。
ここで、もっともっと、更に前に歩めるように。
しっかりとしたものを考えなくちゃいけない。
地味な基礎練習を重ねるように。
同じように、地味に基盤をもう一度考えていかないとだ。
どこまで先を観る?
どこまで深く考える?
どこまでもだ。