2017年11月03日

曖昧な淀み

元SMAPの三人がインターネット生放送をした。
自分は見なかったのだけれど、その反響の大きさに驚いている。
なぜなら、これは、メディア改革の起爆剤になるからだ。
動画コンテンツは、確実にネットメディア中心になっていく。
その岐路になるのかもしれないなぁなんて思う。
そういう意味でも劇団が映画を創るという挑戦は意義がある。
スタジオでトークするようなバラエティ的なものから、編集されたドラマまで。
今後、小さな動画制作集団まで含めて、活発化していく。
そういう時代の波は確実に来ている。

集団論というのは、常に時代に相対化されてきたと思う。
家族であれ、会社であれ、チームであれ、劇団であれ。国民であれ。
社会に属している以上はそこに集団があって、その集団のどこかには個人は必ず帰属する。
集団の在り方は、自分の記憶だけでもすごく変化してきていて。
それはまるで、ヨーロッパの王政から共和制、民主制への移行にも似たような。
規模の違いこそあれ、成熟の仕方をしていく。

劇団も20周年も目前になると、集団の在り方というものが固まってくる。
基本的には監督が主宰で、決定事項は主宰にしか出せないけれど。
それでも全員で話したり、それこそ多数決を取ったり、少数意見を拾い上げたり。
そうやって、全体のコンセンサスを取りながら、それでも停滞はしないようにする。
先週はこれが決まった。来週はここが決まると良い。
時期にもよるし議題にもよるけれど、少しずつでも無理に通さずに進めていく。
中には、人に自分の意見を言いづらい人や、流されやすい人もいる。
そういう人が損するようではあまり良くないから、発言する人の意見ばかり通るようにならないようにしないと。
そんなことを、それぞれが、考えて、それぞれに、少しずつ進む。

多数決とかとは違うけれど、今、ちょっとリサーチで全員に確認していることがある。
全体で話していても、意見が出ないな、それぞれ考えてそうだなという時にやるのだけれど。
小さな不安とか、小さな不満とか、そういうものまで拾い上げるときにやる。
多数決ではわからない全員で話してもわからないような意見まで出てくる。
その一通一通が集まり始めていて、目を通していく。
どれにも、返信はしない。ディスカッションではないから。
ああ、こういうことがいいづらかったんだなぁ、なんてのも見えてくる。
思わず、同意とかの返信をしたくなるけれど、それをしちゃうと偏ってしまいそうで、しないようにする。
自分と同じ意見や、自分が想像もしていなかったことが、返ってくる。
短い返信でも良いと書いたつもりなんだけど、ここまで短すぎるような人は一人もいなかった。
全部集まったら、もう一度、目を通して、全体的にこんな感じっていうのが見えるのかな?
リサーチはリサーチでしかないけれど。

未来への入口は出来ている。
もちろん当初そこまで考えていたかと言えば、なんとなくだったかもしれないけれど。
「セブンガールズ」という映画を撮影し、公開に向かうことは確実に未来への扉だ。
それが出来る集団なんて、そんなにはない。
もちろん、小さな映像プロダクションは山のようにある。
地方局から、下請けの下請け、ネット放送に至るまで、数年前の何倍も増えている。
でも、製作して、物語を編むことが出来る集団ともなると、そこまであるはずがない。
映画が公開されて、少しでも話題になれば、展開できる。

そういう段階だけれど、あまり、実感はない。
凄いことをしたのに、まだ公開までも行ってないから、何を成し遂げたのかわかりづらい。
外に向かう事、応援してくれた内に届ける事、やることもたくさんある。
頭で整理したくてもよくわからないんだって直接聞いて、そうかもなと思った日もある。
わからないなりに、それでも、それぞれの思いがあって。
本当は少し不満だけど、あまり人に言えないというような、一歩引いた人の意見を読んではっとする。

間違ってもいい。
違っていてもいい。
きっと。
なんだったら、グレーなことが大事だったりする。
白か黒かはっきりしていないような、ふわっとした淀みの中が、大事だ。

なんせ、面白くて。
未来や希望があって。
たくさんの人たちに、報いるような。
そんなことをやるだけなのだけど。

この人たちは、なんせ、全員で映画を創っちゃうようなポテンシャルを持ってるんだから。
結局、信じてしまうのだ。

この際、一人ひとり呼び出して、差しで呑みたいなぁなんて気持ちを抑えつけて。
ぼんやりと、自分の中で、優しい気持ちになっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 15:48| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする