2017年11月02日

おう、元気か?

11月に入った。
去年、全てが終わって次の日だった。
まだデータを受け取ってさえいないから編集も出来ない。
その日から編集の勉強を始めた日だ。
去年より少し寒い。

ついこの間選挙シーズンだった。
あの時、SNSのタイムラインは、それぞれをサポートする人のリプライで埋まっていた。
思ったよりも社会に関心がある人が多いんだなぁなんて思っていたのだけれど。
選挙が終わるとそれもなくなって。
今、社会的に大問題な事件が起きているのに、何も言及しない。
自分が芝居を始めた時を思うとこんなことはなかった。
連続幼女誘拐事件でも、オウム真理教をめぐる事件でも。
演劇人たちは、スキャンダルな意味ではなく、誰よりも話題にしていた。
まだネットなんかなかった時代だったけれど、それは表現に深刻な問題を投げかけていた。
どうやら社会に関心があるなんてまやかしで、思想の喧伝が激しくなっただけだったのかもしれない。
逆にプロパガンダなんてしないで、もっと社会について関心が深かったよなぁと感じる。

ちょっと前は、ネットには危険が潜んでいるとか。
出会い系が、未成年を犯罪や事件に向かわせてしまうなんて騒いでいた記憶がある。
今や、小学生もスマフォを手にするのが普通みたいな世の中になって、流れも変わった。
それぞれのセキュリティや、年齢によるロックも整備されてきたというのもある。
今も、同じように危険性はあるし、時々事件にもなるけれど。
持たせないという方向はほぼ難しくなりつつあるそうだ。
なぜなら、義務教育の連絡がスマフォやタブレットで行われるのが普通になっているから。
Youtuberが夢の商売になり、動画投稿やWEB製作する小学生が普通にいる時代になった。
だから、学校でも、使用法について教えているところもあるそうだ。

TwitterのDMから始まった、この事件を精神異常者の珍しい犯罪と思えばスルーも出来る。
けれど明らかにこの事件は時代の病理をはらんでいて、なおざりに出来ないんじゃないだろうか?
なぜなら、発見された遺体は9人に及び、その中には未成年もいたという側面があるからだ。
2か月も行方不明だった十代の少女が何人もいたのに、ここまで話題にすらなっていなかったことだ。
家出なんか当たり前だったりするのかもしれないけれど。
そりゃあ、誰も連続殺人事件だなんて思わないのかもしれないけれど。
人と人との関係性がどこか変わっているんじゃないかって思える。
家族でさえ、本音で話せない。
心に触れてくる人とは、友人になりたくない。
人間関係は、ネットの繋がりだけで、充分足りてしまう。
そういう生きているという事自体が希薄になることが、死を希薄にしたのではないだろうか?
生きているという実感が薄いのは、死ぬという実感をも薄くしてしまう。
殺害された被害者たちの身元が判明するのはいったいいつの日になるのだろう?
そんなことが当たり前だなんて、絶対に信じたくない。
これは、人間関係の変容が生んだひずみそのものの事件だ。

なぜ、セブンガールズの映画化のブログにこんなことを書くのかと言えば。
この映画を製作して、公開しようという動きの中で。
この映画は、現代に何を投げかけるのだろう?と毎日考えていたからだ。
この映画に登場する人物たちは、常に死の隣にいる。
実際に、餓死する人や栄養失調で失明する人などがいた時代の話だ。
それ以上に生きているという実感がわく環境はないだろう。
登場人物たちは、強くたくましく生きていく。
泣きながら、唄いながら、いびつな笑顔で、無理に笑う。
それは、自殺願望の対極にある姿だ。

最近、電車に乗ると、小中学生の時の1つ下の後輩と何故か同じ電車になる。
彼は障害を持っていて、とても早口で、なぜか全校生徒の本名と生年月日を丸暗記していた。
その彼は、なぜか電車でおいらをみつけると、走ってくる。
それで、「小野寺君」と名前を当てて笑顔を見せる。
おいらは「おう、元気か?」と、答える。
時々、電車の中でも生年月日を言い出しちゃって、それだけは困るけれど。
今日も、一緒になって、元気?と聞かれた。
もちろん、「おう!」「お前は元気か?」と聞いた。
彼のコミュニケーション能力には問題があるけれど。
思えば小中学校の頃から、たったそれだけの会話を繰り返している。
周囲には眉をひそめた、常識人さんたちが、いるけれど。

ただ声をかけて、答える。
それだけのコミュニケーションが、何を生んでいるのかもわからない。
けれど、やはり、それは何かを生んでいるんじゃないだろうか。
社会が変容して、人間関係もどんどん変容していっている。
それは、直接、舞台でも映画でも小説でも、影響を与えてくる。
そんな中で、今、この微かなコミュニケーションは、何かの救いになるんじゃないだろうか?
そう思わないと、会う度に話しかけてくる理由が見つからない。
そして、その救いすらなかったから起きた事件なんじゃないだろうか?

この事件はスルー出来ない。
精神が異常なのか、社会が異常なのか。
何が欠けてしまったのか?
それは、全ての表現の世界にいる人たちが背負うべきコトだ。
さすがに、こんな事件ですら、政治家が悪いなんて誰も言い出さないだろう。
心の問題だ。

おいらたちは、「セブンガールズ」を発表するのだ。
この時代に投げかけるのだ。
その意味、その意志。
ただのエンターテイメントかもしれないけれど。
おいらたちがやっていることは、そういう時代の持つ心の問題に直結している。
そして、悲しいことが一つでも減っていく力を、表現は持っていると信じている。

亡くなった方々の身元が1日でも早く判明することを願って。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:20| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする