2017年11月06日

芝居をやりたい

今日も打ち合わせから稽古。
何が実現できて、何が実現できないか。
何がベストか。
それを考えながら、こうしたい!ばかりではない明確な道を模索する。
それぞれがそれぞれに、良い方向を向けば、それがベスト。

一つ、今週わかったこと。はっきりしたことがある。
ここの連中は、とにかく、芝居がしたい。
今、芝居がしたくてしょうがなくなっている。
もちろん、稽古では芝居をやっているけれど、その場で配られたテキストに挑戦しているだけだ。
自分なりに解釈して、その尺の中で、物語の組み立てまでやる。
けれど、その場だからセリフを入れるわけでもないし、固まってもいない。
もちろん、演出もつくわけではないから、自力で、解決していく。
それはそれで地力がついていくはずのことでとっても大事。
まだしばらくこの稽古でも当然構わない。
けれど、同時に、台本を家で覚えて、稽古場で演出されて。
自分の心がふるると動く瞬間を、どこかで求めている。

いつも、そういう時期はある。
普通の劇団は公演が決まってから稽古がはじまる。
台本が配られたときには既にキャスティングされていて。
本読みから始まって、立ち稽古、セリフを入れての抜き稽古、演出、通し稽古と進んでいく。
けれど、うちは、常に役者であり続ける。
明日仕事が来ても役者脳が働く、そういう状態をキープしている。
だから、次回公演が決まる前も当然稽古がある。
いや、次回公演が決まって、作品の台本が少しずつ手元に来る場合でも、配役が済んでいない。
だから、キャスティングの時期までは様々な役に挑戦しながら、徐々に作っていく。
台本は、毎週少しずつ配られて、台本が完成するのは本番の前になる。
クライマックスもエンディングもわからないまま、稽古をしなくてはいけない時期もあるのだ。
本格的に演出に入るのは、台本が完成する前であることも、別に普通になりつつある。
自分で台本を解釈して、作って、持ち込んで、という期間が、通常の劇団の数倍あるという事だ。

当然だけれど、それはまったく普通のやり方とは違う。
例えば映像の仕事は、既にシナリオが出来ていて、キャスティングされるところから始まる。
自分の覚えるべきセリフも、演じるべき役もすでにテキスト化されている。
だから、そんな仕事をもらったり、そういう準備ができるときはとても幸せに感じる。
最初から最後までの組み立てを、ヨーイドンで出来るのだから。

セブンガールズの映画版も、もちろん、そうだった。
シナリオの初稿が脱稿したのは、撮影の実に半年前。
それからキャスティングもして、改訂もしていった。
全てが完成されている状態での演出を半年もやれたことは実に幸せに感じた。
普通の劇団なら当たり前だよと言われるかもしれないけれど。
芝居について考える時間は、キャスティング前と後とでは、もう本質が違う。

今は、そういう基礎的な部分を鍛えているだけだ。
そんなものは、本人の自覚次第で、鍛えられたり、身につかなかったりするものでもある。
今、何をしているのか、何を身につけているのかは、実はすぐにはわからない。
いつか、公演に向かう稽古の時に、ああ、あいつ稽古を続けた買いがあったなぁと気付くレベルだ。
そんな微かなレベルのための稽古なのだから、まったくやれやれだ。

ただ、今週、来年の公演について考えたり、人の言葉を聞いたりしている中で。
今、心から芝居を欲しているという事だけは良く分かった。
だとすれば、それをするだけだ。
そろそろ、基礎稽古の成果を自分でも試したくなる時期だから。

映画が公開されても。
芝居をやりたい気持ちは処理できない。

やると言ったら、やる。
それは、自分の生き方。
さて、どうやってやるか。
今日の呑みでも、稽古場でも。
埒もあかない会話の中で、ずっとずっと考えていた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:08| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月05日

なんとかどうにか

このBLOGを開設して、2年の月日が経った。
2015.11.4「夢のはじまり
なんとかどうにか、毎日の更新が続いている。
あと少し、あともう少しだけ。
お付き合いいただければ。
お約束した以上、公開するその日まで続きます。
閏年が入ったから、732エントリー目ということになるのかなぁ。

普通の道程ならすでに公開していたり、公開情報が上がっていたりするのに。
まだかなぁと思っていらっしゃる方もいると思います。
もう少しだけ、もう少しだけ、お待ちください。

それにしても。
このBLOGを書いた日から、2年も続くとは思ってもいなかった。
毎日書けるなんて、頭がおかしいなんて言われたりもして。
逆にお褒めのお言葉を頂いたりもして。
それでも、日々のアクセスや、SNSの小さな反応に勇気づけられながら。
一歩ずつ一歩ずつ進んできたなぁと思うのであります。

はじめは、何言ってるの?だったし、アクセス数も限られていたのに。
まさか、今、公開に向かっていて、日々特定のアクセスもあるBLOGになって。
サクセスというには、これほどのサクセスストーリーも実は、あまりないのかもしれない。
公開情報が上がって、宣伝されるようになったら、もう少し読者も増えるのかもしれない。
これが、どんな風に、何になるのか。
わからないままだけれど、わからないなりに、約束した以上続けるのです。

パソコンが一般家庭に普及した時に、ドッグイヤーなんて言われました。
それは、PCのハードウェアや、ソフトウェアの進化の仕方です。
人間の寿命に対する犬の寿命になぞらえて、時の流れが速いという意味でした。
今は、あのドッグイヤーをはるかに超えるようなスピードで時間が流れています。
まぁ、そんなことは20年前にわかっていたことで、情報化社会というやつなのですけれど・・・。
まだネット普及前に概念だった情報化社会というやつが、現実になっています。
日々あらゆる情報が、手元の端末に流れ込み、地球の裏側のことまでいつでも引き出せる。
情報にまみれるようになれば、時間の流れ方が変わるというのは、わかっていたことではありました。

20年前における2年前と。
現代における2年前は、余りにもかけ離れているのではないでしょうか?
たった2年なのに、かつての10年以上分の情報量が入ってきています。
単純に芸能の世界を観ても、入れ替わりは激しく。
例えば世間をにぎわせたスキャンダルも、いつの間にかはるか昔のような気がします。
そして、消化しきれない情報は、無意識にスルーしていくということが誰も出来るようになっていて。
なんというか、そういう現代に、製作開始から数年なんて言うプロジェクトに取り組むのは不思議です。
インスタントに、映像製作してネットで公開して行くことも出来る中で、作品を残す。
演劇は年に数回しか出来ないという中で取り組んできたから出来ることでもあります。

発信する側の人間にとっては、殺人的なスピードとも言えます。
どんどん発信していかないと、どんどん情報に埋もれてしまう。
それでも、自分で満足できる作品を残していかなくちゃいけない。
様々な機器のデジタル化でスピードアップはしているものの、追いつくはずもなく。
それでも、根を張って、作品を発表し続ける人をただただ尊敬しております。

この現代では気の長い話のように思えるかもしれませんが・・・。
2年という期間が長いのか、短いのかもわからないまま。
今も、このBLOGのように、一歩一歩進むしかありません。
次をにらみながら。
未来につながることを想定しながら。
長いスパンのことも、ヴィジョンとして持ちつつ。
結局、一歩です。

さて。
このBLOG。
どこまで続くのかなぁ。
いつの間にか読まなくなった人もいるだろうなぁ。
完走できるといいなぁ。

夢が始まって、2年。
相変わらずです。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 13:26| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月04日

そこいら中に落ちている

先日のライブで、バンドメンバー全員で呑めなかったこともあって、メンバー打ち上げをする。
やきとんの串をかじりながら、話す。
音楽のこと、あの日のこと、幕末のこと。
幕末?って言われそうだけれど、全員が幕末が好きで詳しい事詳しい事。
都内名所はもちろん、京都、土佐、長州に至るまで、観光までしているメンバーもいる。
一人だけ、佐幕派で、五稜郭に行きたいなんて発言して笑う。
結局、5時間近く同じ店で、酔っ払った。

うちの劇団が、大きくなっていった要素の一つに時代劇がある。
元々、旗揚げで時代劇を選択した劇団だった。
それが幕末に行きついて、幕末を愛するお客様の多くに知ってもらえた。
今でこそ、幕末を題材にしたプロデュース公演は多いけれど、あの頃はそこまでなかった。
人数の多い劇団だったから出来たのだとも思う。
それに、時代劇は、多少のディフォルメが必要だったこともある。
方言であったり、武士の所作であったり。
現代の自然な芝居をやらなかったわけではなくて、誇張の芝居も身に着けやすかった。
ナチュラルな芝居が得意な役者も、意外に見栄を張る芝居が出来なかったりする。
そういう意味では、時代劇に触れたことは今も財産になっている。

セブンガールズを映画化して。
これがなんらかの形になれば、じゃあ、次はどうする?という話にもなる。
次の映画をやりたいとか、やろうよという話だって出なくはない。
もちろん、そんなに簡単にできない。
映画の場合、公開まで時間がかかるから事前の支度金が多く必要だからだ。
協賛企業が必要になってくるし、当然、企業が資金を出すには企画段階で魅力がないといけない。
小回りが利くような、例えば小規模で撮影できるような作品があればいいのだけれど。
うちの劇団の看板は、長く、時代劇とファンタジーの二本立てだったから。
実は、そんなに簡単に映画化できる作品の貯蓄が少ない。
逆に、実績を重ねて、名前のある俳優をキャスティングすれば、すごい作品はいくつもある。
幕末作品・・・それこそ、新撰組とか、二二六事件を題材にした作品を企画すれば。
時の人をたくさんキャスティングしたら、とんでもないヒットだって出来るのにと考えてしまう。
本気で未来を思うのであれば、映画化しやすい現代劇一幕物で、低予算で実績を重ねるのがベストなのだろうけれど。
ああ、あの新撰組作品を大きな企画で映画化したら、どれだけ面白いだろう?なんて考えてしまう。
まあ、年齢的に自分が出演できるかもわからなくなるけれど。
時代劇ファンは、あの頃よりもさらに増えている。

セブンガールズ公開前だから、その実績だって、何も計算も出来ない。
一本で、それが実績になる場合だってあるのだから。
セブンガールズを観て、大きな企画に展開する可能性だってゼロではないのだから。

何が起きるかなんてわからない。
時代劇をやって幕末作品に辿り着いて、それがあったから、このバンドメンバーになったなんて話をして。
そんな転がり方、進み方って言うのもないなと思った。
普通なら好きなバンドが一緒とか、別の形なのだろうけれど。
幕末が好きで舞台に来て、知り合いになったなんて、珍しいだろうなぁと。
だからきっと、何かを為して、人と人とが繋がって、そこからしか何も広がらないとつくづく思った。
偶然繋がることだってあるし、選ばれることもあるかもしれない。
でもそんなことは本当に運が必要なことで、着実な一歩ではない。博打のようなものだ。
博打は信頼がない。賭けなのだから。
だから、様々な可能性、様々な展開、繋がり。
そういうものを一つずつ、大切にやっていくしかない。
そして、映画公開に向けて、相乗効果が出るようなことも、想定していく。

幕末の話だろうか?
自分が喋っていたら、目の端に動くものが写った。
喋りながら、それが気になって気になって、喋るのをやめてしまった。
その店の壁の端を、かなり大きなヤモリがのそのそと歩いていたのだ。
笑っちゃって、店員さんを呼んだ。
ラッキーだなぁ、お店にとっては、商売繁盛を約束してくれるようなものだよと思ったから。
周りの別のお客様も反応して、わあっとなった。皆、笑ってた。
でも、店員さんは、写真とか公開しないでください・・・SNSは勘弁してください・・・と言ってた。
家を守るヤモリは、縁起が良いものなんだけどな。
実際に害虫を退治してくれるし、まったく害もない。
見た目だって、目が大きくて、トカゲなんかと違って、とっても可愛い顔をしている。
ヤモリでも、飲食店に、生き物がいるのはNGなのかなぁ・・・。
店員さんが、棒を使って誘導して捕まえて、どこかに運んでいってしまった。
確かに苦手な女の子とかいるかもだけれど。
あの日にいた女の子たちは、そんなに嫌そうじゃなかったけどな。

建物に縁起がいいなんて言われているけれど。
そんなこんなだから、勝手に自分の前途に縁起が良いのだと変換することにした。
自分が見つけたしね。
酔っ払ってても、そういうラッキーな何かを見落とさないっていう感じも良いじゃないか。
なぜかメンバーの一人に、やっぱすごいねぇなんて褒められた。
何が凄いんだかわからないけどさ。
そういう瞬間を生みだしていきたいなって思った。

きっと、きっかけや、ラッキーはそこら中に落ちている。
日々、見落としながら生きている。
その中のいくつかを、見つけられた時に、何かが起きるんだ。
見落とすな。
感じるんだ。
そこから、何が起きるかなんて、誰もわからないのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 13:41| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする