2017年11月15日

笑顔の信頼

とある撮影に向かう。
勝手知ったるメンバーと待ち合わせて。
特に迷うことなく、時間通りに到着。
懐かしいスタッフさんとも久々の再開。
映像の企画は製作発表されるまで詳細を書けないのが困るけれど。

カメラの前に立てば緊張する場合もあるけれど。
昔ほど緊張することもなくなった。
まして、勝手知ったるメンバーがいて、顔見知りのスタッフさんもいる。
自然、緊張よりも現場の空気を良くしようなんて意識も働いてくる。
緊張による悪循環の反対のような好循環。
もちろん、シーンによっては緊張感を創らないといけないけれど。
それもすんなりと作っていくことが出来た。

面白い事やら、書きたいことも色々とあるけれど、割愛。
個人的にこの現場の監督さんとは実は3度目のお仕事。
作品も数本観ている。
演出や、やり方や、楽しんでくれる場所、そういうものも少しだけ見えてきた。
編集されたものを観るのが楽しみだ。

ほんの少しでも力になれたのかなぁ、なんて帰りに考える。
スタッフさん、嫌じゃなかったかなぁとか、ネガティブにも考えたりする。
共演者の方とも色々話したけれど、気を使わせてなかったかなぁとか、思う。
多分、そういうことは皆が考えるのだろうけれど。
考えながら、気にしてばかりよりも。
撮影中の、表情を思い出すようにする。
ほんの少しでもプラスになればと参加しているのだから。

スタッフさんに挨拶をして。
お疲れ様でした!と言って帰る。
そんな時に、笑顔が少しでも見えた。
その表情だけで十分なご褒美だ。

おいらたちは、一歩踏み出して、今までになかったことをした。
それは、自分の中の経験になって、自分の中の記憶になって、そこから先の道を見せてくれている。
だから、いつだって、その一歩を躊躇してはいけないんだ。
その一歩が、何十歩になることだってあるのだから。
なんにもならないことだって、それはあるだろうけれど。
無駄な一歩なんかやっぱりない。
少なくてももう一歩前に行くときは、前よりも二歩前にいるのだから。

助監督さんが、劇団を面白そうだと言ってくれたことが嬉しかったな。
そういう意味では、個人でありながら個人じゃない部分も持ってる。
皆や代表が、恥をかくようなことをしちゃいけないんだよなって、緒を締める。

そういう言葉を色々な場所で。
そういう言葉を色々な時間で。
少しずつ残していくことが大事だ。
信頼は、何よりも強い力だ。
学べ。学べ。

きっとそういうものは、映画公開後にも、すごく大きな力になると思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:13| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

無意識をチェックする

最近、イップスという言葉を目にすることが多くなった気がする。
ここ数年になって、一般化してきた言葉だと思う。
そもそもは、ゴルファーの言葉だったらしい。
肉体的な故障などなんにもなく、それまで普通にできていたパットが出来なくなる現象らしい。
20年以上続けているゴルファーなどには突然起きることなんだそうだ。
それが徐々に宮里藍選手の引退なんかで広がっていって。
例えばフィギュアスケートの浅田真央選手がジャンプのイップスなんじゃないかとか。
例えば、阪神タイガースの藤波投手が、投球イップスになったとか。
様々なスポーツの場面で言われるようになったなぁと思う。

記憶による防衛本能などに根差した精神疾患だと、理解している。
本能的に、一瞬で緊張して、指や手がいつもとは違う稼働をしてしまう。
怪我に繋がる記憶や、失敗に繋がる記憶、強烈な痛みの記憶。
本能はそれを回避したり、それを無意識に注意してくる。
ベテランに起きると言われていたけれど、最近では子供のスポーツでもあると言われているようだ。

昔は、なんというか、ビビってるとか言われていたことなのかもしれない。
一度、危険球を受けたバッターが、インコースには自然と腰が引けてしまってスランプになる。
お前、ビビってるんじゃないよ!とただ怒られて、克服に時間がかかる。
そういうのが、実は脳的な現象だよと、最近になってちゃんと理解されつつあるという事だ。
怖さを気合で乗り切ることなんか、とても出来るわけがない。
もちろん、そういう状況になった選手を昔から丁寧に指導する人もいた。
かなり遅いスピードの球でインコースの球を打つところから地道に再度慣れるようにしていく練習だ。
時間はかかるけれど、繰り返すことで、無意識に体が動く所まで持っていけば確かに克服できる。

実は、役者は、そういう精神疾患との戦いともいえる。
知り合いの俳優の中には、赤面症、多汗症、吃音症は何人もいた。
稽古では普通に芝居が出来るのに、本番で早口になる役者、途端に活舌が甘くなる役者。
緊張する場面になると、噛んでしまうというのも、たぶん、細かい精神疾患の一つなんじゃないだろうか。
或いは、稽古場で、ダメ出しに耐えられなくなるという症状もなくはない。
緊張は必ず、本番でも稽古場でもするんだけれど、実際に見える部分に現れる人も多い。
そうなると、やっぱり繰り返しで克服するのか、リラックス法を覚えるのかになっていく。
或いは、自分のスタンスを固めて、自分のスタイルを確立することで軽減していく。
演劇の場合、昔からあることだから、様々な方法が既に考案されている。
そこを恐れていては、結果的に芝居にならないから、方法を探すしかない。

もちろん、演劇も肉体を使うものだから、同じようなことがあるのかもしれないけれど。
実は、肉体的なことだけではなく、同じようなことって言うのは潜在的にあるんじゃないだろうか。
例えば作家や絵描きが書けなくなるという現象はとても似ていると思う。
なんのイメージも湧かないだけじゃなくて、無意識に、〆切の厳しさ、評価の残酷さがペンを置く。
そういうことって、きっとあるのだろうなぁと思う。
或いは、それまでは、自分らしい角のある絵を描いていたのに、どこかで角を取ってしまう。
芝居でも昔はこういう場面で思い切った表現が出来たのに二の足を踏んでしまうという事があるけれど。
同じようなことがきっと、頭脳労働にもあるのだと思う。

気合が足りないとか。
やる気がないとか。
簡単に言えないところなんだよな、本当はと思う。
無意識的なブレーキは、どこにでもあるのだ。
それはもう、反応に近いことだから。

シンプルにね。
大失恋をして、告白できなくなってしまうのも、きっと同じようなことだって思う。
それを怖がっているというのは簡単だけど、無意識レベルで拒否してしまう場合は、克服は簡単じゃないよ。
勉強が苦手になる子供にだって、もしかしたら、そういう面があるかもしれない。

大なり小なり、実はそういうことを誰もが抱えているんじゃないかと思う。
トラウマなんて言葉もあったけれど、もっと微細な部分。
意識できるもの、わかるものならいいけれど、気付いていないことも含めたら、相当数あるんじゃないだろうか。
緊張で人差し指一本が動かなくなるだけで、ゴルフのパットが入らなくなる。
経験を重ねることは、臆病になることでもあるのかもしれない。

自分にもそういうものが、30年近く芝居を続けてきたおかげなのか。
織のように重なっている。
舞台本番前に、なんで緊張しないの?なんて聞かれることもあるけれど、緊張していないわけじゃない。
大きく震えたり、血の気が引けたり、体が固まるようなことは余りないけれど。
指一本、声一つ、細かく細かく、無意識レベルの影響を感じる。
そこから、逃げるわけにもいかない。
丁寧に、自分でチェックして、その正体がなんなのか。原因はどこにあったのか。
探っていくことでしか、何も解決していかない。
チェックを怠ると、一年後に一気に大きな問題になったりすることもあるから。

そこに向き合う稽古をしてきたんだなぁと思う。
今は監督のテキストで稽古をしてきているけれど。
それまで持ち寄っていた時に、克服できないまでも向き合うという事をしたのかと。
今日になって、ふと、思いついた。
何かをしなくちゃねと思った中で、その何かとは、きっと、それだった。

気合とかじゃない。
丁寧に自分を知っていくことからしか始まらない。

それは、お客様に観ていただく人間の責務だと思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:39| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

本当の勇気

稽古場に行くと客演に出る二人がチラシを持っていた。
なんだか、色々話しかけてきた。
いつも、あいつは、自分が忘れないうちに大事なことを話さないと病だ。
いいよ、後で・・・って言っても、なんかまくして立てていた。
そういう意味でも、久々に顔を合わせる後輩の顔は、相変わらずで。
何とも言えず、面白い。

稽古前に簡単に話す。
いないメンバーや遅れるメンバーもいる日だったから、淡々と。
今週起きたことと、現状の報告と、自分なりに考えていることを少し。
そして、人の意見も聞いていく。
とても厳しい世界なんだなぁと改めて思う。
でも、厳しいのが本来だ。
避けて通ろうとすれば、どこかに齟齬が出る。

稽古をする。
人数が少ない日は、演じる回数が格段に増える。
ほんの1~2人いないだけで、印象として回転数が全然変わってしまう。
演じているうちに、なんとなく、ツッコミみたいになってしまった。
しかも、ちょっと見覚えのあるツッコミ。
台本の構造がトリオコントに似ていたのもあって、自然とそうなってしまった。
一度、そうなってしまうと、修正が効かない。
意図的にそこに寄せていったのなら、万事OKだけれど。
意図せず、そこに行ってしまったのだから、反省点だ。
こういうことは芝居をしているとある。
頭の中に残るいくつかの記憶が、こっちにおいでと誘ってきてしまう。
でも、それは、結局楽をしているようなものだ。
自分でコントロールできていない証拠。ご用心、ご用心。

明後日に、何人かで某撮影現場に行くから、その話も少しする。
待ち合わせや、持っていくものの確認等々。
意外に、こういう話の時は具体的だからあっという間に決まっていく。
そんなものだ。
物事を話す時に、抽象的な段階だと、結局、堂々巡りをする。
具体的な話は、わりに、答えが簡単に出る。
まぁ、答えが簡単に出るという事は、それだけ、残酷という事でもある。
残酷な結果が出る前に、例え堂々巡りでも、出来る話はした方が良い。

稽古後、監督と立ち話。
ちゃんと聞く。
聞きながら考える。
考えれば考えるほど、手足がすくんで、何も出来なくなりかねない。
でも、本当の勇気はそういう所から始まる。
若さゆえの勇気は、無知ゆえの一歩なのだとしたら。
本当の勇気は、手足がすくんで、それでも、重い足を一歩前に出すところから始まる。
今は、その手足のすくみをしっかりと、自分で感じることだ。
その上で、足が前に出ないなら、それは、それでよい。
それを感じることから逃げて出す一歩なんて、なんの意味すらないからだ。
傷から逃げては結局何も生まれない。傷を受けて立っていられるのか自問することが重要だ。

ほろ酔いで話す。
傷についての話になった。
実は、いつも飲むこのメンバーはちょっとした傷を抱えている。
その傷の処理方法がわからないまま、何が出来るか話している。
傷を傷のまま放置して膿んでしまうようじゃダメだとわかっている。
傷の周りから肉ごと抉り出すのか、焼けた火箸を当てて殺菌してしまうのか。
ケアをしながら、自然治癒まで待つのか。
それとも、傷と共に生きていくのか。
放置するわけではなく、必死に向き合っている。何か月も。

帰宅して、録画してある陸王を確認する。
名優たちの織り成す、芝居のやり取りに、心が洗われる。
今期のドラマでは、なぜか10代20代の主演がいないと話題になった。
確かに見てみたら、一人もいなかった。
でも、陸王を観れば納得できる。
ベテランの本物の芝居は、心に落ちていく。
今、安定感が求められているのかな?
ドラマを見る視聴者層が、30~40代だから・・・なんてのは嘘だと思う。
逃げ恥だって、コードブルーだって、10代の子はたくさん観ていたのに。
もっと違う視点で考えた方が良い気がする。

少しだけ。
本当の勇気を、役所広司さんにいただいた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする