幻の宿
稽古日。
先週に続いて、ミーティングも。
話しながら、なんとなく、クラウドファンディングの提案をした日を思い出していた。
説明しても、話しても、映画化だと言っても、最初、皆がピンと来なかった日だった。
それは、そうだ。急に映画化だとか、聞いたこともないサービスだとか。
やろうとしている規模すら、ちょっと理解できなかったはずだし。
話しながら、なんとなく、まだ漠然としたものを話しているなぁと感じて。
それを感じながら、もうちょっと考える時間が必要だなと思っていた。
皆、知ってると思うけど、やると決まれば、俺は一気に走るからねと、最後に言った。
あの時よりも、ずっと、そのことだけは理解していた。
一年前を振り返るシリーズ。
よくよく写真を調べたら、バラシの写真がなかった。
正確には役者が個人で撮影したものはあるだろうけど・・・。
だから、この写真を選んだ。
まるで、幻のように、あのパンパン宿がそこにあったから。
一年前、バラシの日。
朝に到着するなり、楽屋の整理から始まる。
それぞれが自分の荷物を纏めて、楽屋で使用していたスペースを片付けられるようにする。
準備が終わり次第、電動工具を使って、どんどんパンパン小屋の解体に入った。
仕込みも早いのだけれど、実は舞台屋が本当に早いのはバラシだ。
なぜなら、公演が終わってから、劇場退館の短い時間で全て撤収しなくてはならないから。
そして、早く終われば、早く打ち上げを出来る。
更に言えば、仕込みの時と違って、物を壊しても問題がないのだ。
腕力で行けるところは腕力ではがし、電動工具なら、どこから外せば早いか熟知している。
飾りは付けたまま、壁ごとはがすことだって徹底している。
時間がかかるはずだと思っていたあのセットも午前中にあっという間に平舞台になった。
午後になって、製作スタッフさんなど、荷物を撤収に来た。
セットを覗いて、驚いていた。
なんせ、昨日まであったパンパン小屋が、午前中だけで忽然と消えていたのだから。
バラシと言ったって、結構かかるだろうと思っていた。
それがあっという間の解体劇。
既に、掃除を始めていたり、解体した材料を集めたりの動きすら始まっていた。
午後になって時間に余裕が出来たから、トラックに積み込む前に、他の作業も出来た。
お借りしたロケ地の修復作業だ。
長い間放置された建物は、腐食したり軋んだりしていた。
多くの壁を補修し、多くの窓を塞いでいく。
しばらくは、台風が来たってあれることがないように入念に修復しておいた。
暗くなる前に、その日を終えることにした。
バラシの日程は翌日のトラック搬出まで組んであるのだから無理をする必要性がない。
そう思っていたけれど、ほとんど、その日のうちに終わってしまった。
膨大な木材や廃材を残して、ようやく居酒屋に移動した。
搬入の日からその瞬間まで、一度も飲みに行ってなかった。
自分たちのいつもの公演のペースであれば信じられないことだ。
撮影直前に亡くなった恩人への献杯もようやく出来た。
酒を飲んで、あの人の話をする日すら今日までなかったから。
翌日はもう搬出。
お借りした小道具や、平台などの搬出。
それと、ごみを更に減らせたらいいねという話になった。
あのパンパン小屋は、もう世界のどこにもなくなっていた。
・・・と思うでしょ?
幻になってしまった。
・・・と思うでしょ?
そうじゃないんだ。
あのパンパン小屋は、映画になった。
撮影された映像に残って、それが編集されて映画になる。
100年以上の歴史を誇る家具や建具は、寿命を全うして、映画に生まれ変わった。
いつも舞台のセットは、いつの間にかおいらたちの記憶の中だけの幻になってしまう。
あんなセットだったねと話をするけれど。
記憶は曖昧になっていく。
写真や、記録映像は残っていても。
セットとしての物語を構築する役割は、消えてしまう。
でも、あのパンパン小屋は、なくなることはない。
いっぺんに、世界が終わってしまわない限り、どこかに残ってる。
もう一度、幻の宿の写真を観る。
玄関の上に裸電球。
窓からは、灯が漏れている。
あの玄関を開ければ、そこにいる。
パンパンたちが笑ってる。
パンパンたちが歌ってる。
パンパンたちが泣いている。
男たちが集まってる。
かつて、映画を幻燈と呼んだ。
幻の灯。
たくさんの人が、それを魔法と口にした。
公開の日。
あれは、幻でも夢でもなくなるだろう。