雑魚寝
少しずつ公開に向けて動きが出てきた。
公開すると言っても、営業さんや海外担当さんが動いて、初めて実現する。
ここまで自分たちでやってきたから、様々な映画館への営業だって覚悟していた。
なんだってやると決めた以上、なんだってやるのだ。
でも、やはり、営業的なことは実績やそれまでの繋がりが一番の強みになる。
どの映画館の誰とも知り合いですらない自分の営業なんて高が知れているかもしれない。
進んでいる。
ちゃんと進んでいるのだから、じっと待つのが一番だとわかっていながら。
ドキドキしている自分がいる。
去年のこの日。撮影3日目。
自分たちから、差し入れという形で、出張ケータリングのもうやんカレーさんを呼んでいた。
お弁当ではなく、実際にコンロや鍋を持ってきてくださるサービスだ。
持ってきた分は食べ放題になっていて、皆、舌鼓をうった。
今も、もうやんの味を思い出すと、あのロケ地が思い浮かぶ。
ちょうど今日のような冷たい空気だったから体が温まって本当に美味しかった。
スタッフさんも、出演者も、皆が笑顔だった。
写真は、パンパン小屋に雑魚寝する娼婦たち。
そういうシーンだから写真ももちろん暗い。
加工して明るくすることも出来るけれど、あえて暗い写真のまま掲載しておく。
カレーを食べる直前に一度、カレーを食べた後に、何シーンか、こんなシーンの撮影があった。
狭い空間に敷布団を敷き詰めて、なんとなくいつもの場所に寝ている。
枕があったりなかったり、掛布団が跳ね上げられていたり。
寝間着は、浴衣だったり、下着だったり、ガウンのようなものだったり、バラバラ。
良く見ると、奥に仕事着がひっけてあったりする。
この雑魚寝のシーン。
印象に残っているのは、とにかく、女優たちが楽しそうだったことだ。
寝ているシーンだから、殆どセリフらしいセリフはないはずなのに。
クスクス、コソコソ、何か喋っていたり、笑っていたり。
まるで、中学生の修学旅行のような雰囲気になっていた。
カメラテストなのに、喋っていて、慌てて寝たふりをしたりして、ケラケラ笑ってた。
中には、布団に入って、本当に寝ちゃった女優もいた。
それを見て、クスクス、皆で笑っちゃったりしていたのだ。
どれが誰だかもわからないかもしれないけれど。
自分でもよく思う事だけれど。
人間は寝なければ生きていけない。
寝ている間も、脳も心臓も動いているのだから、寝る必要なんてあるのか?と何度も思う。
それでも、筋肉系統や神経のリフレッシュの時間はどうしたって必要だという事だ。
寝ている間に、夢を見たり、寝言を言ったり、寝返りを打っている。
睡眠も人間の生活の一部だという事だ。
けれど、舞台でどんなに日常を描こうとしても、睡眠を演じることはほぼないと言える。
あったとしても、それは夜ではなかったり、登場人物のうちの一人だったりする。
無意識化だから、ドラマティックにはなりづらい。
けれど、映画やドキュメンタリーでは、時々、出てくる。
人が睡眠していても、音楽やカメラワーク、ナレーションなど他のことで見せることが出来る。
人間の裏側、完全に無防備な姿として。
映像には、意味があるシーンとして睡眠のシーンがある。
それにしてもけなげじゃないか。
頼るべき家族もなく、戦死した夫を思い、女だけで生活している。
その狭い空間にみっちりと肩を寄せ合いながら眠っている姿は。
これは別に嘘でも何でもなく、こういう空間が、この時期には幾つもあった。
それを思うと、なんというか、けなげだなぁと思う。
パンパンだけじゃない。
浮浪児たちが肩を寄せ合ったバラック小屋もきっとあったんだろうなぁ。
現代は、一人っ子が多いそうだ。
自分の部屋を持っている子供なんて当たり前になってきた。
むしろ、父親が部屋を持っていないことの方が普通だとも聞く。
おいらが、子供の頃。
かろうじて、こんな風に、家族全員で一つの部屋で雑魚寝をしていた時代だった。
だから、この感じは、すごく懐かしくて、何とも言えず心をくすぐる。
昭和50年代までは、雑魚寝なんか普通だったはずだ。
人間の匂いがする。
この日は、自分も人間の匂いがするシーンを繰り返した。
もう折り返し地点を過ぎていた事なんて、まるで気付いていもいなかった。
撮影スケジュールは、巻き続けて。
次の日からのシーンは、「残りのシーン」たちになりつつあった。