稽古日。それでも稽古は続く。
19年、毎週日曜日は稽古。
連休中であろうが、震災が起きようが通い続けている。
20周年公演について少し話す。
どんなことがしたいか、どんなことが出来るか、意見がそれぞれ。
それでいい。
ここから、20周年に向かう自分の思いをもう一度考えた方が良い。
実務的な部分、現実的な部分、色々とあるけれど、まずは思いなのじゃないだろうか?
20年間と言う期間、それまで応援してくださったお客様へ何が出来るか。
これから何をしていくかも含めてだけれど。
まずは、自分たちがどんな思いを届けられるのかが基礎のように思う。
その思いがなければ、企画は実は、形だけになってしまうから。
先日の台本を男女逆で演じる。
同じ台本でも、反対になっただけで風景が変わる。
明らかにここで一度、緊張感のピークを創らなければいけないという台本。
詰め寄る側と、詰め寄られる側。
台本は同じでも、リアクションは全く違う。
当然、組み立てから違う。
緊張と弛緩は、どちらの役も同時に発動するはずなのに。
緊張に向かう経緯も、弛緩する意図もまるで変わる。
それを肉体的に体感するだけでも、台本の理解度が深まっていく。
雨の中、稽古に向かったのに。
稽古が終わっても、雨はやんでいなかった。
何人かで酒を飲む。
ライブの話、今週あったこと、今日の稽古。
どの話にもどこか共通していることがある。
わかってんなぁとか。
わかってないなぁとか。
言葉に出来ない部分。
そういうことを大事にしたいと、最近はより強く思うようになった。
表面的に見えるようなことではなくて、その奥のこと。
さすが、わかってるよな。
そんな言葉が連鎖した先に、面白いことが見えてくるから。
飲み屋を出ると、相変わらず雨。
この雨は何?と聞かれたから。
秋雨でしょ?と答えた。
これ、本当に秋雨か?って聞かれた。
言われてみれば、冬の雨のような匂い。
あの撮影日にも降っていた。
皆は覚えているのかな?
一年前の10月15日から、おいらたちはセットの設営に入ったんだ。
まだ何も装飾されていない場所に、終戦直後の裏町とパンパン小屋を創ったんだ。
スタッフさんの誰もが驚いて、ため息をつくような、大道具を自分たちで創った。
あの日から、一年だ。
わかってるよなぁ。
わかってないよなぁ。
もう一度胸に手を当てて。
全ての人たちへの感謝の思いを、思い返すように。