2017年10月12日

ラーメンと映画

セブンガールズの映画製作の途中に昔の映画なんかも観た。
確かその中の「赤線地帯」という溝口健二監督の遺作でもある名作の中の1シーンだったと思う。
ラーメン屋のシーンがあった。
娼婦が、「おそばちょうだい」って言って、自分のお金でラーメンをすする。
仕事をしない亭主はそれを見ているだけと言うような印象的なシーンだった。
庶民の食べ物として、ラーメン屋は色々な映画で効果的に使用されている。

今、史上空前のラーメンブームだ。
醤油、みそ、塩だけじゃなく、各地方のラーメンも集まる。
それどころか、海を越えて、「ラーメン」は世界に進出し始めている。
すでにラーメンやトンコツという言葉が定着してしまっている国もあるそうだ。
日清のカップヌードルは、その何年も前から世界に進出していて、世界中で食されている。
日本では年間300食以上食べるようなマニアが現れたり。
二郎系とか、大勝軒とか、特定の店のファンもどんどん増えている。
本屋に行けば、ラーメンガイドが何冊も並んでいる。

実はこの「ラーメン」という言葉が馴染んだのは、戦後だ。
それまでは、「支那そば」とか「南京そば」と言われていた。
※支那という言葉に敏感な人、すみません。おいらは差別的な意味を一切持たないで使用してます。
その後、中華そばという言葉が生まれて、日清のチキンラーメンが発売されてから、ラーメンと言う言葉が定着した。
中国では、日本拉麺とか、中国のラーメンとは別に扱われているそうだ。
祖父は、支那そばといつも言っていたのを思い出す。

ラーメンの歴史を紐解くと、色々出てくる。
有名なのは、日本人で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門だとか。
或いは、明治維新の文明開化で、横浜、神戸に中華街が出来たこととか。
日本で最初のラーメン屋は、浅草の来々軒であることとか。
その辺になるんじゃないだろうか?
テレビなんかでも何度も放送されているし、その話もとても面白いのだけれど。
その時点ではまだ一般的だとは言えなかったと思う。
本当に一般的になったのは、戦後だ。
セブンガールズの時代から、その少しあと。

食べるものも、お金もない、そういう時に。
配給だけでは事足りず、かと言って、食材が手に入らなかった時。
闇市には物資だけじゃなくて、いくつもの屋台が並んだ。
有名なのは、残飯シチューだろうか?
GHQの残飯を集めてごった煮にしただけの代物。
(でも美味かったって色々な人が証言している)
それから、すいとん。サツマイモの入った飯。うどん。
やっぱり、米が間に合ってなくて、GHQの持ち込んだ小麦粉を利用した調理が多かった。
その中で、支那そばも、手軽で栄養価が高いと人気だった。

それに加えて、満州国からの帰還が重なった。
現地で中華料理を学んだ人や、結婚した人、或いは日本に住む、中国人、台湾人。
仕事がない中、当たり前のように、腕で稼ぐしかなかったのだろう。
老舗と言われる中華料理屋さんや、ラーメン屋さんは、殆ど、この時期に生まれている。
満州で覚えて・・・なんて人が、今でも地方にはたくさんいる。
確か、焼き餃子の起源も、終戦の帰還兵だったと記憶している。
ソース焼きそばも、闇市で生まれたなんて聞いたことがある。

今も、闇市で出していたようなラーメンを食べれるところが残っている。
実は亡くなった父親に一度だけ連れていかれた思い出の店なのだけれど。
新宿の思い出横丁(父親はしょんべん横丁と呼んでいた)の岐阜屋さんだ。
なんと今でも一杯400円。おすすめは、ニンニクラーメン450円。(のはず)
これが、実に美味い。
手打ちの平打ち麺の、舌触りは、あそこでしか味わえないものだ。

近年のラーメンブームで、一気に店が増えて、都心では老舗が次々に暖簾を降ろしていった。
そんな中でも残っている店というのは、もちろん、理由がある。
味、値段、そして常連さんに愛されていること、伝説があること等々。

金曜にライブをする吉祥寺にも、実は、そんな伝説の場所や店がある。
今もハモニカ横丁と呼ばれる地域は闇市の名残がある。
信じられないような小さな店が密集しているのだ。
それと、ラーメン屋で言えば、ホープ軒本舗がある。

ホープ軒本舗と言う店は、まさに戦後のラーメンの歴史をそのまま背負ったような店だ。
夜泣きとか、チャルメラと呼ばれた、屋台から始まった店で。
屋台を100台以上も貸すということをやっていたらしい。
その屋台から生まれた店が、今のラーメンブームの下地を作ったと言っても過言じゃない。
少なくても、おいらが記憶しているラーメンブームで一番古い、環七ラーメンブームの時代。
タクシードライバーがおすすめする店一位は、千駄ヶ谷ホープ軒だった。
恵比寿の香月とか、大塚のホープ軒とか、全部、この吉祥寺の店から派生していった。
だから今も、この吉祥寺のホープ軒で修行する若者がいると聞く。
東京豚骨というジャンルがあるとすれば、その元祖の店ということだ。
背油ちゃっちゃ系の元祖だと言ってもいい。

小屋入り時間より少し早めに出れたら、足を運ぼうかなぁなんて、ふと思った。
闇市の名残が残る街を少し歩いて、闇市から続く味を口にする。

そういえば、監督が手掛けた初のテレビドラマの主人公の実家はラーメン屋じゃなかったか?
すっかり文化として定着したし、大ブームだけれど。
ラーメン屋と言う響きには、今も昔も、庶民と直結した感じが残っている。
溝口健二監督と同じように、映像の中のラーメン屋は、いつだってそんなシーンだ。

時を越えて繋がるのがラーメンだなんて。
なんだか、叙情的だし。
なんだか、詩的じゃないか。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:07| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする